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はぐくみ・うまれ・そだつ No.3"いきなりパパとママにはなれないという事"
前回はこちら↓
なんとか無事に出産したママでしたがここからが本当の始まり。
生み終わるとヘトヘトで赤ちゃんと少し触れあっただけでそこからは休息モードに。パパさんは当初予定していた新幹線に義母と一緒に乗り込みいそいそとかえって行きました。
(腹痛モード継続中だったようでその後もこちらに戻ってくる4日まで調子は戻らなかったようです。のちに妻を置いて一人独身ライフのノリでいたからママに呪われたのでは?と思っていたらしい(;^ω^))
生んだ当日は意識朦朧で赤ちゃんをかまうことも、食事をとることもできず眠りにつきました。翌日からフルコースのような豪華な食事がスタートし赤ちゃんのお世話もスタート。
すると体に変化が・・・。昨日までの胸の大きさや硬さが全然違う。子宮の戻りも加わりお腹も痛い・・・。お産が終わればいろんなことが終わると思っていたのに・・・この展開にびっくり( ゚Д゚)
胸ガチガチのパンパン・・・お腹ぎゅうぎゅうのしくしく・・・。もう知らないことだらけ。助産師さんにはこんなにガチガチじゃうまく飲ませられないわね。とマッサージを受けることに。その痛いこと(´;ω;`)出すぎるおっぱいと赤ちゃんの哺乳力がかみ合わず・・・泣きそうに。
そして夜中も2~3時間おきに起きる赤ちゃん。体力には自信があった私も数日続くと疲れが出始めた。「無理をしないほうが良いですよ~。」と助産師さんの言葉に赤ちゃんを預けしっかり休息。入院中、うまく授乳ができず粉ミルクだよりにだんだんとなっていることにまだ気が付いていなかった。
6日が過ぎ退院。父と母が迎えに来てくれ久しぶりの自宅へ。おうちの中は受け入れ態勢ばっちり。
実家住まいだったので両親や妹たちのサポートがしっかりあったのは本当にありがたいこと。10代で妊娠、出産という人より早いスタートでも不安にならずにいれたのは支えてくれる人たちがいたから。
結婚式の1週間前にケガをして後遺症が残り会社を手放した父。43歳という年齢で左半身不随、大好きだった仕事もできなくなり自宅にて過ごすことになっていた父には孫と触れ合うのは最高の時間だったようです。
もともと子どもが大好きな人。お風呂を入れるのもハンデがあったとしてもお手のもの。そんな父の姿を見てパパさんも自分のできることがあると理解。少しづつパパになっていきました。
パパさんは10歳のころにお父さんと死別。そのため、父親像というのがなかったそうだ。そんなパパさんは私の父と出会い、心の底から慕っていた。ある意味でパパさんの父親像は私の父なんだと今では思う。子どもと一緒に過ごし支えあう。そんな姿をうれしく思う。
女性は妊娠すると体が変化していくので、どれだけ拒否したとしてもその変化に向き合わないといけない。けれども男性は直接的に変化しているわけではないのでスタートが約10か月近く遅れてしまう・・・男性自身が向き合わなければそれ以上・・・。この差に気が付かないとパートナーシップで痛いめにあう・・・(我が家の場合、この差に気が付くのはしばらくしてからだったが)
これはその後、さまざまな体験をして変化していく中で二人が気が付いたこと。
「一日にして親はならず・・・子どもと一緒に親も育つ。子どもが一歳なら親もパパ・ママ一年生なのだ」。
25歳と19歳の若い2人を親として選び、たくさんの学びをくれたかんくん。本当にありがとう。
かんくんの話はとりあえずここまで。
そして、次の妊娠につづく・・・
続きはこちら↓
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