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与えられた役割は自分で決められる
今日は4歳の息子の保育参観日。
参観日ってどうですかね。小さい頃、自分が子供側でいたときってどんな気持ちでしたかね。
あんま何も思ってなかったな。
親が来るからといって張り切ったり、緊張したりとかはなかったな。
というか、あまり覚えていない。
来てたっけ?家の親は参観日に来ていたっけ?
そんなレベルの行事だった。
まぁ、来てはいたはずだけどね。少なくとも母親は。
参観日って、主役は子供だけどやっぱり見る側が一番楽しみですよね。
演者側より、観客側が楽しみなんですよね。
考えてみれば緊張しそうですけどね。
よく考えれば、親に普段の学校での自分を見られるって緊張しそうです。
緊張とは違うか、単純に「嫌だな…」とか思うかもしれません。
もちろん、4歳の頃にそんなことは思っていなかったけど。
小学校高学年くらいになると、少し嫌かもしれませんね。
中学校くらいになると絶対嫌ですね。
なんでかって、少なからず『学校での自分』と『家での自分』が違うから。
全ての人に当てはまるわけではないけど、多くの人って学校での自分と、家での自分の棲み分けってしてましたよね。
僕はしていたな。家ではクールであまり家族と話さないキャラを演じていたけど、学校ではそれなりにテンションが高いキャラ。
そんな棲み分けをしていた。
まぁ、みんなそんなもんだと思う。
家での自分。学校での自分。
もしくは家での自分と、会社での自分とかね。
みんなキャラを演じているんですよ。
その場その場で自分のキャラを切り替えているんですよ。
もちろん、「自分はどこでも同じキャラで過ごしているよ!!」という人もいるだろうけどね。
それが一番良いんだけどね。
しかし、それでは社会生活がうまくいかない人もいるんですよね。
演じなきゃうまく周りに馴染めない人もいる。
みんな、自分を演じて生きているんでしょう。
そして、常に演じているとそのままその演じている自分が本当になって、本来の自分がなんだったかすらわからなくなる。
いや、そもそも『本来の自分』なんてのは幻想かもしれないですけどね。
だから演じればいい。
自分がなりたい自分を演じてそれが本当の自分かどうかわからなくなるまで、死ぬまで演じきればいい。
記憶しておきなさい。君は演劇の俳優である。
君の役割はただひとつ、与えられた役割を見事演じきることだ。
奴隷の哲学者、エピクテトスもこんなことを言っています。
そうそう、演じきろう。
どうせなら一度の人生、カッコいい役を演じきろう。
そして、打ち上げで本当の自分に戻ればいい。
…さて、本当の自分とは?
おしまい。
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