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大人になりたい〜突然の来客に対応できるそのチカラ〜

大人の条件ってなんだろう。

自立した経済力、生活力、倫理観、責任感、自己理解などなど。
どれも間違ってはないけど、全部持ってたらその人は大人だけど人間としてはやや近寄りがたいだろう。ちなみに私はどれもそこそこ持っている。中程度の大人だ。いや、中人、と呼ぶべきかもしれない。

先日、大人のチカラを試される場面に出会した。それはそれは突然に。ドラクエで敵がヘ長調の音楽と画面が突然モザイク転するかのように。

その日は週末でお決まりの買い出しにバタバタと出かけたあと、片付けをサボった1週間の生活感を丸出しにしたままおやつを頬張り眠くなって夫婦ともにウトウトしていた昼下がりだった。

「ぃち・・・は〜〜〜こんにちは〜〜〜!」

インターホンを使わず、壁の向こうから10回ぐらいこんにちはを叫んでいる声がする。

夫の方に目をやると、「見に行ってくれ」というサインを寝姿から醸していたため枕のシワを体に刻み、ボッサボサの髪の毛のまま玄関に立つと近所のマダムが立っていた。彼女は私たちが移住したての時に特に仲良くなったご近所さんで、顔を見るのは1年ぶりだった。実は彼女、私たちがトレーラーハウスに引っ越してから一度我が家に遊びにきてくれたものの、その時も突然の訪問で色々持参してくれたのだけど、私たちはちょうど出かけるところで家を見せられず「すみません、またいつでも来てくださいね〜」なんて言って別れたのだった。その後音沙汰はなかったので本当にまた来てくれたことがとても嬉しかった。

うちは玄関がなく、ドアを開けると家の中の8割が丸見えだし開けてると有象無象の虫が入ってくるのでマダムに家に入ってもらった。

「野菜あげようと思って〜〜」と話すマダムの手にはスーパー2袋分ぐらいの大量の新鮮野菜が。大ぶりのトマトに茄子にとうもろこし。びっくりしたのは野菜に負けないぐらい沢山の菓子パンも持参してくれていたこと。アップルパイにドーナツ、デニッシュパン・・・私たち夫婦二人への差し入れにしては多い気がする・・・。

私が大量のお裾分け(本当は突然の訪問に)あたふたしていることはお構いなしに、イタリアのマンマを思わせる弾けるような笑顔のマダムは家の中を見回しながら「あれは何?」とか「これは誰が使うの?」など小さい我が家に色々と興味を示してくれた。正直私は全然聞いていなかった。ここからどう対応したらいいのか、頭がぐるんぐるんと音を立てそうなぐらい考えていた。

いつから自分にとって家が聖域になりすぎて、突然誰かが家の中に入ってくるシチュエーションが心底苦手になってしまった。

①いつでも見に来てくださいねという過去の会話 
②人柄はすごく好きなこと 
③菓子パンは暗黙の「一緒にいかが」のサインである

ビンゴだ。もうこの流れは絶対お茶でもどうですか?って着席を促すしかないと頭では分かってても、「マダム外から来て汗だくやん。うちにはあっついコーヒーしかない・・・。冷えたお茶も氷もない!」とか勝手に次の展開を考えて二の足を踏んでしまう。

あと、突然の来客に準備できず家が雑然としていることも二の足を踏む理由だった。コーヒーテーブルに置かれた食べかけのおやつ、仕事場兼ダイニングテーブルに雑然と置かれたデバイスや書類たち、後で片付けようと思っていてそのまま放置された服。家全体が汚いわけではないけど、家を見に来た人に見せるにはあまりにも雑音が多い景色であり、家の持つ本来の魅力が全然伝えられない状態にもモヤモヤした。にんにくを食べた翌日にたこ焼きを食べた直後で前歯にネギが挟まった状態で意中の人と突然デートすることになった時ぐらいの「今じゃない」感だった。

そういう不意打ちの来客でも「全然片付いてないけどどうぞ〜」と声をかけ、軽やかに午後のひと時のティタイムにお誘いできる人こそ真の大人なのだ。

いろんな差し入れを持ってきてくれたのに、気の利いた言葉も返せず、2〜3分の立ち話で帰ってしまったマダム。帰ってしまったというよりは私が帰る方向に誘導したという表現が正しい。

厄介なのは、帰ってもらったからといって心が穏やかになるわけではなく、その後もなぜ家を片付けていなかったのかとか、冷たい飲み物の一つは用意しておけばよかったとか、そもそも心の余裕がなさすぎるとか、さまざまな後悔と自責の念に襲われた。

今まで食べたアップルパイで一番苦い味がした。


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