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90歳一人暮らしの父への想い⑩

母の命日

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4月6日
今日は母の命日。亡くなってもう16年。
入院してわずか2週間で逝ってしまった母。
もっと沢山話したいことがあったのになぁ。聞いておきたいことだって、いっぱいあった。

今日が母の命日だということを、前日に、念のため父ちゃんに伝えておこうと電話したのだか、電話が繋がらなかった。そこで久子さんにそのことをLINEで伝えた。

久子さんは父ちゃんに母の命日だということを当日伝えてくれ、母の仏壇にお花を供えてくれた。

父ちゃんの反応はと言うと「そうだな~」とただ一言だけ。
えっ、それだけなの!?

認知症が進んできてるのか、ちゃんと覚えていてくれてるのかな…?
びみょ~

デイサービス

その頃、実家では父ちゃんが、お茶を呑むためにヤカンに入っていた、沸騰したお湯を誤って足にこぼし、膝のあたりが少し火傷をしていた。 幸い、火ぶくれにはならなかったのだが、膝は一部皮膚が赤茶色に変化していたそうだ。

久子さんはそれを見つけてくれて、薬を塗ってくれた。 やはり高齢の一人暮らし、色々な心配が増えてきた。

そしてデイサービスに泊まるのは断固として拒否していた父ちゃんだが、デイサービス自体は喜んで通ってくれた。

私も父ちゃんの様子が気になって、デイサービスの施設に何度か電話したことがある。 デイサービスに行っても、楽しそうに何かをしているわけではなく、ただ、横になってうとうと眠っているらしい。

えっ!?そうなの!?

実家は、部屋の中も寒いから、身体を休める場所にはなっていなかったようだ。デイサービスだったら暖かいので、過ごしやすく通っているものの、食事の時以外は、横になってマイペースで過ごしているとのこと。

私の中のイメージでは、デイサービスではお年寄り同士で和気あいあい語り合って、楽しく過ごしているようなイメージだった。
でも、それは人それぞれ。
その人に合った過ごし方を尊重してくれているようで良かった。

久子さんにお願いして、町医者の先生に、最近の父ちゃんの様子を伝えつつ、先生からも父ちゃんの健康状態を聞いてもらった。

近頃、また血圧も高くなっている様子で、不安が募っていた。デイサービスでも血圧が高いせいで、お風呂に入れない日もあるようだ。父ちゃんは「歳だからなぁ」とポツンと一言呟いていたらしい。

先生の言葉を受けて、久子さんは、こんな言葉を父ちゃんに投げ掛けた。
「叔父ちゃん、だからここで暮らすのは大変だよ。コロナにかかってしまったらもっと大変になるよ」

「娘さん達ももっと心配になるよ」

「今ね、先生がね、一生懸命いい病院探してくれているからね」
久子さんがそう言うと父ちゃんは「うんうん」と頷いていたそうだ。

この日は久子さんが用意してくれた温かい食事をペロリと完食したそうだ。
カレーライス。昔ながらのボンカレーだ!

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入所決定

4月22日。
久子さんは元職場の担当者に電話してくれて、父ちゃんを施設に入れてもらえないか、打診をしてくれた。翌日、入所希望者の査定臨時会議があるとのことだった。私も前日からドキドキしていた。

そして翌23日、久子さんからの LINEには
「お待たせ。入所決定!」の文字。

やったー!!
ゴールデンウィークまでに間に合った!

地元の新潟は、GWが田植え時期。実家の周辺も騒がしくなってくる。その前に、なんとか書類を揃えて、入所の手続きを進めたかった。

そして、施設入所が決まったことを、すぐさま私の姉にも連絡した。
姉は脳出血の後遺症もある。姉にはあまり心配をかけたくなかったが、入所するためには、連帯保証人が必要なのだ。
私は急いで母方の従妹のお姉さんに連絡を入れた。今年の冬、実家の車庫が倒壊した際に、すぐに駆け付けてもらった、お世話になったお姉さんだ。

入所が決まった話をすると「それは良かったね。これでひとまず安心するね」と優しく声を掛けてくれ、すんなり連帯保証人になってくれた。

本当に有り難い。

しかし、記入してもらう書類を持っているのは久子さん。書類を郵送でやり取りしている時間がない。

「どうしよう」と考えていると、いとこのお姉さんがこんな風に言ってくれた。

「じゃあ、私が久子さんの自宅に行って、書類を書いてくるよ」
ありがたいお言葉!

