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窓辺の紫煙

 ヒトの指は10本は一般的であり、キツネの血筋が入った自分のような種族は8本が一般的だ。ヒトからすると指が8本ということは物凄く不便に見えるようだが、自分はさらに少ない。私には指が7本しかない。指が一本少ないというだけで出来ないことは案外多い。しかも欠損しているのは利き手である右手の端から2番目で、ヒトで言うところの人差し指というものにあたるらしい。7本指であることは自分にとってコンプレックスであり、何より純粋に不便だった。近年ヒトと私達のような獣人が交わるようになり、ヒトには義手というものがあることを知ったときには一瞬希望の光が見えたが、身体生理的な機構が違うため獣人には使えないと言われて悲しみに暮れた。

 しかし今日は1つ嬉しいことがあった。初めて煙草を吸うことが出来たのだ。
 疲れて何もかも忘れたい時にヒトは酒を飲むが、獣人にとってアルコールは毒と同じだ。そのためしばしば獣人はマタタビやタイムなどの煙草を嗜む。しかし私はたった1本指が足りないというだけで、煙草を保持するのが難しい。友が流行りの煙草を吸ってご機嫌になっているのを見ると羨ましく思わずにはいられない。そして、恨めしく思う。
 いつも通りの帰り道、たまたま気分転換にいつもと違う路地を通るとイタチの行商がいた。何の気なしに見ると、獣人用ともヒト用とも知れない雑多なものがいくつも並んでいる。そこに、何かはわからないが目を引くものがあった。行商に聞くと、ヒトが使用するもので、「シガレットリング」というらしい。ヒトの身具の一種で、輪になった部分を指輪のように付け、そこから伸びるホルダー部分に煙草を差し込む仕組みだという。ヒトにとっては優雅さを演出するアクセサリーの意味合いが強いらしいが、指の少ない獣人、特に自分のような指の欠損した者にとっては、存在しない指がそこに現れたかのような感覚があった。叫びたい程の興奮を抑えながら購入の意を告げた。行商は慣れた手つきで品物を包みながら私を一瞥して、言った。「折角ですから、こちらのイヌ薄荷の煙草をサービスいたしましょう。きっとお客様もお気に召すかと思います」

 丁寧に包装された袋を抱きかかえるようにして歩いた。いつもは自分の手を見るだけで暗澹たる気持ちになるのに、今はただ道を歩いているだけなのに少しニヤけてしまう。
 通りがかり、喫茶店の窓から中が見えた。常連らしい客が煙草の煙を燻らしながらコーヒーを飲んでいる。これまでならイソップ寓話に出てくる酸っぱい葡萄のご先祖様が頭が過ぎり、私は誰に対してでもない悪態をつきながら居心地悪そうに小走りで通り過ぎたに違いない。「ご先祖様、私はとうとう甘い甘い葡萄を手に入れることが出来ましたよ」と心の中で唱える。
 家に帰り、家にある中で一番上等なインスタントコーヒーを淹れて早速紫煙をくゆらせる。苦く、甘く、自分の語彙力ではうまく表現できない複雑な香りが鼻を抜けていった。そして、盛大に咽せた。落ち着くと、なんだかおかしくなってひとしきり大笑いした。こんなに愉快な気分になったのはいつ以来だろうか。


 何年か経ち、今では夜にコーヒーを飲みながら一服するのが習慣になった。もうすぐ夜が明ける。窓辺に立ち、追加で一服する。また新しい一日が始まる。今日はどんな日だろう?か。煙草を吸い終わる頃には、今日の天気も、その日の予定も全て明らかになっているだろう。
「ふぅ…………」
心地よい疲労感とともに、煙草の先端が赤く光り、灰が落ちていく。
その瞬間は、まるで自分が煙草に支配されたかの如く、煙草の事しか考えられなくなる。

また一本、新たなる幸福が灯された。

落ちる灰のことも気にせず、空が白んでいくのをずっと眺め続けた。

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JMoF のストコン(ケモノストーリーコンテスト2022、テーマ「7」)に応募しようと思っていたもの。設定や構成が練りきれず筆も乗らずで完成せず。ずっとモヤモヤし続けていたので供養。文章を書くのは久方ぶりなので、リハビリと思ってご容赦いただきたい。

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