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1年でクビのADHDの僕が、起業できた話


僕自身、ADHDと診断を受けてから、会社に入社し、半年で休職してクビ。そして良いメンターを見つけ、ビジネスを学びながらADHD起業の専門家として活動するようになるまで約3年かかりました。

それまでには、50万を2週間でふっとばしたり、変な詐欺にあったりと様々な出来事がやってきます。そしてその経験の中で得たことは、ADHDは好きをビジネスすれば成功できるということです。

ただ、恐らくいきなりそんなこと言われてもADHDのあなたは『そんなの無理に決まってるでしょ!』と思うかもしれません。そこで僕が起業するまでのお話をしながら、なぜ僕がそういう考えに至ったかを説明していこうと思います。

見出しは、外国人のお友達と食べた外国製の餃子です!どこの国か忘れましたw


ダメ人間だと思っていた僕はADHDと診断受けました。

ADHDと診断受けることのメリットは、大学を卒業して間もなく、心理検査を受けまして、ADHDという診断を受けました。僕自身ですね、この診断を受けて正直ですね、ちょっと不謹慎かもしれませんがホッとしました。なぜなら、今まで僕が努力してうまくいかなかったことは、ADHDのせいなんだということが見つかったからです。なので、これまで頑張ってもうまくいかなかったりするのは自分のせいではないということがわかりました。本当に何かこう安心できる気持ちでした。

もちろん、障害のせいにしているという何かちょっとした罪悪感は多少ありましたが、心理検査を受けて診断を受けると、グラフで自分のできない部分と自分のできる部分が明確になります。なので、僕みたいな平凡な人間にでもできることがあるんだということがわかったのが一番安心したところです。これを活かせばいいんだということが分かりました。

そして、この悪い部分、このADHDの症状と言われる部分に対策をすれば何とかなると、本当に希望が持てた時でした。僕が調べたADHD対策の方法を徹底的に調べて対策していけばいいんだというふうにも、時は安堵したのをよく覚えています。僕は過集中を使って、いろんな対策方法を会社に入るまで試しました。

とにかく今までと同じ失敗を繰り返さず、人とうまくコミュニケーションをとれるように、短い期間の中でも万全の対策をして、この会社に入ろうと決めました。

調べると、2014年当時は大人の発達障害に関する情報がまだまだ少なかったので、海外のサイトから多少の英語を理解して、例えば周りの音が気になって集中できないときは耳栓をするといいとか、書類のチェックをするときには定規を使って焦点を当てるといいとか、言われたことをよく忘れてしまうので、肌身離さずメモを持つといいとか、忘れ物がないようにホワイトボードに文字や絵を書いて覚える方法も試しました。

そして、会社に入って上手くいかなかったらまた改善方法を考えればいいという気持ちで通うことを決めました。

しかし、会社に入社してから、「ADHD」とカミングアウトしたら入社早々クビになりかけました。また、会社に通う時にも揉めました。実は、大学院生の時に入社試験で遅刻してしまったことがあります。社長や役員の方たちからはかなり厳しい状況での入社となりました。

だけど、役員の中には、会社に理解があり、サポートしてくれる方もいました。その役員の方にも良くしていただいたので、恩返しがしたいという気持ちで、障害を抱えながら会社で頑張っていこうという気持ちが強かったです。

しかし、会社でのADHD対策がうまくいかない理由もあります。例えば、メモを取っても忙しくてメモをとる暇すらないということがあります。また、耳栓を使っても、電話取りなどの仕事との兼ね合いでうまく機能しないこともあります。

なので、本当にあのどうしたらいいかわかんなくて、それでさらに他の上司から「これやってくれ」という指示も受けますよね。

もちろん、新人なので気を使って頂いたこともあるんですけれども、どうしても避けられないこともあると思います。

なので、耳栓をしようとしても、そもそもできないっていうことがあの状況としてはかなり頻発してしまったということですね。

そして、ADHD対策する気すらなくなる理由で、さらに忙しくなってくるともう対策どころではないんですね。

もう何も対策すらするやる気や僕は起きなくなってしまいました。

本当に僕はやる気がなくなると何もできなくなってしまうんですね。正直、考えることすらめんどくさいと思ってしまうこともよくありました。

なので、会社から疲れてそんなに大した仕事はしてなかったというふうに思います。でも、ほんとに一生懸命に行ってたので、もう帰ってきてご飯作る余裕もなくて、今思い返せば一人暮らしをしていたんですけれども、1回の料理ってしたことないと思うんですよね。

一人暮らしだから、いつもどっか牛丼とかを食って、それでもうあとは部屋で寝て、着替えすら面倒くさくて、シャツを脱ぎ捨てて、パンツとシャツで練るみたいな恥ずかしい状態でした。

