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團伊玖磨「三つの小唄」考 02

「彼岸花」    詩:北原白秋 曲:團伊玖磨

憎(にく)い男の心臓を
針(はり)で突かうとした女、
それは何時(いつ)かのたはむれ。

昼寝のあとに、
ハッとして
けふも驚くわが疲れ。

憎い男の心臓を
針で突かうとした女───
もしや棄(す)てたら、きつとまた。

どうせ、湿地(しめじ)の
彼岸花(ひがんばな)、
蛇がからめば
身は細る。
赤い湿地の
彼岸花、
午後の三時の鐘が鳴る。

※ ※ ※ ※ ※

團伊玖磨の小チクルス「三つの小唄」、
その三曲目「彼岸花」の冒頭で
叩きつけられるように歌われる
『憎い男の心臓を』という言葉。

これは決して
男を憎いと思っているのではなく、
男女のじゃれ合いの中から生まれてくる
「私の心をここまで乱してくれて、
 エェ、ホントに憎らしい!」
という意味。

好きで好きでたまらない相手、
しかも相手の方も
自分の心がわかっているから、
戯れに気のなさそうなそぶりをみせる・・・

廓の中では男の心を弄ぶのは
女郎である私のはずなのに、
逆に自分が弄ばれてしまっている、
そのどうしようもなく切ない気持ちが
「憎い」という言葉になって現れる。

だからこそ、
この憎い男がもし本当に
私を棄てることになったならば、
今度は戯れとしての「憎い」ではなく、
本物の「憎悪」になってしまうかも。

なぜなら、
いくら床でじゃれ合い
どれだけ戯れあっていても、
所詮、二人は
女郎と客の間柄でしかない。

今こうして男の事を
想って時を過ごしていても、
夕方にもなれば白粉を塗り
紅をさし笑みを浮かべて
客(他の男)を取らなければならず、
女郎としての自分を
嫌が上でも思い知らされることになる。

愛しい男と情を交わした
同じ場所、同じ床で、
他の男に抱かれなければならぬのが
「女郎」という存在。

殺したくなるほどのやるせない思いは、
男に向かっているのだろうか、
それとも
自分自身に向けられているのだろうか・・・


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