見出し画像

カナダ逃亡記#6:アメリカに仕事見つかる!

<カナダ逃亡記#1>はここから

ひたすら就活/Destination America

2010年3月から7月頃までひたすらアメリカに就職先を探した。
妻も僕も2002年までニューヨークに7年〜10年ほど暮らしていたこともあり、目的地はどうしたってアメリカだった。

サンディエゴの子供用品仕入れの会社だったり、ニュージャージーで「何か」を製造する会社だったり(何を製造してたか覚えてない)、デタラメな選択で、とにかくアメリカで仕事ができれば、しなければという思いだけで、スカイプなどで面接を行った。いくつかの会社では面接をパスし、しかし、最後でダメになるケースばかりだった。

自由の国、アメリカ。一回もぐりこめば、なんとかなるだろう。
だって僕はアメリカにいた頃は、様々な不法入国者を見てきたから。中国人、メキシコ人、ブラジル人、みんなしぶとく生きている。おそらく世界で一番、不法入国者を抱えている国だろう。みなそれぞれが自分の責任で、政府にたよることなく生きている。とにかく5年、日本に帰らなければいいのさ。いいや、もしからしたら一生住んでいてもいいんだ、アメリカなら。そんな人、いくらでもいる。故郷は遠きにありて思うものだから…

画像1
ふるさとは遠きにありて思ふもの

カナダが特に住みにくかったわけじゃない。むしろ、寒さ以外では住みやすい国だ。だけど、誰かが言ったように、アメリカに比べてカナダは保守的だ。それはイギリスから独立した国としなかった国の違いかもしれない。

アメリカ(NY)では良いものは良い、という気風を肌で感じる。音楽エンターテイメントのトップに君臨するヒップホップ/ラップの業界も、太り過ぎのデブ(Fat Boys)から始まり、ピンプ(ポン引き)や麻薬密売人、小人(Geto Boys)までが活躍していた。個人的に小人に偏見はないけど、一体どこの世界に「小人」がエンターテイナーとして活躍する場があったのか?小人プロレスとかはあっても、すくなくとも多勢の目に晒されるミュージックインダストリーではないはずだ。アメリカ以外は!

見ためやバックグラウンドだけじゃない、そのインディビジュアル(個人)が如何にオリジナルか、そこを最重要にしているのがアメリカ。誰々の知り合いか、学校はどこを出てるのか、どこのバックグラウンドか、が重要なカナダとはまるで違う!

と、熱くなってしまったが、ヒップホップ/ラップの出自はNYの貧民街で、それ自体がアメリカ全体を表明しているわけでは毛頭ないのだけれど、本人がいいもの持っていれば道は開けてくる、それがアメリカだ、という信念があった。アメリカにさえ行けばなんとかなる!

9.11同時多発テロの時のこと

ニューヨークで2001年まで勤めていたテレビ制作会社の社長に久しぶりに連絡をとってみた。「働かせてもらえないでしょうか?」
もちろん、なぜ僕と家族がカナダにいるのか、という細かい事情は話さなかったし、そのことについては聞かれもしなかった。ただこちらが切羽詰まってる状況だということは伝わっていたと思う。

2001年当時、僕はこの会社を退職した。きっかけはその年の「同時多発テロ」。9月11日朝8時過ぎ、犬の散歩から戻るとテレビのニュースはもうそれ一色になっていた。それから二ヶ月近く、毎日のようにニューヨークのNHKに詰めて取材の手伝いや雑用やらをしていた。日本からも多くのテレビマンが集まった。彼らと仕事をしているうちに、なんだかとても仕事がつまらなく感じてきてしまっていた。映像の仕事はいつも好きだったが、僕の仕事はテレビの仕事、それもニュースよりの仕事。

この時強く感じたことは、ニュース番組はとても作為的だということ。事実を切り取るというより、視聴者を一定の思考の方向にもっていくために映像を構成していく。そのための映像素材をあつめていく。

テロによって掛け替えのないものを失っている人々をみた。テロに乗じてエゴをむき出しで稼ごうとしている人々もみた。正義感のあるふりをして、実は自分の立場をあげようと企む野心むきだしの日本のテレビアナウンサーもいた。

そういうものに触れて自分が疲れていった結果、「こんなことしてらんねーな。自分のしたいことをしないと」と、思いはじめた。またこの時、妻が最初の子供を身ごもったので、実際問題自分の安月給ではどうにも暮らせる目処がたたなかった。

勤め先の社長に退職を願いでると彼はとても驚いていた。きっと僕のことを投げやりな人間だと思っただろう。実際に投げやりだった。
せっかく一年近くかけて取得したH-1B就労ビザも無駄になった。

そんな社長さんに10年ぶりに連絡をとって過去の行為をわび、再び頭をさげて申し出た。タイミングよく、彼も働ける人を探していた。

個人的には僕は彼を全く信用していなかったが、しかし、そこは契約だ。僕は仕事をもらって金を稼いで家族を養うかわりに、彼が僕に望むことをしっかりとこなせばいい。家族の事情を詳らかに説明していなかったが、僕自身は法的にクリーンだったので言う必要もなかった。これはプライベートな話だ。

画像2
近所にあった地面から水の噴き出る公園 夏は子供のパラダイス

ついに仕事ゲット!

そして僕はついにニューヨークに仕事を見つけることができた!
夢にまで見たアメリカでの仕事。
これから先、移民弁護士にはらう費用が5,000ドルほどかかる。トロントからニューヨークに引っ越す費用もかかる。しかし背に腹はかえられない。
日本から自分のクレジットカードを二枚もってきていたので、それで弁護士費用と引っ越しの代金は払った。返せるあては全くない。

しかし、そんなことはどうでもいい。アメリカに行くことができるのだ!
しかも仕事とビザ(ジャーナリストビザ)がもらえて。

「人生は色んなことがあるよな。俺たちも色々あったけどやっとアメリカに行けるね。アメリカに行ったら今よりも大変かもしれないけど、でも昔の友達にも会えるし、きっと良い暮らしがまってるよ。住むならブルックリンがいいな。」
などと妻と話しながら、心はウキウキだった。
ロイ・エアーズの「We Live In Brooklyn, Baby」をFacebookに投稿して、暗にわが身の進展を示したりして楽しんだ。俺たちはブルックリンに行くぜ!

<カナダ逃亡記#7>へつづく

画像3
家の前で花火をしているところ 
BROOKLYNと書かれたTシャツを着ている



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?