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危機と寄付、そして円安と物価高

最近、憂慮していることがある。これまで、危機の時、日本の寄付は増える傾向にあった。東日本大震災、コロナ禍、直近では、ロシアの軍事侵攻によるウクライナでの戦争。励まされると言うと変だけど、多くの人が困っている人を助けようと寄付をする、ということは希望がある話ではあると思う。

ただ、僕は、今、割と希望のない話について考えている。

円安と物価高、経済の低迷だ。少しずつ、日本の凋落とか、先進国からの脱落とか、フレーズもメディアで増えて来た。日本経済の行く末については、そんなに語る知識を持ち合わせていないが(選挙には行こう!)、僕が考えているのは寄付のことである。

世の中には大別して、単発寄付と継続寄付というのがある。ひと括りに語るのも難しいけれど、例えば何かの危機があった時に、だから先に挙げた、東日本大震災、コロナ禍、ロシアの軍事侵攻によるウクライナでの戦争、などというのは単発寄付になりやすい。

一方で、社会の恒常性を維持するために活動する団体を支えようというのが継続寄付で、安定的な収入になるわけだから、非営利団体にとってもとても大事だ。継続寄付者が何名いるか、ということは、その団体の膂力とも言える。

しかし、安定的な収入というのは、支払っている寄付者の側からすれば、ランニングコストということだ。そして、円安、物価高で家計は逼迫している。ないし、そういう空気が生まれ始めている。ランニングコストの見直しと言えば、電気代、ガス代、食費、家賃、最近だとサブスクとか色々対象があるけれど、ここにともすれば寄付も入って来る可能性がある。

寄付してる人なんて、生活に余裕ある人だけでしょう、という意見もあるかも知れないけれど、そういうわけでもない気がするんですよね。月1,000円でも2,000円でも、社会課題に貢献するために寄付している人というのはいるわけで。

先が見えない世の中、という時に人は身辺整理をして見晴らしを良くしようとする。僕も実際、コロナ禍の入り口の時には、ちょっと先が読めないなと思って、寄付を止めたり整理したりした。

勿論、人によって優先順位は違うだろうし、ちょっと苦労しても寄付は続けたいという人もいるかも知れない。一方で、離脱が顕著になっているかどうか、というのは平時、寄付者コミュニケーションがうまく行えているか、というような観点とはまた違う、有事の問題対応が必要な気がする。円安、物価高が進む今の現状は、こと継続寄付ということに関しては有事なのではないか、という気がしていて。

ちょっとこれからの下半期は、デリケートに経過観察して対応を考えていかなければいけない気がしている。取り越し苦労で済めば良いんですけどね。なかなか社会のムードが反転攻勢で急速に浮揚するようなイメージが持ちづらく、結構難しい局面が生まれてくるのではないかと感じている。

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