そういう状態なので、正直まったく余裕がなかったです。普通の人から見たら、そんなぐらいしかやってなくて、よくそんな余裕がないなんか言えるな!というレベルだったと思います。

でも本当に苦手なこととか嫌なことをやっていたので、本当に余裕がなかったんですね。なので、何とか対策を重ねていって、まあ普通の人よりはレベルは下かもしれませんけれど、なんとか会社で生きていけるだろっていうレベルまでなんとかこの数ヶ月間で会社に入ってからなってきた風に思うんですけれども。

決定的な出来事がありました。それが契約書の金額を2桁間違えるという事件です。

それから朝起きて会社に行くっていうことができないわけです。だって皆その普通のせいやってますよね。僕はもう完全にダメでした。体が動かないくるわけです。でそれで責めれば責めるほど段々なウツになって言って、ついには一人暮らしの部屋から出てくれないっていう状態になりました。

お恥ずかしい話もう数週間ほぼ寝たきりですね。ご飯を食べるために外に出てその時だけ動けるってのは本当に自分でなんて情けないんだろうなとよく思っていたんですけれども、とにかく生きなければいけないので食べてみたんですが食欲がなくなってくるわけです。ついには会社でもあまり連絡を取れなくなってしまって実家に連絡が行くようになります。

で親にも部屋に来てもらったりとかして本当に大人になったのになんて情けないんだと言う気持ちでした。もう生き方すら分からなくなりました。正直もうどうやって生きていけばいいかわからないっていう気持ちでした。考えてみたらわかると思うんですけれども、会社にも半年後に休職したん一年も通えないわけです。僕自身スーパーをバイトでやりましたけども、それも3日で辞めています。止めてしまったりとかもレジ打ちとかも本家パニックなってしまっていました。

なので生きるって事はお金を稼いでいかなければこの資本主義では生きていけないってことは明確なので、どうやって生きていけばいいか本当には分かりませんでした。

そんな時に散歩をするといいっていう情報を聞いてとにかく散歩してみようということで、なんとか朝起きれたらまず朝日を浴びるようにして散歩するようにしました。散歩すると面白いんですけれども、とにかく自分が歩きたいように歩くと暗い気持ちからだんだん明るい気持ちにまあ変わってくるってことが出てきたんですよ。

その中で確かに会社員として雇われて働くことをずっとやっていたんですけれども、自分でビジネスを作ってそれで個人事業とかで働いていくっていう方法がまだあるじゃないかってことに気づき始めるんですよね。

なぜADHDは自分でビジネスをすると良いのか?ビジネスをすれば会社でも活かせる。運が行くことにちょうど親が自営業をやっていました。この親も手伝いをしてみるのはアリかもしれないというふうに思い始めてきたんですね。

なのでまず一人暮らしをやめました。今はちょっと無理だろう、、、と親の力を借りながら何とか生きてまずはゼロからまた再スタートするしかない、ということで実家に帰って休職期間は家の手伝いをしながら会社の勉強もしながらなんとか会社に復帰できることを考えながら、もう一回生きる道を探してっていう風に考えました。

なのでまず僕は考えたこととしてはこの手伝いをしながら自営業とか自分でビジネスをやるということなのか学ぶってことをしました。でこの時はまだ自分でビジネスをするっていう方向には完全に決めていませんでした。この自分ビジネスでやるということはその会社での仕事の一通りを学ぶことなのかなと思っていたので、それを生かせば会社に戻った時にも仕事ができるんじゃないかなというふうに思っていたんです。

なのでとにかく今の自分にできることでいろんなビジネスに挑戦していこうという風に舵を切り替えました。

一つ目に考えたのがホームページの作成ですね。親の業界はパソコンが得意では無い人が多かったのでホームページを作ってそこから仕事をもらえないかと考えてまずホームページをやってみよう!と決めました。また商品を無料のネットショップができるっていうのでも販売していこうというふうに思いました。またこの当時からエアビーアンドビーで民泊で自宅に外国人を泊めてそれることをやってみました。

ここから色んなビジネスのアイディアがなんとなく思いついてきてビジネスコンテストに応募してみようかなーってことで実際に応募もしていました。

こういう風にビジネスに挑戦していくと楽しいんだなってことに気づき始めました。

なぜならいちいち会社だったら何か新しいことをやろうと思ったら上司に確認する必要ありますよね。特に決裁権とかない新人にとっては確認してやらないと会社からお金をいただいてやっているのでその分の時間というのは会社の時間だと考えいました。本当に会社の時間はとにかく会社のために捧げなきゃいけないと思っていたんですよね。その中でこんな風にビジネスっていうのは一人でやってるんで確認するのは自分でするわけです。なので本当に自分のやりたいようにできるって事にこの時初めて気づきました。

