三十路インタビュー Margit: 庶務

今回のインタビューは自称超ポジティヴ、兎にも角にも元気で昼休みも仕事中も冗談ばかり。
そんな彼女、誰かが誕生日だったら必ず何か準備してくれる。そんな気遣いもできるし、それで庶務は成り立つのか! 映画やドキュメンタリーが大好きで世界のあんなことやこんなことを知っている彼女。人に歴史あり!というけれど彼女の生き方を通してのドイツ統一に対する意見は中々鋭い。
 
 
名前はマーギット。庶務全般を担当しているお母ちゃまです。
 

※このインタビューをさせてもらったのは私の実習先Friedenskreisという団体で、この団体については、、、https://note.com/kosokosolife/n/na89dbd23727d     

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《簡単に自己紹介をお願いします。 》
Halle生まれ。 ここFriedenskreisで働き始めて、今月でちょうど12年。42歳と33歳の息子が二人いて、下の息子には5歳と2歳の孫がいるわ。上の息子は結婚していて子どもがいない。だけど彼らはなんと、子どもを持たないことを決めて手術もしたのよ。。。それは今の世界がカオスで、自分たちの子どもに責任を持つことが出来ないと考えたからみたい。東ドイツ時代はそういう未来に対する不安はなかったし、当時は逆に未来に希望が持てたかな。

わたしの経歴は、社員数が300人いる大きな会社の人事で結構上のポジションだった。 その後にドイツ統一があってマットレスの会社を立ち上げたりしたわ。でも大きなチェーン店が登場し始めて、店を閉めることにした。私たちには、100万個のマットレスを保管しておく場所もなかったし。
その時のモットーは『自分達のものは旧東ドイツの町から!』というもの。わたしたちは東ドイツで作られたものを使いたかったの。それが気に入っていたしね。
でも、東西の統一で旧東ドイツの都市での購買力は下がった。全体でみたらハレの町のは購買力はあるんだけど、それはお金持ちや大学生がいるから。失業者はなかなかものを買うことが出来なくて。そういった点からも大型チェーン店に対抗することは出来なかった。なんせ向こうは全てがオートマーチックで、コントロールできるからね。会社を閉めた後は一年半無職で、色んな書類の整理をしていたかな。そして労働局に行って、ここFriedenskreisを紹介してもらった。最初は一時間1€の期間労働だった。
そしてその期間が終わった後に、今のボスである Christofがここで引き続き労働をしてくれないかと連絡してきてくれた。先のことはわからないけど窓からお金が飛んでくることもないからね。 

(※1€ジョブとは時給1€で働くということ。この間にも失業保険はもえらるのだが、、、つまりお手伝いとかで、とにかくどこか仕事に行きなさい!家にいるな!という労働局からの指示で、つまり就労支援。道路の掃除やマクドナルドの仕事まであるという、関連記事です → http://www.afpbb.com/articles/-/3087477)


《あなたのここでの仕事は何ですか》
雑務が中心で簡単には説明できないけど、メールを転送したり、、、というか何でもするから一言では言えないけど、まー雑務ね!
 
 
《あなたの仕事に対する動機はなんですか?》
わたしは生まれついてのポジティブな人間で、お金のことじゃなくて働くことが好きなの。また自分がやっている仕事を通して、平和を望んでいるここFriedenskreisに貢献していられることかな。
 
 
 
《この仕事であなたが気に入っていること、気に入らないこと? 》
気に入っていることは、みんなでしっかりとした話し合いがあることね。みんな様々な意見があってそれぞれが自分の意見を発表して、多数決を取る。いわば民主主義的な決定プロセスかな。 気に入らないのは、Kreative Unordnung (創造的カオス???)。つまり仕事環境がぐちゃぐちゃなとこ…、汚いことね。

 
 
 
《仕事を通して得た素敵な経験を教えてください。》
ボスニアにある自分達のパートナー団体を訪ねたこと。バルカン半島は本当に自然が豊かなの。そして人が優しかった。わたしは全然遠くに行ったことないし、当時は紛争の後で『撃たれない様に気をつけて!』と家族に言われたのを覚えているわ。 また他の年には、ある場所に橋を建てに行ったの。橋といっても小さなもの。とはいっても、草がぼうぼうになっている所の草を刈って、木を切り落として、大変な作業だった!44℃もあったし、現場が山上にあって、登山もしないといけなかったし。その時には言葉も分からない人達とずっと一緒にいて、一つの仕事をやり遂げる団体意識が生まれて、素敵だったなあ。
 
 
 《ドイツの東西統一について、その時どう思いましたか?》
あれはわたしが35歳の時だった。すでに20年ほど仕事をしていて、私は社会主義に育てられたの。当時は職業訓練をして仕事を始めて、仕事を続けて自分の人生設計を立てることが出来た。今の世の中は、そういうことよりも流動性が大事だからね。。
ドイツの統一と同時に今までの考えを変えることを余儀なくされた。 わたしは資本主義に反対、、この資本主義的安定が好きになれないの。共産主義や社会主義はの基本は、みんな働いて、みんなで分ける。当時からそういった考えはわたしの希望でもあったわ。今は競争社会で忙しくて、家族が中々会えなかったりするし、みんなたくさん働かなければならない。
今は家族が離れて暮らすことも当たり前にあったりする。もしおじいちゃんやおばあちゃんが一緒に暮らせたら、単純に精神的にも物質的にも安定すると思う。それは、新しい仕組みがもたらしたネガティブな面だと思う。全てのことを良い悪いと二分しては言えないけどね。
 
