三十路インタビュー Maria: 反差別教育担当

今回インタビューさせてくれた彼女は自分の実習を担当してくれたマリアさん。実習中には色々と連れてってもらったり一緒に過ごす時間があった。ドイツの社会や教育についてはもちろん、ドイツで育った一人の若者としての様々な経験をたくさん教えてくれた

 
彼女のテーマは『不平等』、この不平等な世の中のでこぼこを少しでも平に近づけようと社会に問いかけ、その声を広めようとしている。

※このインタビューをさせてもらったのは私の実習先Friedenskreisという団体で、この団体については、、、https://note.com/kosokosolife/n/na89dbd23727d  
  

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《 簡単に自己紹介をお願いします 》
マリアです。大学では言語学とドイツ文学を学んだ。学生時代にはたくさんの政治活動をしたかな。学生組合で一年間働いたり、ドイツ独自の大学システムをやめ、ヨーロッパレベルに合わせるという国の判断に対して反対運動をした。

その時はドイツ中の大学生組合の人と一緒に運動を展開した。他にはATTACというグループで活動した。このグループのテーマはこのグローバリズムの中で起るものへの批判で特に不平等なこと、例えば、水の公平な分配についてで南北や東西の貧富の差に対する反対運動もした。

(ATTACとは, Association for the Taxation of finacial Transactions for the Aid of Citizens 日本語→市民を支援する為に金融取引への課税を求めるアソシエーション・団体。ATTACは日本に支部もある、が、ほぼHPは2010年以降更新しておらず→http://www.jca.apc.org/attac-jp/japanese/)

そして2003年にイラク戦争が起って、その時の反戦運動に参加してここFriedenskreisを知ることになった。

その時ここハレでは反戦の和が広がって色んなグループと一緒にその運動を進めた。これはドイツ中や世界中でも起った運動ね。
私の大学生活は2001年から2014年間在籍して、それはそれは時間がかったわ。。。その時はプライベートの時間のほとんどはそういう政治的な活動に使っていて、あまり休まずそれが理由で最終的には体調を悪くしてなって何も出来なくなったの。 その後、2010年には二ヶ月間だけロシアの大学で(外国人のためのドイツ語講師の)教育実習をした。戻ってきてからそういう交換留学の活動を手伝ったりもした。その時の活動が今のここにいる同僚との出会いでもあったかな。そしてその時に Friedenskreis が政治的なことに関する部を新設していて、 “Demokratie macht Schule (※訳 民主主義が学校をつくる) „ という企画をやる人を探していて引き受けた。最初は一週間に10時間だけ働いていて、一人の同僚が辞めてその仕事を私が引き継ぐことになって働き始めたの。
 
 
 
《あなたのここ(Friedenskreis)での仕事を教えてください》
今は "Couragert schule (※訳: 勇気ある学校) " という国の政治教育プロジェクトでハレのあるザクセン-アンハルト州の地域担当をしている。その企画には二つのテーマがあって一つは "Demokratie macht schule ohne Rassisumus (※訳: デモクラシーは差別の無い学校をつくる)"というもの。分かりやすく言えば 『どう学生を地域政治に参加させることができるのか!』で、他にはどう学生に政治に興味を持たせるかということかな。具体的なプロジェクトとしては学生や学校と市議会議員がパートナーを結んでその学生達に市会議に参加させたりしたりした。
『どうやって市というものが機能しているか』というのはテーマかな。

他には、『学校の中庭をキレイにする!企画』 をした。仕事内容としてはこの企画の為の資金を集めるたり具体的なプラン作成をした。この企画はどうしたら学校の中庭がもっと活用されたりきれいになるかということが中心にあって先生や親と学生が話し合い協力をして、最終的に中庭でオープニングパーティーもしたのよ。この企画の意図は、学校の生徒が責任を持って他の人と『一つのことを決定するプロセス』を踏むこと。それぞれが様々な興味や好みがあるから、それを交換して建設的に話し合って一つのものを創っていくもの。こういうのを通してデモクラシーというのものがなんなのか学べるって言うことね。一つの目標があって、どうやってみんなでその目標を達成するかというもの。
 
もう一つのテーマは "Gegen Rassisumus (※訳: 差別反対)" 。これも国がやっているプロジェクトでドイツ全土に広がっているもので学校にある様々な差別に対して、生徒達自身が中心となってこういう『差別』に対しイベントをしたりするのをサポートするの。街にある社会的な団体や一般の会社とも繋がって一緒にこの企画を広げていくの。
例えば、ある学生達は劇を作ったわ。なぜ劇がこの差別というテーマに繋がるかと言うと、いじめなどいろんな役割を劇の中で生徒が演じることによって様々な立場に立てるということ。これで実際にその状況が起きた時に利用できるかもしれないし、演じるということで自信もつくとも言われてる。自分の体を使ったり声を出すことで自分の体にも意識的なものになるのよ。


