見出し画像

偏差値55でも塾屋になった話③

深夜0時、教室の前に1台の高級車が止まった。
塾長(社長)である。
そして、開口一番、社長は私にこう言った。

「今日はこうさん先生のことで来たんだよ。何の話かわかるか?」

私は何のことだか半分わかったようなわからなかったような?だったが、わかった素振りを見せながら塾長の話の続きを聞いた。

「3月からM教室の教室長に任命する!やるよな?」

まさかの辞令だった。私は二つ返事で了承した。

前回の記事を読んでいる人なら私が教室長になりたくないと思っていたはずだったのにと疑問を感じていたかと思うのだが、私はやる気にさせられていたのだ。
この日まで所属していた教室の教室長(以下Y先生)によって…。

10時間前

教室に出勤すると、Y先生が私に言った。
「さっき、M教室の教室長と話をしたんだけど、退職するんだって。で、俺がそこの教室長に異動することになりそうなんだけど、これ楽だよなー。だって、あの教室生徒たった100名集めればいいんでしょ?楽だよ!こうさん先生もそう思うでしょ?」

M教室はこの年、教室長が急病で倒れた為(後日お亡くなりに…)、急遽その下にいた社員の先生(以下I先生)が教室長に昇格したのだが色々とトラブルが続出し責任を取って退職することになったそうだ。そのトラブルで生徒数も60名以下まで減っていた。
これまで私たちがいた教室(以下T教室)の生徒数は既に120人以上になっており、営業的には利益を出していたのと塾屋としての本来の使命である生徒の成績向上に繋がる指導もできていたので上層部からは評価されていた。
そこでY先生がこれまでの経験を生かしてM教室の立て直しに行き、私がそのままT教室の教室長になるのかなとぼんやり考えていたのだ…。
T教室の生徒はY先生の色に染まっているのでちょっとやりにくいなと思う反面、中2上位クラスの生徒たちには「革命を果たせたよ!」と言えるなあとも…。

しかし、塾長の話では私がM教室の教室長、Y先生がこれまで通りT教室の教室長ということになる。なんか、昼間聞いた話とは違うなあとは思っていたがM教室の立て直しの方がよっぽど楽だなと思った私はそのままM教室の教室長になる決意をしたのだった。
つまり、Y先生は事前のこの辞令を知って「教室長になりたがらない」私を何とかやる気にさせようと「M教室は楽だ!」と思わせたのだ。
そして単純な私はそれにまんまと引っかかったのだ。

まあ、せっかくだからやってみっか!と…。

快諾した理由がもう一つある。
それは退職するI先生と私は社内で悩める者同士、仲が良かったのだ。
数ヶ月前の社員旅行で飛行機の席が隣になったことで意気投合し、お互い愚痴の言い合いでストレス発散をしていたのだった。
I先生は後任が私ではなかったら引き継ぎ業務もそこそこにと思っていたらしいが、私が後任ということで退職するその日まで生徒1人1人の情報をまとめたリストの作成や生徒が通う学校の情報、保護者の性格までまとめた資料を私の為に残してくれた。

そして、革命宣言をしたあのクラスともお別れの日がやってきた。

「ごめん、ここでは革命起こせなかったけど、M教室で革命起こすから!」

彼らにそんな言葉を残した1週間後、M教室革命の為に奮闘する日々が始まった!

次回へ続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?