家族という概念は溶けていく
人間は生きている限り、コミュニティに所属する。
家族、会社、地元の友達、趣味のサークル。
最近はシェアオフィス、シェアハウス、オンラインサロンも大きいコミュニティになってきている。
5日前から福岡のシェアハウスに入居した。
3年前「シェアハウスをやりたい」と思って鎌倉のシェアハウスに住み始めた。
住んで半年後には自分で運営し始めた。
札幌に戻って初めて就職したときは、シェアハウス12棟のコミュニティマネージャーから仕事が始まった。
多分普通の人たちよりは、だいぶシェアハウスに関わってきた人生だと思う。
面白くてしょうがない部分も、めんどくさい部分もたくさん見てきた。
5日前から住み始めて「あぁ、やっぱりシェアハウスだな」とヒシヒシと感じている。
家族って血の繋がりなの?
シェアハウスの住人が「家族」でもいいんだよな、と思う。
もちろん今のシェアハウスの住人はたまたまいっしょに住んでるだけで、好き嫌いが発生する。
でももっとアグレッシブに好きな人たちと「いっしょに暮らす」ことを選んだとき、それは「家族」と呼んでもいいんじゃないかな。
自分の「好き」を主体にした理念を掲げてもいいと思うし、もっと何かに向かう理念(シングルマザーが豊かに暮らすとか)がある場所をつくってもいい。
血の繋がりだけが家族じゃない。
広辞苑で「家族」を調べると
夫婦の配偶関係や 親子・兄弟の血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団
と出てくる。
Familyの定義をOxford Dictionariesで調べると、
1 ふた親とその子たちで、ひとまとまり(ひとつの単位)として一緒に暮らしているものたち
1.1 血縁や結婚によって関係づけられた人々
2 共通の先祖を持つ全ての人々
3 関連性のあるものごと
となる。
家族の定義はもっともっと柔軟でいい。
生きる場所が選びやすくて、自分の好きなものでコミュニティが形成しやすい今、従来の「家族」という形に囚われる必要は全くない。
大事にしたかったら大事にすればいい。でもそうでないなら違う場所で家族をつくったっていい。
血の繋がりを理由に、自分の正しさが押し通されることも多いから。
「家族だけど別の人間」とお互いをリスペクトできれば一番いい。
でも、誠意を持って接しても向こうが自分をリスペクトしてくれないなら、逃げたっていい。
これからは、どんどん家族的な場所が小さく増えていく。
自分に合った環境を選びやすくなっていく。
「家族」という概念は溶けていく。
なにが「家族」なのかは自分で決めよう。
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