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1102 凝縮

なんで本が好きなのだろう。
両親が教員だったこともあり、幼いころから身近に本はあった。
絵本の読み聞かせをしてもらった記憶もかすかながらあるし、基本的に本を買うのであればお金は出してくれた。
(仮想歴史ものにはまったときに「まず正史を学んでからの方がいいのでは?」という指摘をもらうようなことはあった。)
とても恵まれた環境だったと思う。

小さいときからずっと触れてきた単なる慣れ、習慣ということは当然ある。
例外はもちろんたくさんあるが、日本人はみんな基本米が好きだ。
好きというかあって当然のもの、空気に近いものと感じる人も多いと思う。
私にとって本もそのようなものかもしれない。
ただ、年齢を重ねて趣味趣向も変化し、テクノロジーが進化して新たなエンタメが湧き出てくる中で、まだ本が好きなのは別に理由があると思う。

1つは、本は個人の思想が強く凝縮されたものである、という点は大きいと思う。

昨今2次元3次元、オフラインオンライン掛け合わせ色んな表現方法がある。
その中でも、多量の文字(+絵)のみで個人の考えたものがまとめられた「本」というものには、とてつもないエネルギーが込められている。

例えば映画であれば、俳優がいて、脚本家がいて、映像技術がいて、衣装担当がいてと分業されており、どんなに監督が圧政的に作品を撮ってもだれかの存在が載ってくる。当然だ。多くの人が入ってくるのだから。

Youtubeもそうだ。どんなに発信者がテロップや特殊効果などを駆使してクリエイティブな動画を作っても、それは大きな一つの大企業が準備したプラットフォームが提供する機能やアルゴリズムの影響を受けた表現になる。

もちろんそれぞれが悪いわけではない。それぞれが良い。
私は映画もYoutubeも好きでよく視聴する。

本は(基本的に)一人の作家が、数万字をかけてテキストのみで自分の思想を世に投げかける、というある種狂気的なメディアだと思う。
文字であるため表現方法が限定されており、その枠内で読者に脳内で映像を見せ感情を伝え音を聞かせるという努力がなされる。
そこにかける作家の熱量は常人にはまねできるものではない。

私は疲れているときあまり本が読めない。
私にとっては作家の熱量に応えるためには一定の心身の余裕が必要なのだと思う。
そういうときは動画、映像作品の方がすっと入ってくる。

あくまで私の場合は、です。
だし、おそらく私の好きな、これまで読んできた本がそういうジャンルが多いというだけかもしれない。
疲れているときほど本を読み漁るという人もいるし。

本屋を開いたのでこれからより多くの本好きの方に会えるのかな、と期待している。
新たな本の楽しみ方も教えてもらえるのだろうとも思っている。


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