《あなたの仕事に対する動機》
私の動機はやっぱり不平等についてで、社会に何か貢献できればいいなと思ってる。それぞれの人間がお互いを理解できるように何かしたいと思ってる。私が見ている世界は私の角度というか、見方があって世の中には全く違うものの見方がある。
その見方は経験から来るから、人それぞれなのは当然でそれによって成り立つ。だから他の人の全てを理解することは出来ない。それでも他の人が持っている、その人に取っての大事なことや価値について理解や想像することは大事なんだろうなと思う。
 
私は世界をすぐに変えることはできないし、革命を起こしたいわけではない。2003年のイラク戦争に対して活動していたときには世界を変えれるという理想を持っていたんだけど、今はそういった理想は持っていない。その考え方は素晴らしいと思うけどね。その考えが確信になったのは、自分が実際にFriedenskreisで教育というものに携わったことで、学校で社会的なテーマのワークショップをしていて思ったの。30人いるクラスの中で2,3人変わってくれたら、それでいいと思う。その彼らがまた誰かにそのことを伝えると思うし、世界を変えるというのは、こうやってこつこつやっていくしかない思う。
 
 
 
《あなたが気に入っていること気に入らないこと 》
自分は学校で色んなプロジェクトをしているんだけど、学校には枠組みがあって生徒はその枠の中にいる。私たちがやっているのは差別とかいじめはダメとかだね。先生の立ち場から見たら一年間のカリキュラムが決まっているし、その中でこういうテーマを授業の中に取り入れることは難しいし、プロジェクトが機能しないことが多いのは気に入らないわ。

あとは私の給料についてね。もう少し給料が欲しいかな。笑
 
しかし自分がやっているテーマは自分達の社会に取って重要であると確信してるからやっていることは気に入ってるわ。あと同僚が友達みたいで何でも言えるし、階層がない。ボスともしっかり討論できる。あとこの職場には実習生や外国人のボランティアがたくさん来ること。自分はドイツ学を学んで教育学とは全く遠い所にいたけど、教育についてのテーマになると同僚が助けてくれたり、一緒に考えてくれたりする。
私はこの職場にラブレターを書こうと思っているくらいFriedenskreisが素敵だと思ってるのよ、ここを辞める前に一度は確実に書くわね。
 
 
  《仕事を通して得た素敵な経験を教えてください》
最初に話した中庭プロジェクトの時なんだけど、私の仕事は基本的に財政面において市政とやり取りすることで内容については携われなかったの。でも中庭のオープンパーティーに参加して、学生達が企画をやり遂げたのを見て大泣きしてしまった。笑 
その企画については事前に色んな先生と話してて、何人かの先生は生徒のことをバカだと言っていたの。実はその学校は特別支援学校で先生達もその生徒のポテンシャルに気づいていなかった、なんせ本当にやり遂げるとは思っていなかったみたいだったんだけどね、あれは素敵な瞬間だったな。
 
もう一つは、ナショナリストのカウンターデモに参加した時の話なんだけど、私が高校でした差別反対プロジェクトの参加者がそのデモに参加してすこし挨拶をしたの。自分のプロジェクトで刺激を受けた生徒がいて、彼らは私の活動を手伝ってくれた。これはまさに最初に言った通りのことで、大きな革命は起こせないし社会をすぐに変えることは出来ない。でもこういった活動を続けることで実際にそうやって影響を受ける人がいて、それがまた繋がっていくというのを見たことね。
 
ある時、私が引き受けていた仕事の補助金が打ち消しになった期間が4ヶ月間あったときがあって、その時に、そのプロジェクトをしていた学校の先生と別の会議で会って 『あのプロジェクトはどうしたらいいの?あなたが来てくれなかったら私たちは、孤児同然よ。』と言ってくれたこと。先生達が私の仕事を認めてくれたということでしょ。あれも嬉しかったな。
 
 
 
《なぜもともと政治に興味を? 》
私は全く政治に興味がなかったんだけど当時の彼氏が政治的で彼と一緒に行動してたからそういう活動に参加することになった。その活動に来る人たちも優しくて居心地が良くて、周りの人がみんな政治的な活動をしていたの。きっかけは彼氏がやっていることをしたかっただけね。
でもその時にドイツの政治や世界の状況に対しての不満があって愚痴を言っているだけも嫌だから実際に自分で行動に移し始めたかな。
 
 
 
《最初に言っていたATTACと言う団体では具体的に何を? 》
2002年から2006年に活動してて、私はその中のBADSCPAßeというチームでインターネットから情報を集めたりした。国際化によって引き起こされる不平等に対して批判を持っていたの。これは国際化に対する批判ではないということははっきり言っておかないとね。その不平等とは消費についてで、簡単に言えば『あなたの洋服はどこから?』というものや『コーヒーの生産プロセス』に対するものね。当時は上から変えていこうと思っていたけど今は下からね。 
 
人生は様々な目標を設定することが出来る。私は20歳前半はATTACとか活動していたんだけど、問題同士や一つの問題と社会との繋がりを理解できてなかった。自分が何をすべきなのかも。今は当時よりも理解しているし、様々な社会の関連性や全体的な構成が見えているの。

 
  
