宗教創作論【目的】

日本では戦後長きに渡り、伝統的宗教を摩耗させ、おおきく3つの宗教に潜在的な支配を許されてしまった。婚礼葬式宗教、無神論的科学宗教、新興カルト宗教、がそれである。

本論はそれぞれが孕む問題点や、それぞれが生じるに至った経緯要因などをつぶさに語るものではない。もしくは伝統的宗教の復古回帰を必ずしも呼びかけるものでもない。

ひとりにひとつずつの命があるように、ひとりにひとつずつ信仰の形がある。信仰の寛容というこの前提をおき、それをどのようにひとりひとり結実させるか、考えるための材料として書き記すものである。

価値観の多様化の時代と呼ばれる。これは、ひとりひとりが、違う価値観に基づいた宗教を持って良いということだ。また同時に、価値観の異なる他者の信仰を認識し尊重するものでなくてはならないということでもある。

昨今、社会問題としてようやく取り上げられるようになった財物没取宗教や宗教2世の課題など、それら全てを解決できるものではないし、手段としては逆行ではないかとの指摘もあるかもしれない。しかし、もとより人間は、時として非常に弱いものだ。どこまでも孤独のなかにあったとして、それから救われたい報われたいとする気持ちは、人間的な本能のようなものですらある。

だからこそ、信仰が熱を帯びることもあり、盲信し狂信することもまたある。しかし、他から与えられたモノ(宗教・教義)ではなく、己が創り上げた自分だけのカスタム宗教を強く持つことで、孤立ではない孤独を謳歌してゆこうとすることもまたできると考える。

志の最たる部分は上記の通りであるが、時に、小説、映画、マンガ、アニメ、ゲームなどの創作物の中に潜ませる創作宗教に関しても参考程度にはなる私見となることを期待する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?