ハレには化学工場や関連会社がたくさんあった。必要人材は職業学校があり卒業後にはそこで働くことが出来た。 典型的な例としては学校に行って、職業訓練して、実習して、働き始める、人生の終わりまで。
今は大学に行ってもこれという仕事ができないことがあるでしょう。これは本当にひどい状況だと思う。
 
今テレビで見かける東ドイツ時代についてのドキュメントは、少し怪しいから気をつけて欲しいわ。報道番組を作っている人達がどんな人かを考えなければいけない。東ドイツがダメだったなんてわたしは思わないから。ただ自分の意見が言えないのは嫌だったし、社会主義が嫌だーと誰かが言ったら、その人はいい仕事には就けなくなってたりしたのは事実ね。
旧東ドイツがだめになっていった一番の原因は、ベルリンの壁が建てられたことだと思う。これは本当に良くなかったと思うの。わたしは壁がなくてもいつだってここに帰ってきたと思うわ。壁が建てられたのは、結局当時の東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して信用できなかったからだし、もし壁がなければわたしだって東京に遊びに行けたのだから。笑
強調するけど、わたしはいつでも東ドイツに帰ったと思う。だから、壁を作ったことは政治的な大きな判断ミスだったと思う。壁によってわたしたちは何かの不安に囲まれたと思う。
それでも、東ドイツ政府が壁をつくる理由は他にもあったの。壁が作られる前の1948から1971年の間、旧東ドイツでは職業訓練に税金が使われていたの。その状況を西ドイツの人が見て、職業訓練生、特に訓練を終えた卒業生を引っこ抜きを始めた。これはかなりの数になったの。いわば泥棒よね。
当時の職業訓練は会社がやっていて、その職業訓練後は最低何年間その会社で働くということだったの。つまりそのようにお金をかけて育てた訓練生を、西ドイツの人達は狙っていたということ。
 
だから私はハレで行なわれていた旧東ドイツに対するデモには反対だった。自由を求めている人が多くいたけど、その時のわたしたちにだって自由があったわ。
 

 
《あなたの息子さんの「子どもを作らない」という決断に対して?》
最初は正直悲しかった。それは生物的なテーマで、常に続いてきたものが途切れてしまうということだからね。さらに彼らは手術をして生殖能力も手放しただもん。わたしはそれを受け入れなくてはならなかった。ただ、もし彼がもう一度子どもが欲しいと思ってももうできないし、、、実はわたし未だに理解できていない。
今年の夏も家族みんなで会ったの。その時に、上の子が下の子の息子をあやしていただけど、子どもがとても好きなのがよくわかるの。そのことについて、彼が彼自身を傷つけることが無い様に願っているわ。
 
 
 《これからのプラン、仕事でもプライベートでも?》
ボスの Christof がわたしの生活を壊し始めてるの。笑 
彼とは一年に一回、私の仕事について話をするのだけど、正直わたしはもう働きたくない。ずっと働いて、年金をもらって半年後に死ぬ不幸な人もいるでしょう。彼はわたしが必要だと言ったの。笑 
ま、家に居るよりはいいかな。
 
プライベートでは、、、アメリカに600,000ドルを払えば宇宙に連れて行ってくれるという話があるらしいの。これはただの夢ね。わたしは地球が好きなの。 だから宇宙に行って狂ったように写真を撮って、みんなにこの美しい地球を壊すのか!!!って聞いて回りたいわ。
 
 
 
《あなたにとって幸せとは何ですか?》
子どもたちと孫の健康、友達、良い人と仕事すること、自然を感じること、動物を愛すること。
 
 

 
 


《あとがき》
ここに来た道のりは人それぞれ違う。彼女は労働局に指示されたままに流れ着いた先がここだった。それでも「平和」を熱望している思いはあるという。 「平和」というのは手に取ってみたり、ある状況が「平和」なんて言えない。この星では争いがあって悲しみがあり憎しみがある。 自分は元気に生きているし、どうにか食べるものもあるし殺される心配もほぼない。だからこそ、こういう人が(自分が)苦しんでいる人達の為にも声だかに「平和」を求めていかなければならないし、まずはその大事さを知るべきだ。失ってからじゃ遅い。起ってからじゃ遅い。だからこそ平和活動は地道に受け継がれるべきものなのだろう。
 
 
彼女のインタビューでも何度か登場した、資本主義批判や物質主義批判にはうなずける。これらがもたらしたものは一体なんなのか、特に今の自分の生活スタイルになってそんなことよく考えてます。(これだけでサヨクと言ってはいけませんよ。)
 
 

この三十路インタビューについて→https://note.mu/kosokosolife/n/n6d359d08e7e0

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