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教育ってなんのため? 

教育ってなんのため? 学力を高めて、スポーツできて、勝ち組になったら成功?

こそだての学校校長の佐藤陽平は大分合同新聞でコラムを書いています。その内容を転載しています。


大分合同新聞_GXエデュケーション_佐藤陽平のコラム



自然の中で、全身を使いへとへとになって遊ぶ子どもたちを見てきました。以前は自然体験が子どもたちの「チカラ」になるのだと信じていましたが、すぐに結果が表れるものではありませんから、本当に子どもたちのためになっているのかと少し疑問がありました。


今は確信に変わっています。それは、テクノロジーにより脳科学が発展したからです。脳の機能が解析されてきたことで、子どもたちが幸せに生きていくための教育の本質が分かってきました。

 自然災害、コロナ禍、ロシアとウクライナの戦争など予測できないことが起こっています。私たちが生きている社会は、一寸先は闇であり常にストレスがかかるもの。この苦難に立ち向かうために「脳」があると言っても過言ではありません。


 しかし、現代はストレスをなくす便利で快適なサービスが成熟し、自分の体を使うことが少なくなりました。家電が働いてくれるので、子どもたちはお手伝いをする必要もありません。いつしか教育の目的が、楽にお金を稼ぐためになってしまっているのかもしれません。待遇の良い仕事に就くために、高学歴の大学を目指し勉強している子どももいます。


 もちろん勉強は大切ですが、子どもは予測不可能なストレスへの対応力が育っていません。その結果、社会に出た時の荒波に対応できず、ストレスに悩み苦しむ若者も増えています。


 では、脳から見た場合、子どもたちに本当に必要な教育とはなんでしょうか?


 それは「体験」です。転んで泣いてしまうこと、どろんこになって服を汚してしまうこと…。いろいろな体験を通じて自分の好きなことを見つけ、熱中するようになります。成功も失敗も経験し、脳内に様々なホルモンが出てきます。この繰り返しで脳が育ち、ストレス耐性力だけではなく情報処理能力や解決力といった「地あたま」が良くなっていきます。


 国内外の企業は、熱中したことや経験を学力よりも重視するように変化しています。それは、さまざまな体験から学んでいる人の方が社会で活躍すると判断したからです。しかし「公園では騒がないように」という看板が立ち、子どもたちが公園で静かに携帯ゲームをするような昨今です。外遊びも難しく、勉強が幸せになる近道として教えられている傾向もあります。本当にこれで良いのでしょうか。子どもたちを育てる環境も教育も、変わっていく必要がありませんか。


 どんな時代になってもたくましく幸せに生き抜く子に育てることが、教育の本質ではないでしょうか。



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