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コップの中の水をどう解釈するかは大切なのか

アクセスありがとうございます。
越路つぐみです。


写真のコップには水が入っています。
皆さんはこのコップの水の量を見て、「これしかはいっていない」、「これだけはいっている」どちらを感じるでしょうか。


私は基本的には、「これしかはいっていない」ととらえる人です。


一時期にどんな文脈か覚えていないのですけれど、「こんなにもあるんだ」ってとらえられるといいねと助言をもらったことがあり、自分の認識の仕方にアプローチをしたことがあるのですけれど、やっぱりどう考えても「これしかはいっていないよね」から抜け出すことはできませんでした。


そこでふと、「これしかはいっていない」だと何がまずいのだろうと考えるようになりました。


もしかしたら、自分の恵まれていることに気づかず、もっと欲しいとねだることもあるかもしれませんし、人と比べてねたんでいじけるかもしれませんかね。

そこでもうちょっと考えてみて、「これしかはいってない」ととらえたとしても、自分が恵まれていることに気づいていればいいし、人と比べてもねたまなければいいじゃんというところに落ち着きました。


加えていうなら、「これしかはいってない」なら、もっと入るために何かできるかななど、新しい発想を得ることもできるかもしれません。


どう解釈するかは千差万別ですし、解釈の土台になっているものも、個人の事情があると思います。
それらを踏まえたうえで、自分にも周りにもちょっとだけでもいいので、役立つことであったり、楽になる方向であったり、原動力になるものにつながるのであれば、どっちでもいいのでは?と考えています。


ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またの機会に。

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