見出し画像

「職業としての音楽家」考 01

正月三日の陽も落ちて、
そろそろ明日からの平常モードに備えて
酒を抜こうかと考えている時間帯。

クラシックの音楽家として
「お金の話」でもしてみようかね。


まだ高校生の時分だから
確か1978年頃だったかな
(もう44年前になるのか)、
音楽雑誌「音楽の友」に
国内のプロオーケストラの
団員の初任給・平均月給が掲載されたことがある。

「華やかな楽壇の裏事情」ということで、
なかなかに興味深かった。

トップはやはりN響で
団員の平均月給が推定40万前後。

当時のサラリーマン年収平均が
300万に達していなかったことを考えると、
なかなかに良い待遇であることが判る。

プロオケとして最も後発(当時)の新星日響は、
「初任給12万8千、平均給与12万8千」と
新人もベテランも一律料金だったのが
逆に新鮮だった。
(この金額だけは妙にはっきり覚えている)

実際にはN響奏者クラスになると、
本業だけでなく大学講師として教えたり
プライベートでも「現役N響奏者」のブランドで
高額レッスンをしていたりするため
実際の収入は更に増えていたりする。

器楽奏者としては憧れの場所であるな。
・・狭き門ではあるけどね。

当時の私はトランペット専攻だったので、
「音大卒業後の手堅い就職先」として
プロオケに入ることを考えるのは
まあ「当り前」だった。

地元での私のラッパの先生は
広大特音の講師をする傍ら
当時「広島交響楽団」の
副指揮も務めていたので、
具体的な金額こそ言わなかったけど
「オケの団員というだけでは
 なかなか食っていけないぞ」と
常々語っていたな。

指揮はまだそれなりに
ギャランティも良いのだが、
N響や新日フィルといった
国内トップクラス(当時)であればともかく、
地方オケの団員あたりだと
バイト掛け持ちが当たり前だったらしい。

その辺りは今も昔も
あまり変わってはいないだろうな。


私の地元福山(広島県)もそうだったが、
地方都市で毎年行われていたりする
「〇〇市音楽祭」などにおいて、
その目玉となるイベントは
東京・大阪あたりから有名オケを呼んでの
演奏会だったりするけれど、
それ以外のイベントは主に
地元の演奏者達で行われていたりする。

で、その演奏者の多くは
地元高校や中学の音楽教諭たち。

地元に教育学部音楽科のある大学があると
そこで教えている大学講師や教授連も
顔を出したりしている。

つまりは、
「中学や高校の音楽教諭や大学の教授・講師など
 安定した教育職についている人達が音楽家の主流」
であったということ。

演奏者・音楽家として有名であるか否かではなく
「安定した収入を得られているか、
 演奏活動を続けられる環境にあるか」が
音楽家・演奏者として地域の文化芸術活動に携わり
地域の音楽祭などで活躍するための
暗黙の必須条件だったような気がする。

・・・あくまで昭和の話だけどね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?