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比較的ちいさなきずつき


🤢過去のこと
非常に書いていてくら~くおもた~くなっています!でも同じような体験をした人がいるんじゃないかと思って、同じや~っていう人がいてほしくて、届いてほしくて、宇宙に向かって投げるような気持ちで書いている感じがします。


夫婦喧嘩の仲裁

幼稚園の頃からかと思う。
母親に、父親の愚痴を聞かされ、「○○もそう思うでしょう?○○からお父さんに、それとなく言ってくれない?」と、母親の要求の代弁をさせられることが多々あった。小さい子どもがそんなことをしても、後ろに母親の思惑があることなんて絶対父親は分かるだろう。それを感じながら、父親に代弁をすることが気持ち悪かった。

一言多い、否定

小学校の頃から大学に至るまでのことだ。
私はいわゆる「お勉強」が得意な方で、小学校のカラーテストはいつも高得点だった。その時の、自分の中でも奇妙なルールを覚えている。
カラーテストは、表面が100点満点、裏面が50点満点のテストだった。
その両面のうち、どこかで失点をして満点でなかったら、より点数が低い方の点数が見えるようにカラーテストを折りたたんでいた。
例えば、表面が100点満点でも、裏面で50点中40点だったら、裏面の40点が見えるように折る。表面が80点、裏面が50点中45点だったら、より割合的に点数の悪い80点が見えるように折る。

できなかったということを主張する自分のせいでもある。今振り返ってみて、自分の傷を作るようなことをなぜしたんだろうとも思う。
でもおそらく、ミスを隠すような自分がものすごく嫌だったんだろう。この時点で完璧主義の片鱗が見えるが…。

家に帰って、母親に折りたたんだ状態のカラーテストを見せる。母親は、両面とも満点の時は誉めてくれたと思う。
一方、表面が100点、裏面が40点だった時も、そんなに怒られた覚えはない。でも、「もうちょっとこうだったら良かったね」と言われる。そのたび、表面の100点を全く認めてもらえず、欠点だけを掘られる感覚だった。

大学に入っても同じようなことがある。
私の大学は、学期が終わるたびに成績表がインターネットから印刷できる。逆を言えば印刷しなければ毎期の成績を申告しないでも済むのである。でも、大学に入っても成績を認めてもらえることへの期待を捨てられない私は成績を見せる。
大学生になってもやっぱり「お勉強」は苦手ではなく、いつからか身に着いた潔癖、神経質、完璧主義のせいか、評価はほとんどが「秀」、ちらほら「優」「良」という並び。
沢山ならぶ「秀」について、母親は少し褒めてくれる。それだけで良いのに、所々に散らばる「優」「良」の詳細を尋ねられる。どんな科目だったのか、あまり身が入らなかったのか。
そのたび、良いところは認められず、悪いところだけ取り出して見せびらかされている気持ちになった。

Q.この傷つきやすさはなんだ A.呪いかも

ここまで書いていると、「別にいいじゃん…」という気持ちになってくる。良い結果を褒めてくれないわけではないし、最良の結果でなかった所に対して指摘されることで、より良い結果を求めて努力するという自分になれたと思う。

それにしたって、欠点を指摘されることへの傷つきやすさはなんだろう。
カラーテストの失点にしたって大学の成績表にしたって、自分から見せているくせに、良くなかったところは自分で分かっているから親には一切指摘されたくない、良かったところだけを認めてほしい、と思ってしまう。

それは、自分で自分を認めることができないからかもしれない。
私のたちとして、自分を追いこんで追い詰めることしかできない。
いつからそういうたちになったのか分からないが、とにかく自分は、自分の欠点を直視して、傷ついて、こんな自分は嫌だと追いこんで追い詰めることによって、今までの人生の成果を出してきたように思う。
人生の成果といっても大したことは成し遂げていないけれども。
人生の成果というよりは成功体験、かもしれない。

成功体験の手に入れ方が、「追い込め追い詰め」という非常~にネガティブなやり方だから、マイナスかけるマイナスのプラスというプラスの出し方しかできないから、身近な存在、親とか友人とか、にはプラスだけを与えてほしいのかもしれない。
というか、本来親はそういう存在であるべきと思う。無条件の承認
でも、自分の感覚として手放しに誉められた記憶はなくて、細かな欠点を指摘された記憶ばかり目立つ。

ここまで書いてみて感じたけど、私のネガティブなあり方、つまりマイナスかけるマイナスでしか自分にプラスを見出せないのって親から受け取った物事の捉え方そのものでは…?
それに、些細なネガティブを他者から敏感に察知して傷つくのも、幼少期からの小さな傷つきー認めてほしいところを認めてもらえず、小さなネガティブを取り沙汰されて毎回手渡されてきたことーを毎回再体験しているからでは…?

ウワ~~~~呪い!!!!
でも、今わたしが持っているやりづらさ、生きづらさを、母親の養育のあり方に帰属するのは、いかにも自己中心的というか、人のせいにし過ぎな感じもする。
でも、そうしたくなってしまうような大きな傷つきがあった、と思う。

それについてはまた改めて。2投稿目にしてだらだら長文が過ぎるので…(笑)


というか、PCのキーボードでだかだか文章打つのめちゃめちゃ楽しい~!!
絶賛卒論激焦り進め中なので、卒論以外にタイピングできるのは息抜きになってよいですね😚これからもちょこちょこ投稿していきます~!


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