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「戦争と芸術」考 04

昭和十九年、
戦時下における文芸雑誌の統廃合の結果、
刊行される詩雑誌は寶文館の「詩研究」と
「日本詩」の二冊のみとなったそうだ。

そのひとつ「詩研究」の企画には
「お菓子と娘」や「鞠と殿様」、
「秘唱」などの作詞で有名な
西條八十も重鎮として参加している。

「詩研究」創刊号が刊行されたのは六月。
この頃、既に南海では
各島での玉砕戦が始まっており、
ビルマ方面ではインパール作戦が事実上の瓦解、
サイパンには米軍が殺到し、
そしてマリアナ沖海戦が行われたのが、
この六月である。


インパール作戦の正式な作戦中止は七月四日。
サイパン島の玉砕は七月七日。


創刊号に寄稿した詩人・評論家は
大木敦夫、三好達治、北園克衛、北川象一(冬彦)、
井上康文、山本和夫、保田興重郎など。
錚々たるメンバーだが、
中でも三好達治はこの号で
「春の旅人」を発表しており、
北園克衛も十七年に上梓した
詩集『風土』の流れに連なる一篇
「夏」を発表しているのが興味深い。
どちらも直接戦争とは関係のない
日常の風景を描きながら、
どこか戦争の影が
色濃く落ちている作品となっている。

ただし、両者の方向性は全く逆。

北園は、日常の風物を、
色鮮やかな言葉で表現しつつも、
全体的にはモノトーンとなるような
不思議な世界を作り出し、
そこに自分の意志を
重ねているように見える。

三好は、抑えられた表現で
一見モノトーンのように書いていながら、
その下から瑞々しい色彩が滲み出ている。

同じ時代、同じ時期に作られただけに
際立つ二人の作風の違い。
単に「作風」というだけでなく、
それまでに歩んできた道や思想も、
おそらくは大きく異なっているのだろう。


北園克衛の「風土」については
中公版『日本の詩歌』などで
「暗い虚無的な影」「暗黒時代の感情」
と評されているが、
そんなあからさまな厭戦感を歌う詩が、
この昭和十九年六月発行の雑誌に、
検閲もなしに掲載されるとは思い難い。
彼はその後も
この雑誌の常連作家として
そのまま戦後に至るまで
寄稿を続けているし、
この辺りについては
もう少し掘り下げて調べてみたいところ。


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