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私が考えるルッキズム〜外見を磨くことは悪いこと?〜

今回のテーマは「ルッキズム」についてです。

私の好きな古着屋さんのお洋服に合わせてヘアメイクをしました。
モデルはお友達

ルッキズムとは

「ルッキズム」とは日本語では「外見至上主義」「外見重視主義」と言われ、「外見」を重視する価値観です。「外見」を理由に差別的な言動や行動も「ルッキズム」に含まれます。
どうしてこのテーマを選んだかというと、自分の人生「外見」に振り回される事が多かったと感じたからです。日本女性といえばなんてったって「可愛い」という言葉ですよね。海外でも「kawaii」なんて日本語で流行った時代も確かあったような、、、いつの間にか私の口癖も可愛くなりたいとなっていました。

ここでは、日本に産まれた私が狭い環境で感じてきた「ルッキズム」に沿って書いていきますので、世界的・社会的差別の問題には繋がらないものになると思います。

ルッキズムに振り回された人生

私は今三十路なのですが、10代、20代と何を一番人と比べてしまっていたかというと一番は「外見」だったかもしれません。正直とっても後悔しています。口をひらけば自分のことを見て「目が小さいな、鼻が丸いな、口元が変だな、足が太いな、肌が荒れてるな」みたいなネガティブな言葉がでてきました。それを助長させたのは、周囲がお互いのコンプレックスを探して指摘する女同士の環境でした。私は人のことは言わなかったのですが、ほぼ一方的に自分の体のパーツを指摘される環境にもありました。その時同時に投げかけられたのは「私、自分がコンプレックスあるから人のも見てしまうんだよね。」という言葉でした。あの頃は単純に傷ついていましたし、私も心の中で相手の欠点が目に入るようになっていました。今思えば互いに「ルッキズム」に支配され可哀想であったのだなと。

その後さらに、自分の中の「ルッキズム」を助長させたものはやはりSNSの存在です。多分、この時点で読んでいる女の子はかなり共感すると思うんです。今のSNSには見た目の欠点と言われる部分が言語化されて外見を磨く方法がたくさん発信されていますよね。見れば見るほど「え、これって欠点て思われているんだ」なんて知らなかった私の欠点がどんどん見つかるのです。そして極め付けには綺麗な顔の動画や写真がどんどん目に入って羨ましくなっていきます。

見つけた欠点とどう向き合うのか

そもそも今まで自分が思ってなかったものや、なんも感じていなかった部分が、何にも関わってない人に指摘されて欠点が増えていくというなんとも不思議な状況ですよね。SNSで「私ってここが長くてここが小さくて可愛くないんです」って具体的に自分の嫌なところをずっと話している人がいて、「あ、私も同じだなあ、私の方が、、、、」なんて落ち込むこともありました。
なんなら長年染み付いてきたこの感情はいまだに微かに残っていたりします。

しかし、これは他の記事でも推していきたい私の今の考え方で、すごく賛否両論あると思うのですが、書きたいと思います。悪いのは自分に指摘してきた周りの女たちでも、SNSでも世の中の風潮でもないと思っているんです。

何よりも他人の価値観に振り回されてきた私だと思うのです。

大人になっても自分の価値観がはっきりしていないからこそ振り回されていたのです。これが世でいう他人軸・自分軸の考え方なのかは分からないのですが、似たようなことは言われているのかもしれません。

では、自分の外見を磨くことは悪いことなの?

それはノーです‼︎全くそんなことはありません。そもそも外見で人を判断することは人間だけの習性ではないと思いますし、本能的にも間違えではないのです。人間は視覚からの情報収集が多いと思うので「外見」を全く気にしないは難しいかと思います。よく恋愛的な質問でも「外見」と「内面」どちらが大切ですかだなんて質問あると思いますが、これって凄く極端な質問ですよね。

私の考え方としては「外面」と「内面」は繋がっているという事です。
私の「外見」を例にして具体的に話していきますね。

「外見」と「内面」は繋がっている

これから書くものは私自身が私の価値観で書いているものです。誰かの前向きな参考になる事は嬉しいですが、ただ落ち込む・傷つくための情報になる事は私の望みではありません。

私の外見のコンプレックスを具体的にあげると顔の場合肌のくすみ、浮腫みによる二重瞼の不安定さ、上顎下顎軽度突出、エラはり等の骨格です。身体は背中の肉、内腿の太さ、かなり絞ろうとしたらどんどん出てきてしまいました。
これらは、極度の姿勢の悪さが引き起こす特徴でもあるのです。私はかなり小さい頃から姿勢が悪いです。ある意味座学が多い子供が姿勢が悪くなることは現代の教育方法の賜物のようなものですが、、、笑

ただ、私の場合原因は座学や絵を描く事が日常であっただけではないと思うのです。小さな頃から、何かと「恐怖症」を抱えていた私。いつも何かに怯え、人の目も気にして常に筋緊張し、交感神経優位で生きてきたであろう私が姿勢が良くなるイメージって誰も湧かないと思うんです。そんな私は、小学生の頃から食いしばり・歯軋りに悩まされ歯並びはよかったはずなのに私の顔下半分は歪んでいきました。

また姿勢の悪さは、内臓の働きにも関わるため、私の場合婦人科系をはじめに様々な症状に悩まされてきました。勿論原因の一つと感じているだけでそれが全てかは私も分かりませんし、それは医師でも分かりません。

人に優しい人間は外見も綺麗に

簡単に私の身体について説明してみましたが、どうでしょうか。我ながらニコニコ明るく優しいと人だと周りから言われてきましたが、私はそうは思いません。自分のこと(怯える対象が多い人生)に必死で素直な気持ちで周囲に優しさや気配りを出来なかった私が「内面」が良かったかといったらどうでしょうと考えてしまいます。

今は30歳になって心を入れ替えて、余裕もあり、人に優しくできるようになってきたので、今後は姿勢もよくなり自律神経が整うことで、外見は変わっていくと思うのです。そこに加えて姿勢改善のための体操をしたり、詳しい方の話も聞いて勉強中です。成長過程で歪んでしまった顔の骨格はもう戻らなくとも、血液循環が良くなることによって浮腫みも減り他の部分もこれからどんどん健康的に美しくなる自分が見えてきます‼︎

筋力トレーニングも脳内ホルモンの分泌に関わる等、外見を磨く事は内面に繋がることは明らかになっています。人が外見を重要視しているのは、遺伝子的な要因に加えて、「外見」が心の健康さ、「内面」にもつながることが分かっているのではないかなと考えるようになりました。

改めて考える「ルッキズム」

このテーマを考えていくと、いかに今までの自分が悪い方向で「ルッキズム」に振り回されて生きてきたかが露呈されていきました。人の価値観というものは、成長する過程での周りとの関係性で構築されていくものだと思いますが、私の場合、他人の価値観だけに流されて生きてきたということなんですね。なので、姿勢の改善や筋トレでなくとも、化粧や整形・オシャレに関して自身が本当に大切であると感じている上で見た目を追求していく姿勢はとても素敵だと思います。

こんな私でも、趣味であった服やヘアメイクに関しては他人の価値でなく自分の価値で選択できていたことがわかりました。今では、自身が身につけた色彩感覚等で、人に似合うものを選んだり相談に乗ることがとても好きになっています。

まとめ

  • ルッキズムとは「外見至上主義」のことである。

  • 他人の価値観に振り回される人が「ルッキズム」に振り回される傾向があるのではないか

  • 「外見」を磨くことと「内面」を磨く事は繋がっている。

  • 大切なのは自身の価値観を大切にすること。

kosoboso

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