そうだった!
いとこのお姉さんたちは、一度我が家の実家の玄関の合い鍵の受け渡しで会ったことがあるから面識はあったんだ。すっかり忘れていた。
ホント助かる。2人で連絡を取り合ってもらうことになった。

私にとって父方のいとこと、そして母方のいとこ。
こんな形で二人が繋がるなんてなんとも不思議。

入所の日程は4月28日に決まった。
それに向けて急ピッチで準備だ!

4月25日。入所に向けて、父ちゃんが施設で過ごす服を久子さんに用意してもらった。
施設内は基本病衣で過ごすことになっているそうだ。レンタルで1日70円で借りられるが、それだけだと生地が薄すぎて、寒いらしい。
そこで軽めのスウェットスーツを買うことにした。

これなら大丈夫だろう…。

久子さんは細かいところまで色々と気にかけてくれ、他にも入所に関することなどアドバイスしてくれた。

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入所に向けて

4月26日。私は久子さんに、あるお願いをしました。

それは…

父ちゃんが施設に入所することになったという報告を、親戚の人たちに私から伝えたい。連絡先を知っていたら教えて欲しいということ。親戚と言っても、父ちゃんのきょうだいで健在なのは、妹の叔母さんただひとり。連絡する相手は、私のいとこになる。

なかには顔も分からない人や、何十年ぶりに話す人もいる。
突然、電話して私だと分かってくれるだろうか?

ビックリさせちゃうかしら…!?
でも少しだけワクワクな部分というか、好奇心が働いた。

親戚以外にも、父ちゃんがお世話になっていたご近所の方や、交友関係を振り返りながらリストアップしてみた。

入所前日の4月27日。久子さんからこんなLINEが…。

「なんかこの家を離れる時がいよいよカウントダウンに入りました。叔父ちゃんがここで何十年過ごしたのか…。家族の思い出をたくさん胸に秘めて、この家を離れると思うと感無量です」

そんな文章に私もジーンとしていると、

「今、叔父ちゃんは何を思っているのか分かりませんが、夕食はしっかり食べました」

ドテッ!

こんなしんみりになる時に、久子さんはいつもLINEの中に笑いをちょっとプラスして私に元気を与えてきてくれていました。


いよいよ

2021年4月28日(水)
本日、施設入所日。

朝、久子さんからこんなLINEが届いた。

そして、父ちゃんが実家を出発する前に、久子さんのスマホを使って電話を繋いでもらった。私は涙がこみ上げてそれがバレないようにするのに必死だった。

ありがとう、父ちゃん。
またいつか必ず会いに行くからね。

久子さんが父ちゃんを車で施設まで送り届け、一切の手続きを無事に終えた後、LINEが送られてきました。

そこには…
「スタッフの皆様とも再会できて私も良かったです」

「叔父ちゃん素敵なプレゼントをくれました」

そうなんです!

偶然にもその日は久子さんの69回目のお誕生日だったのです。

私はそれを知って、ちょっと鳥肌が立ちました。

父ちゃんが親戚との関係が途絶えてしまわないように、

そして私たちいとこの絆を広げ、深めてくれたのかな…とも改めて感じています。

そしてこれを書いている今日(2021年12月31日)の朝も久子さんにLINEし、感謝の気持ちをお伝えしました。

そこには

「本当に叔父ちゃんとの出会いは不思議でした。私も叔父ちゃんとの出会いの中で感謝することがいっぱいです」

「来年もできることは頑張りますよ」という温かく、そして心強いメッセージが返ってきました。

2021年1月23日 夜9時

あの一本の電話からすべてが始まった…。

そしてこの出来事がなければ私はnoteを始めなかったかも知れません。


10回にわたってお送りした「90歳一人暮らしの父への想い」は、今回をもって終了となります。

長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。

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