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「専門性と責任」考 02

大学を出たばかりの頃、
「学校回り」の仕事を
専門で請け負っている合唱団に
エキストラとして参加したことがある。

この「学校回り」と呼ばれる仕事は
各地の学校の鑑賞授業の一環として
年に何度か、生徒を講堂に集めて
音楽や舞踊、演劇などの生の舞台を
鑑賞させるというもの。

東京や大都市などでは
区内の学校の生徒を劇場に集めて
大規模に行う場合もあるのだが、
地方ではそれぞれの学校を
ひとつひとつ回ってゆく
巡回公演となる。

一回の巡業(「旅仕事」と呼ぶ)に
十日から二週間ほどかかるため、
他に定期の仕事を持っている者は参加できず、
比較的時間の都合がつく3年以上の音大生や
学校出たてで遊んでいる者達が歓迎され
「旅仕事あるけどやらないか?」と
口コミで、よく誘いが来ていたのだ。

東京は渋谷からマイクロバスに乗り
伊豆半島をぐるりと一周しながら
学校を巡ったり、
九州は宮崎まで一気に飛行機で移動し、
そこから同じくマイクロバスで
県内の学校をまわったりと
毎回その行き先が変わるため、
旅好きな私としては
結構楽しめたアルバイトだった。

※ ※ ※ ※ ※

どちらかといえば、
仕事というよりは
「旅行を楽しみ、
 学校の子供達の前で
 歌う事を楽しみ、
 それでいて
 まとまった金まで貰える
 季節のイベント」
といった風情で
気楽に参加した巡業公演だが、
とても印象に残ったことが
ひとつある。


一日の巡回公演が終わり
次の目的地に到着したのは
まだ日が暮れる前。

海岸沿いの旅館に荷物を置いたあと
夕食までの時間潰しに
海辺まで皆と散歩した。

海辺といっても砂浜は少なく
岩場の多いところだったが、
うまく岩場づたいに進めば
波打ち際までいけるかもしれない。

私や他の若い連中が
岩場に乗ろうとしていたところ
それまで一緒に談笑していた
年配の合唱団員(正規メンバー)が
「危ないからやめなさい」
と、声をかけてきた。

その年配の人は
当時で50前後だったろうか、

合唱団員の中でも年長の幹部で
面倒見が良く、
いつも笑みを絶やさない人だったが
どこかで、歳相応の「老い」も
ほのかに感じさせる人であった。

今にして思えば本当に失礼な話だが、
団の年配者として立ててはいたものの
音楽家・演奏家としての尊敬は持てず
軽く見ていた・・・というのが本音だった。

だから、
彼から「やめなさい」と声をかけられたときも
「いや、アンタと違って私は若いし体力もある。
 こんな岩場を登ることくらい何でもない。
 騒ぐほどのことじゃないだろ。」
と、軽く考え、
「大丈夫ですよ。
 ちょっと先まで行ってみるだけですから。」
と笑いながら応えたのだが、
彼は真顔になって
「そうじゃない」
・・と私を正した。

「そうじゃない。
 ここへは仕事に来ているのであって
 遊びにきているのではない。

 もし岩場でケガをするような事があれば
 そのケガの状態如何によっては
 明日の舞台に乗れなくなる事もある。
 それは『仕事に穴をあける』ということだ。

 メンバーが一人欠けたからといって
 明日の舞台が即潰れるという訳ではないが、
 君が抜けたところは誰かがカバーせねばならぬ。
 もし皆が君のような軽い気持ちで安易に行動し
 結果としてケガなどで舞台に立てなくなり
 複数のメンバーが抜けたらどうなる?
 公演そのものが
 成り立たなくなる場合もあるのだ。
 
 たとえエキストラであっても
 仕事として合唱団に加わり、
 この巡業に参加している以上は
 その仕事を第一と考え、
 万が一にも仕事に支障の出ぬよう
 細心の注意を払って行動するのが
 プロの責任というものではないのか?」

彼は何一つ
言葉を荒げた訳ではないが、
彼の言葉はひとつひとつ
私の中に突き刺さるものだった。

確かに楽しい旅だし、
舞台での演奏も楽しいし
旅の先々で味わう料理も楽しいし
一日3回の舞台ですら
若さと勢いで押し切れるため
スポーツをこなしているようで楽しいし
心のどこかで「仕事」ではなく
「遊び」に分類してしまっていた私だが、
これは遊びではなく
「責任の伴う仕事」であったのだ。

彼の言葉は私に
「プロとは何か」を考える機会を与え、
「プロは何に責任を持たねばならぬのか」を
はっきりと自覚させてくれた。

彼の名前も、彼の演奏も
今は思い出すことができないが、
彼の、この時の言葉だけは
今も私の中のどこかで
響き続けているように感じている。 

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