そして何をしても誰にも文句は言われません。もちろん逆に怒ってくれる上司がいないということで自分で動かなければいけないっていうのもありますけれども、文句言われないというのは本当にいいことだなぁと今でも思います。そして毎日満員電車に乗る必要もないってことですね。

特にぷちウツになった時っていうのはもう電車に乗れないわけです。電車に乗って途中で降りれないという恐怖が当時はありましたので。しかもその中で満員電車ってのはきつかったんですけれども。必要ないのでだからこそウツの期間中でもビジネスができたという風に思っています。

ADHDの僕がビジネスを初めて気づいたことは、最後が起きる時間も自分で決められるということですね。僕はビジネスをやる上では逆に習慣がつかなくなるので、起きる時間は決めた法がいいと思っています。けれども、会社に決められた時間ではないという訳ですね。自分で自分の起きる時間をすべて決められるということです。とにかく、この自分で決められるってとこですね。これがはじめて自分の人生を自分で動かしてるな、っていう実感が得られたっていうことです。

今まで、いかに学校とか会社から自分の人生を決められているんだ、ということがよくわかりました。これ1人ビジネスやっていて、本当はもっと自分で決められることがいっぱいあるんだってことについてきたんですね。本当に楽しかったです。

ただ、ここで問題が起きました。それは飽きてしまって続けられないということです、、、ADHDがビジネスをするときの注意点(ワナ)は、好きなことじゃないと続かないことです。例えば、ホームページをまがりなりにもなんとか作って本当にお問い合わせも来るようになったんですけれども、対応する気にならないわけです。メールを返信しなければいけないんですけれども、やる気がないんですね。めんどくさいんです。なんかめんどくさい。メールが来て『あーこれどうやって返そうかな』と考えているうちに時間がたってしまってもう止めようと『ちょっと後にしよう』となってそれが1日すぎると余計には悪いなぁと思ってなに返そうかなと思って考えてしまってまた返さなくなっての悪循環が生まれていて、結局、問い合わせではなくて電話が来てしまうってことも何度もありました。

そして、商品がネットショップで売れたとしても、段ボールに商品を入れて梱包するっていうのは本当に面倒だったんですよね。物販やったことがある方ならわかると思うんですけれども、ギフト用だとやっぱり箱でもちゃんと綺麗な箱で届いた瞬間にお客様に喜んでもらうようにきれいにやらなきゃいけないんですけど、そういうのはなくて興味がなんてできなかったんですよ。そして、多分それだけじゃなくてもっと積み重なっていくなぁとそのうちもっと手を抜き始めて、多分、本当にそのうち梱包しても送らなくて『いつ来るの?』みたいになっていたなというふうに思います。

そして、ビジネスコンテストに応募して、ちっちゃいコンテストだったんですけど、優秀賞もらって有名な社長さんとか起業家の方から『これやればいけるんじゃないか?』ということを言われるんですよ。そう言われてるにも関わらずやる気にならないということですね。なんかしっくりこない。確かに儲かると思います。

今でも自分が作ったビジネス儲かるんじゃないかと思うんですけれども、やる気にならないっていうことなんですよ。で、さらに地元で販売会があって、実際のお客様に会ってその販売するイベントがあったんですよ。それ朝起きれなくなってしまって遅刻してしまうということですね。これが起きてしまってもうこのままじゃまずいな、、、と思いました。

副業を会社と並行してやっても飽きてしまったりしてできないとか、始めてしまってもすぐに飽きてしまうとか、副業をやる前に勉強しようと思ってもやる気すら大きないとか、前の僕みたいにちょっと稼げたとしてもそれでもう満足というかこれ続けられないなぁという感じになってしまうってことですね。僕も同じような状態に陥りました。

こうやって悩んでいる時に、メンターと出会いました。このメンターの方は年収1000万以上稼ぐ起業コンサルタントの方です。この方はとある大企業の部長をされていたので、サラリーマンと起業家の世界の違いをよくご存知なんですね。で、この人はこう言っていました。

サラリーマンで変な人は絶対に成功できないと浮いてしまう。そしてその上にいるのが普通の人ですね。そしてその普通の人の中で会社の意向に沿ったとか会社で何やりたいかとよくわかった人ですね。この人がすごい人としてもてはされると・・・。だけれども、起業家では全くの逆で、起業家では普通の人のような周りと同じ仕事をする人には価値はありません。そうではなくて変な人ですね。周りとは違って変なことをする人。この人が実はすごい人に一歩手前なんです。

