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「懐かしい歌」

確か藝大に入ったばかりの頃、
私の担当教官であった
須賀先生が主催する演奏会を
観に行ったことがある。

会の名前は
「アルファオメガの会」、
学部生・院生からOB、OGまで
須賀靖和門下の歌手が集い
それぞれの持ち歌を
披露するという趣向だった。

今は亡きテノールの経種兼彦君も
当時はバリトンとして
最年少で出演していたし、
現在藝大の大学院で
剽軽な教授(?)として
名を知られる福島明也先輩も
ピカピカの院生として出演していた。

卒業生には当時既に
世に名の売れていたテノールが
何人も出演していた筈だけど
残念ながら覚えているのは
オラトリオの佐々木正利さんくらいかな?

あの時の演奏会のプログラムを
どこかに紛失したらしく、
ちょっと他は思い出せない。

(実は佐々木正利さんが
 本当に出演していたかも
 定かではなかったりする。)


でも、
ひとつだけ・・・

・・というより、
1人だけ、その圧巻の演奏で
私の目と耳と脳髄に
焼き付いてしまった人がいる。

当時、できたばかりの
博士課程に在籍していた
青山恵子先輩だ。

舞台でのいでたちは
現在の演奏会では考えられぬほどに
つましいものであったが、
音楽が始まると
舞台の雰囲気も会場の雰囲気も
一気に豹変した。

歌ったのは
今まで聴いたこともない
不思議な日本歌曲。

民謡調ではなく
講談風にポンポンと言葉が飛び、
彼女の語り口にグイグイと引き込まれる。

かなりの長い曲だったが、
多分、私は最後まで
あんぐりと口を開け、
呆けたような表情で
彼女の演奏に聴き入っていた。

そして、初めて
「拍手をするタイミングを逃すほどに」
その圧巻の演奏に
魂を抜かれてしまったのだ。


思えば、
この時の彼女の演奏との出会いが
私の中の「日本歌曲」イメージを
しっかりと固定させ
今に至っていると思う。

私が日本歌曲のレパートリーにしている
橋本国彦の「お六娘」も
石桁 真礼生の「のぞきゑ」も
松本民之助の「春日狂想」も、
すべては彼女のあの時の演奏を
自分なりに咀嚼し、
アウトプットしているものに過ぎない。

・・・だが、
あの時に彼女が歌った曲が
誰の何という曲なのか、
今までどうしても
正確に思い出すことができなかった。

「きかせ話」の類であることは間違いなく、
題材も民話でオニと娘が出てくる話。

タイトルは「〇〇〇とオニ」、
伏字の三文字の最後は「コ」ということは
はっきり覚えているのだが
「サチコ」なのだか「トキコ」なのだか
どうしても思い出せず、
語感の印象が近いという理由で
暫定的に「エメコ」にしていた。

鬼人ものなのだから
女の子の名前も普通の人の名とは違う
変わった名ではなかったか・・・
・・・と考えていた訳だ。

曲のタイトルですらこれだけ曖昧な上に
作曲者が誰かが判らないのでは
調べようにも手掛かりがない。

かといって、
門下の大先輩であり
今や日本歌曲界の重鎮である
青山恵子先輩に直接
「あの時歌った曲って何でしたか」
なんて、畏れ多くて訊けるはずもない。

かくして、
曲の名も判らぬまま
悶々としながら40年が過ぎていった・・・


・・・ひょんなことから、
この曲のタイトルも作曲者も判ったのは
今日のことである。

歌とは全く関係なく
自分の趣味の領域でネット回遊していたら、
たまたま、ある童話のタイトルが
画像と共に上がってきたのだ。

その童話、絵本の名は
「ソメコとオニ」、
童話作家の斎藤隆介氏の作品で、
切り絵作家の滝平二郎の挿絵つきで
1987年に童話本として出版されている。

私が青山恵子の演奏を聴いたのは
遅くとも1983年の事なので
まだ世に出回る前の童話が
先に歌曲として披露されていた事になる。

(あるいは正式な出版は87年であっても
 「語り聞かせ」の話として
 この童話が幼稚園や保育園などの
 児童施設で語られていたのかも)

そして作曲は、
中原中也の「春日狂想」に
素晴らしい「語り」の曲を作曲した
松本民之助。

・・・なるほど、
青山さんの歌を聴いた私が
「春日狂想」の曲に執着する筈だ。


40年越しの疑問が氷解したことで
少しばかり興奮している私だが、
まだ問題は残っている。

この「ソメコとオニ」の歌曲楽譜は
どこで手に入るのだろうか?

大手出版社が出している歌曲集に
この曲は見当たらず、
藝大のopacや国立国会図書館のopacでも
検索には引っかからない。

ぜひとも、
この曲の楽譜は
見てみたいものだし、
可能であるなら
歌ってみたい。

それも
生きている間に・・・

・・・というより、
演奏家としての私が
フルスペックでの
歌唱を行える間に
この曲を一度
歌ってみたいものである。

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