 
《あなたのテーマである『差別』、どうして重要だと思いますか? 》
全ての人が同様にチャンスを与えられるべきで、全ての人に尊厳が守られるべきで、それぞれの人がお互いに認め合うべきだと思う。その前提である人がどこから来たとか、お金持ちの家庭であることに左右されるべきではないともう。私は正直言って理解できない人もたくさんいる。けれど、そういう人も人であるし、私は他の人に『こう生きろと!!!』と言うことは出来ない。人はコミュニケーションの中で自分を作っていくので、意見を交えて話し合って自分を創っていくべき。人の背景にあるものとか、外見で判断されるべきではない。
私は髪型を変えたりすることは出来るけど、目の色を変えたりできない。つまり変えれないものを持っていて、それによって人が判断されることは許されるべきではないと思ってるの。その勝手な判断によって、判断された方が生きるのが難しくなってしまうと思うの。簡単に言うと、『不公平』。
私は白人がしてきた奴隷政策や奴隷を殺してきたなどは人間の尊厳を奪ったりすることで、人を軽視することで絶対したくないし、だからこそ私はそれに対して働く。
 
その次のステップだけど私たちは一緒に同じ世界に生きているの。 もし私が差別主義者なら、あるグループや見た目の人を自分よりも価値の低い人間として見てその人を一人の人間として見ない。その行動は自分勝手な判断で他の文化や新しいことを学ぶチャンスを失っていて、いつか人間として成長できなくなると思うのよね。だからこそ人を区別したり差別しないで欲しい。
 
 
 
《あなたの人生に影響を与えたこと?》
11歳の時に親が離婚して近くの田舎からハレに引っ越してきたの。当時私が引っ越してきた学校では学級崩壊が起っていたの。それまでの田舎の学校では、私はみんなから理解されてたのに引っ越した先にはそういったこともなく、社会が崩壊していて、それはショックだった。そして親の離婚がきっかけで私の生活はどんどん暗くなっていた、家庭内の雰囲気も悪くなって私は20歳前に何も言わずに家を出たの、2年間。どこに行くわけでもなく友達や彼氏の家を転々として生活していた。でもこの経験で貧乏を始めとする不平等というテーマに出会った。
その時の行動で私は親を傷つけてしまったわけだけど、自分達の関係や問題をもう一度見つめ合って、話し合って、今は家族が一番大事だと言えるわ。
あと、私は30歳まで冗談というものをあまり理解していなくて、特に皮肉的な冗談はいつも本気で捉えていたの。笑 そういうことも含めて自分は色んな経験を積んでで成長してきたと思う。関わっていた政治的な活動から大学の学生組合の活動も含めて。
 
今はそういうことも含めて、仕事を続けることが重要だと思ってるわ。他にはちゃんと家族とコンタクトとっていくことね。あとは旅をして新しい文化と知り合って、経験を増やして自分をもっと成長させていきたい、スポーツでも同様に新しいことに挑戦していきたいわ。
 
 
 
 
《これからのプラン、仕事でもプライベートでも》
来年に今の彼氏と一緒に住み始める予定。その次の年には子どもが欲しいかな!今はそういうママになる時期に入ったのよ。笑
仕事面だと、三年間のプロジェクトの補助金を申請しているところだから、それが取れたら3年間は落ち着いて働く。その先はわからないかな。何よりFriedenskreisではお金を稼げないから他に職業訓練や何か学ぶかな。私はドイツ語を教える免許もあるから外国人にドイツ語を教えることも出来る。私は定職よりも、その免許を持って移動できるから海外で働いてみたいかな。もちろん今自分の周りにある色んな関係を大事にしながらね。
 
 
 
 
《あなたにとって幸せとは? 》
自分や世界についてはっきりと理解が出来ていること。
自分を受け入れていれて他の人も受け入れること。







《終わりに変えて

周りを見れば不平等ばかり。大きなものから小さなものまで。天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらずじゃなかったのか!!!福澤諭吉のおじさんが当時描いた社会は良くなっているのか!!福沢諭吉は若い時にアメリカ人と話していて、当時のアメリカ大統領について話していて大統領が政治家の家柄ではなく『普通の家庭の人間』ではないということにとても驚いたと聞いたことがある。 驚いた彼はそのことを聞いて何を考えたのか、彼の考え方はこういう経験が基礎にあるのであろう。
 
今の日本はまだまだ政治の社会では素敵なお家柄の人ばかりか。
何かを変えるべき!今の世の中は一応『民主主義』ということ、だからその中で自分がやることは社会に反映される。だからできることをやることはまず第一歩。 今回のインタビューで彼女が教えてくれたことのひとつはまさにここだ。『今の私たちの社会で革命は起きない。上を変えるよりも下から変えていくしかない』と言った言葉はしみる。
デモをしても何も変わらないということを聞くが、デモに参加したりすることは自分の中でも何かが変わり、それを見ている人も含めてどこかの誰かの心に響くことがある。元気にさせることもある。それが社会を変える力になるかもしれない。


この三十路インタビューについて→https://note.mu/kosokosolife/n/n6d359d08e7e0

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