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いつからだろう、男と女としてしか相手を見れなくなったのは

 重傷かもしれない。女友達(もはや友達と形容するとき、「女」という枕詞を用いないといけないことにもうんざりしているのだが。……というか、私の友達はいまのところ全部で三人で、全員女なのだから、「女」と付ける必要性はあるのか、とは思うものの、世の中てきには、「友達」と言うとき、大抵の場合は同性のことを指し、それが異性である場合には、その異なる性別を「友達」の頭に付けて呼ぶ、という習わしがあるために、あえて接頭辞として今回は用いたまでのことだ、ということを、まず初めに断っておくべきだろう。……と、但し書きが長くなってしまったが、この文章の主語は「女友達」だ。では、気を取り直して、続きをどうぞ。)と、普段一人では入らないような小洒落たカフェで、カフェ&スイーツタイムをしたのだが、その会計時に、いまだ逡巡してしまった。

 というのも、(かつての)男友達同士であれば、勘定は別々、ということは当然の暗黙の了解であり、会計係に「支払いは別で」と、ひと言断ることが自然とできる。それがなぜだろう。お茶をした相手がひとたび「女」である、ということだけで、私は会計時に脳みそが未だにバグるようだ。私は混乱して、すぐさま会計をどうするか答えることができず、「お会計はご一緒でよろしいでしょうか」という言葉が身に降りかかってくる数秒間を恐れている。「私は奢るべきなのだろうか」と。

「奢るべきかどうかを悩んでしまう」考えられる原因の一つとしては、見栄を張っているということがあるだろう。誰に対してか。会計係に対して、である。私と一緒に連れ立っているこの女性に、ケチることなくお金を振る舞えている「私」という存在は、会計係に一瞬だけでも、お金に余裕がある、素敵な紳士の交際相手(あるいは交際前の男性)という虚像を、一瞬だけでも植え付けられ、その微睡にほんの束の間でも私が浸れる、(あるいは、会計係が男であった場合、その男に、「これは(どういう関係かは定かではないが)私の女である」という己のスペックの一部を顕示でき、マウントを取ったその優越感に浸れる)……という、一瞬でも冷静に考えれば、そんなこと相手が考えているかどうかは神のみぞ知るであるし、会計係もたくさんの客の相手をするのに手一杯で、一々そんなことを考えながらレジ打ちしているはずもないであろう、ということがわかる。仮に億が一にあったとして、それが私にとって、なんになるというのか。今振り返ったからこそわかった、無意味な理由による行動であった。この理由から起因する行動は今後金輪際、とらないであろう。

 そして、考え得るもう一つの理由は、相手のことを「女」(恋愛対象、性的対象)として見ていないことに対する「女友達」への申し訳なさというか、たまにはご馳走されることで、「あなたは『女』ですよ」という取り計らいを、すべきなのではないかという戸惑いである。(いや、わかっている。これが女性の顰蹙を買う発言・考え方であることは。それでも、私が思ってしまったことは消せないし、なぜそう思ってしまうのか、について考えることは、自分にとっても、男に困り果てている女性たちにとっても、少しは有意義な結果をもたらすのではないか、という考えに基づいているような気がする、と言おうとしたが、そこまで深く考えずに話しているというのが正直なところ。)

 これは、どうなんですかね。女性からしてみたら。「男友達」から、そんな取り計らいをしてもらったところで、うれしくない、ものなのでしょうか。あ、あれか。由来がなんなのか、というところが女性にとっては大切であるのだろうか。これが「天然由来成分」であれば、素直に「嬉しい」と受け取られるのだろう。それはつまり「天然由来成分」とはなにか、というと、純粋に「この子にご馳走したいから、する」というアレである。

 そんな下心抜きの感情の発露など、久しく感じたことがない気がするのは私という捻じれた人間だからなのであろうか。(真剣に遡ってみても、幼稚園時代に、顔と髪型が好みだった女の子に、特別見返りを求めず、得体の知れない物体を折った、折り紙をプレゼントしたとき、くらいなものである。あれはたしかに「純粋」と呼んでもいい、「そうしたいから、する」の典型例だったかもしれない。)

 そう考えると、やはり男が「女」を「女」として認識しだした頃に、そうした「天然由来成分」はほとんど失われ、(意識的であれ無意識的であれ)打算的な振る舞いに終始してしまうのかもしれない。

 相手の女性がどう思っているのかは知らないが、少なくとも私にとって彼女は「友達」であり、下心も、「あわよくば」も(ないはず、ないはず)なく、「一人の時間」以外の楽しみをもたらしてくれる「友人枠」でしかありえない。そんな相手にさえ、この会計時の「戸惑い」が消えないのは、私が女性を「男性」でも「人間」でもなく、「女性」でもなく、なにか「別の生き物」として捉えているからかもしれない。最近はそんな気がしている。

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