反骨精神のカタマリで良かったなと思うこと
はじめに
なんだか僕と同世代の人間は老人のような枯れた人間が多いように思う
いや今時老人の方が醜く生にしがみついてるという意味で生き生きとしてすらいる
老人が老いに逆らい若々しくいる一方で、若者が年不相応に達観している様子を見ると同じ若者としてただただ嫌悪感を感じるのみである
現実が若者にとって厳しいというのは痛いほどわかる
しかしな…
もがかない人生とは、哀れよのぉ…
鬱気味でも俺はもがいていた
かく言う自分も去年上半期はとてつもないほど鬱々とした日々を過ごしていた
鬱の原因は至ってシンプルであり、婚活と職場のストレスが同時に降りかかってきたことにある
そこにコロナ感染からの数ヶ月続く慢性的な体調不良と来たものだから、ある程度ストレス耐性のある自分も流石に堪えた
半期が過ぎる頃にはうまくいかないのは世界のせいであると嘆き、全人類を絶滅に追い込むにはどのような手段があるか考え始めていたくらいである
ただ、幸いにして去年の今頃から好転が始まり、下半期の終わりにはすっかり息を吹き返した
去年は苦難と享楽が同時に来たジェットコースターのような年であった
上半期には全人類をぶち殺してやると思っていたのに、下半期には全人類幸せになれと思えるのだから、アップダウンの凄まじさには全米も度肝を抜かれるだろう
このように自分が苦難を脱することができたのは一重にもがいていたからだと思っている
婚活の中断や休職や後先なし退職も考えたことはあったが、自分はそのカードを使わずに乗り切ることができた
婚活は成功し、転職にも成功した
自分の苦境は非常に綺麗な逆転劇で幕を下ろした
これはもがかなければつかめなかった結果なのは間違いない
どこかで諦めていたら今の自分はないだろう
繰り返すが、今の自分があるのはもがいた結果である
苦境に立たされた時どれだけもがけるかが心底大事なんだと自分はこの出来事を通して理解した
ただ補足しておくと、鬱になったからと言って無理して頑張れというつもりは決してない
自分も鬱状態に等しい身になったからわかるのだが、心がしんどい時に頑張るというのは本当に心が壊れてしまうリスクがある
心が壊れるほど頑張るくらいならば大人しく休憩を取ったほうがいい
どこまでいけるか無理かは自分の匙加減でわかるだろう
しかし、沼にはまって何もせずただじっとしていたら、より一層深みにハマるのみである
ジワジワと沼に沈む運命を受け入れるのだろうか?
こうきけば、普通はNoと返ってきて欲しいものなのだが、現代の若者の大半はどうやらその問いに対してYesと答えるようだ
沈む…のか?
その歳で?
人には人の人生がある
だから僕がとやかく言える話でもないだろう
どうしても乗り越えられない困難な現実というのも時には存在する
ものによっては立ち向かわなくたって時間が解決してくれるものもあるだろう
しかし、キャリアや家庭、自分の幸せといったものに対して、齢20の代から諦めるというのはいささかどうなんだと思うのである
これらのテーマはどうあっても人生に付き纏ってくる
逃げることなどできないのだ
逃れられぬ運命ならばどれだけ困難だろうとも腹をくくって立ち向かうのみで選択肢などあってないようなものだと自分は思っていたのだが、世の中の多くはうまくいかないと地団駄を踏んだきりそのままのようである
そしてうまくいかない人生を嘆き後悔しながら生きていく
その様子を側から見てるとなんと哀れかと思うばかりである
うまくいかない時はどんな些細な失敗でも気になってしまって、ほんの少しの努力も行動も起こせなくなってしまうものである
わかるよ
しかし、そこでほんの少しもがくことすらやめたらあとはドツボにハマだけというのも理解できるはずである
この時に歯を食いしばれるかが人間の魂の違いなんだろうなと思う
俺はもがいた
でも普通の人はもがけない
それだけの違いである
自分は恵まれた才能を持っていたのだなと心底感じるのである
––自分の未来を掴む
当たり前のようでいて最も難しいこのアクションを自分は逆境の時に身体を引きずってでも出来たのだから、ヒーローマンガの主人公にでもなった気分である
婚活や転職如きで大袈裟だがあれはまさしく一つの英雄譚だったと信じている
自分は自分の意思を貫く強さというものを持っていたのだ
反骨心が強さの源
このような心の強さは生まれ持った資質による部分が大きいのかもしれないが、自分にとって心の強さの源泉となっている素養の一つが反骨精神である
苦境に立たされたときに、なにくそ、このくそ、俺を馬鹿にしやがって、見てやがれよと思う精神である
反骨心は苦境に立たされた原因を環境に求める傾向があるので、現代社会においては他責という言葉で叩かれる運命にある
そのためほとんどの人々は成長過程で矯正を受けて反骨心のナリを潜めているかもしれない
だが、本来は誰にでも備わっている素養である
自分は成長過程で矯正され切らずに、反骨心をうまく飼い慣らす術を学んで今日まで生きてきた
この反骨心を飼い慣らすといいことが一つある
それはどんな時でも自分を信じることができるのだ
「自分の信念は正しいに違いない」と、どれほど辛い目に遭おうが、正しいことを証明するまで諦めてやらない
確固たる意志を貫くことができるのである
これは自分の人生を歩むという点で大きな威力を発揮する
自分の決めた道を迷うことなく突き進むことができるのだ
そして突き進んできた道もちょっとやそっとのことで否定したりしない
簡単に言えばくよくよしないのである
過去ばかり見る大人は残念だろう
特に社会に出て驚いたのが、自分の歩んできた道を否定して、くよくよと自虐的に生きている高学歴の多さである
温室育ちにも程があるだろう
やれブルシットジョブだの、やれ医学部再受験だの、聞いていて後ろ向きになるようなことばかりをいうのはなにも自分の身の回りだけではなく、ネットの世界でも同じだったということに驚きを禁じ得なかった
普遍的な悩みなのだろうとは思うが、それでもいささか往生際が悪すぎてなんだか白けてしまう
そう言った様子を見るにつれ、やはり現代は自分で道を切り開く能力がとても大事なのだなと痛感する
反骨心は他人に嫌われる素養なので封印してしまいがちだが、今一度見直してみた方がいいのではないかと思ったりするのである
誰しも心の奥底にある情熱の炎をたぎらせていこう
終わりに
幸せに続く道は自分で切り開くしかないんだよね
残念だけど
僕から言えることといえばただ一つ
つらくとももがくのじゃ!
……と言うが易しなことを言って締めくくることにする
まあ、ボチボチやってきましょうね
余談
ちなみに、自分がこの手の文章を見たら、好き勝手言いやがってぶち〇すぞと思うと思います
それくらいの気概を持った方が人間らしいと僕は思うんだよね
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