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中古家具屋RESTYLE、起業ストーリー。その2 就職〜長野オリンピック〜退職編

今年の6月で起業して18周年。人間でいうと成人の年。
やっと半人前くらいになったかなーという感じです。

よく、何歳の時に独立したんですか?
なんでこの仕事始めたんですか? 
以前は家具業界で働いていたんですか?
などなど、お客さんや取引先の方などに聞かれることがよくあります。

18年前は、大した信念も目的も目標も大義名分もなく、なんとなく勢いで始めたこの仕事。
はっきり言って自分の中では人に語れるようなストーリーなんてないつもりなのですが、
聞かれた時に少し話してみると意外や意外、前のめりで聞いてくださる方もいたりして。

なので、大したストーリーではありませんが、18周年、RESTYLEが成人になった節目として少し語ろうかと思います。

今回が第2章、就職〜長野オリンピック〜退職編。

前回は生い立ち〜学生〜就職編でした。

下記を是非ご覧ください。

飛び込み営業の日々!

就職氷河期の中なんとか内定を勝ち取り、怒涛のスパルタ新入社員研修もの乗り越えて、入社式。そして、長野への配属。

当時の長野は翌年の1998年に冬季オリンピックを控え、空前の好景気。その長野県の県庁所在地、長野市にある長野営業所に営業マンとして配属されました。

就職した会社は、某大手ハウスメーカーのグループ会社で軽量鉄骨の建物、いわゆるプレハブ建築をリース販売する会社。
長野オリンピックの競技会場などの仮設建物もオリンピック組織委員会から直と下請けで多くの会場を受注していて、営業所内はそのオリンピック特需で大忙し。

そんな世界的イベント特需の中の一地方の小さな営業所には新入社員を手厚く教育して面倒をみる暇も人もあるはずもなく、ほぼ放ったらかし状態で、毎日何もわからないまま、毎日飛び込み営業をさせらていました。

今では考えられない非効率な営業を毎日やること約3ヶ月、商品知識もろくにない新人営業マンでも数打てばなんとかなるもので、2件ほど受注した記憶があります。
10万円ほどの工場の守衛室のプレハブと建材会社の事務所のユニットハウス、400万円ほどの仕事。もちろん、こんなもんでは目標予算には達していませんが。。。
予算は確かひと月1,000万円の受注目標だったかと思います。

この期間の入社していきなりの飛び込み営業の無謀な日々も、今思えばいい経験で、現在の「思いつき突然営業」スタイルに結びついているような。

突然の指令。

そして、7月のある日、なんの取り柄もない新人営業マンに白羽の矢が立ちます。
長野オリンピックのアルペンスキー大回転の会場、志賀高原東館山スキー場の現場に行け〜という指令。
これは会社としての辞令ではなく、営業所単独の指令!

この会場は自分の会社がJVの幹事会社で受注している現場。ここに営業マンながら現場監督の助手というテイの現場の小間使いとして派遣されました。

この現場にはウチの会社からは現場監督と受注した担当営業マンの係長、そして私が常駐。
さらに県庁建築課から長野オリンピック組織委員会(NAOC )に出向していた施設担当のお偉い様も常駐していました。

その3人から小間使いにされ、さらに、大手企業のJVの相手企業担当者さんやその他、大手通信会社、某TV局、世界的有名スポンサー企業の担当者さん達も出入りしていて、海千山千のおっさん達にもまれながら、パラリンピックが閉幕するまでの約8ヶ月間を志賀高原の旅館で住み込みで過ごしました。

貴重な経験

この時の経験として強く記憶に残っているのは、
上信越高原国立公園内に位置する東館山スキー場は本来、草木一本取るのにも環境庁(現環境省)の許可が必要で、その許認可を得るために現地調査をし、伐採する木の本数から位置、太さと樹種に至るまで横断面図に落とし込むなど、その書類作りのお手伝いをしたこと。

これは、何の知識も経験もない現地調査からの横断面図作成という超理系のことをお手伝いすることで、まったく違う分野でもやれば何とかなるということを実体験として知りました。

「競技コース作りのためのペットボトル大回収作戦!」

この会場は期間中閉鎖せず、スキー場として一般客も受け入れ通常営業しながらオリンピックの競技もするという、かなり特殊な会場で、競技コースを一般客が横断するためにトンネルを掘るのではなく、ゲレンデの上に特殊な空洞を作って横断路を確保しました。

ゲレンデの土の上に横断する空洞を作るわけなので、そこだけ突然地面が盛り上がっている状態になります。それをアルペンスキー大回転の競技コースとして、盛り上がりなく通常のゲレンデの状態にするために、上に土をごっそり盛ることができない国立公園内では、積雪でなんとかするしかありませんでした。

しかし、その盛り上がりを無くせるほどの雪がはたして確実に降るのかという問題が発生。もし、暖冬で積雪が少なく、コースができないという事態になれば、大変なことになってしまいます。

そこで、東館山会場協議会で議論をした結果、雪の量が少なくても対応できるように、その盛り上がりの両側に大量のペットボトルを冬前に設置することになり、大量のペットボトルが必要になりました。

数にして、確か数万本だったような。

そんな数を1、2ヶ月で集めるにはどうするかということになり、志賀高原がある山ノ内町の協力のもと、
「みんなでペットボトルを集めて環境にいいオリンピックコースを作ろう」
といった感じで、地元の小中学校に声を掛けてもらい、ペットボトル大回収作戦の始まりです!

この「ペットボトル大回収作戦」の担当に抜擢?というより無理やりさせられた私は、役場担当者さんとの調整、地元メディアへのプレスリリース、各小中学校のペットボトルの回収本数の把握、各学校への回収のためのトラックの手配、改修後のキャップ閉めからの袋詰めの作業のスタッフや場所の段取りなど、社会人一年目としてはなかなかの大役をおおせつかり、いろんな方の協力、援助のもとなんとかこの大プロジェクト?を成功に導きました!

そして、この東館山アルペンスキー大回転競技も多少の雪不足もありながらも何の問題もなく、大成功で終了しました。

人生で重要な期間

他にも、「夜の極寒マイナス30度、資材搬入作戦」や「施設内、隙間吹雪・凍結氷結撲滅作戦」、「夏のゲレンデ火祭り」など、あげればたくさんの大変な、いや貴重な経験があるのですが、それはまた別の機会で。

このような約8ヶ月の貴重な経験は社会人として、また、大人として成長しただけでなく、これからの人生の苦難を乗り越えるため、血となり肉となった大変重要な期間だったと思っています。

そして、退職へ

オリンピック終了後は同じ長野県内の松本営業所へ移動になり、ここで約4年ほどを過ごして、何を思ったか突然退職します。

またまた長くなってしまったので、この後の話はまた次回へ。




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