この変を極めていけばすごいすごい人になれるってことを言っていました。で、この話を聞いた時にですね、このADHDっていうのは変な人なんだ。ADHDでもいけるんじゃないか!という風に思ってこの想いをメンターの人に言いました。そして、ADHDならいける!というふうに言われて、じゃあ起業教えるのやってみようかなと今までの経験もあるし、これやってみようと決めました。

なので、親の手伝いを一切やめて、ADHD起業の専門家としてビジネスを始めることにしました。この辞めるという決断したことが重要でした。もちろんやめると決断したからといってすぐに0にしたのではありません。もちろん、僕は仕事をチェンジというかシフトしていくのはもちろん、辞めると決めたことは本当に大きかったと思います。で、ADHD起業の専門家として活動することを決めてビジネスを始めることにしました。

「ADHDの僕がビジネスで上手くいってる理由は、最初は寝ながらブログを書いてました。正直ですね、実は家業の手伝いもうまくいっていなかったことから、また落ち込んでしまってかなりウツの状態まで落ち込んでしまったんです。なので、実は起業のスタートっていうのは抗うつ薬と睡眠薬を飲みながらのスタートでした。

正直ですね、布団の中で寝ながらブログを書いてあることもあります。この当時もとにかく朝起きてまずパソコンを見て無理やりブログを書くということも最初の1ヶ月間くらいはやりました。まあ好きなことや興味あることだったので、それを今の自分に無理なくできることをやっていこう!

として、これを積み重ねていった結果ですね、3ヶ月で72万を受注することができ、9ヶ月目には月商100万円を突破しました。そして、2018年12月の時点でADHD起業の専門家として3年目を迎えることができました。

このように続けることができたんですけれども、この経験からなんでADHDの人は続けられないのかということですね。単純かもしれません。でも一言でいうと、嫌なことをやっているからと思います。どんなに儲かるビジネスで周りの人から『これやって』とお願いされたことでも自分自身が好きじゃなかったら、嫌なことだったらやっぱり多くのADHDなんかも見ていて続けられないんだなってことがご自身の経験からよくわかりました。

なので、大切なことは好きなことをビジネスにする。これがADHDの成功法則だという風に今では本当に確信しています。

実際、僕自身この好きな事をビジネスにしてからの生活をこれはあなたの参考になると思いますので、ちょっと紹介させてもらえばなというふうに思います。

基本的には、僕は今自宅で仕事をしています。2018年12月時点では、実家からも出ていまして、シェアハウスに住んでいました。シェアハウスに住んで、今色々なフリーランスとか友達とかですね、などいろんな人と仲良くさせてもらってます。あと、部屋で落ち着かない時は、カフェに入って、それでこうやって仕事をしながらも生活しています。

また、海とか山とか言ってちょっと気分転換もしてます。集中できないこともあるので、海に行ってたまにこういった、ペンを片手にアイディアなしですね。また海だけではなくて、山でもですね、山のベンチなんですけれども、山に登ってそういう間高い所でやるとやっぱり気分も変わるのでこういうところでiPadとバッグで持って奥にあるのはホワイトボードノートですね。

まあこれADHD対策の一つで買ったものなんですけど、でもやっぱりノートとかいっぱい持ってると無くしてしまうので、コレ実はあの数枚で全部ホワイトボードで書いたら消せるんですね。なので、アイディアを出してiPhoneで取ってそのデータをパソコンで保存して何度も使えるのでアイディア出しをしたりとかしています。

また、仲良い友達もできまして、シェアハウスで演奏させていただく機会も設けていただきました。実際にまた起業家の方とですね、一緒にですね、こういう感じで演奏する場も設けて頂いたりとかしました。

昔は本当に趣味をやる余裕もなかったんですよ、僕ピアノが唯一の趣味でスポーツができなくてウツでピアノもできないと思ったら、『これ本当にやばいな』と思っていたんですけどもまあこういうこともできるようになりました。

まとめ:自分の感覚を取り戻せばADHDは才能になる!

今までのお話からも分かるように、僕はADHDの中でも頭がいいわけでも根性や気合がめちゃくちゃあったわけでもありません。体力もなくて完全に不注意優勢型の何も取り柄がないADHDだと思ってました。

でも、とにかく今の自分に無理なくできることを積み重ねていって、好きをビジネスにすることによって今の生活が送れていると思っています。

もし、あなたがビジネスを始めようとしたり副業が全然続けられないのだとしたら、あなたの感覚に合ったことじゃないからなのかもしれません。また、あなたが会社で上手くいかない理由も、僕と似たような理由なのかもしれません。

でも、たとえあなたが上手く会社で働けなかったとしても、まだビジネスをするという道は残っています。そしてADHDに合った正しいやり方と正しい順番さえ知れば、人によって時間のかかり具合は違うにしろ必ず結果はついてくると僕やADHDの仲間を見た経験上から考えています

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