見出し画像

「専門性と責任」考

母の癌再発の頃を思い出すな。

母の癌が再発し、
しかも発見が遅れたため、
見つかった時は既に
肝臓その他にまで移転しており、
余命1年を宣告された母。
(通常の術後診断では
 見つけにくい位置にできていた)

それから1年3ヵ月ほどで
母は亡くなったのだけど、
その間、多くの人達から
励ましの言葉をいただいた中、
少なからぬ人達から
「この薬が効く」
「あの水を飲んで治癒した人がいるらしい」
「この治療法(民間治療の一種)を
 騙されたと思ってやってみろ」
など、
様々なアドバイスというか、
提言というか、
「お誘い」を頂いた。

私は
「声楽の専門家として
 いささかの自負と責任を持つ者」

であると同時に
「自身の専門領域の外については
 只の素人であることを自覚する者」

でもあるので、
このような友人知人達からの提言・助言は
全て私の中に留め置くことにし、
母の治療に関しては専門医に任せ、
どのような施療方針を受け入れるかは、
母をこよなく愛した父の判断に委ねることにした。

こうした提言や助言を行った人は
本当に心からの善意でしてくれたのだとは思う。

だが、その人達は誰一人として
癌治療の専門家でもなければ
医師としての資格を持つ者でもなく、
その提言は善意から発せられたものであっても
何ら責任を伴うものではなかった。

つまりは
「イワシの頭も信心から」のイワシと
同程度のものに過ぎない
としか、
私の眼には映らなかったのだ。

彼らの善意は有難いが、
そのようなものに
母の命を預ける訳にはいかない。

10年間続けてきた術後検診の
それも最後の回の検診で
癌の再発・転移が判り
絶望の底に突き落とされた母に
そのようなイワシの類を
息子の口から伝えたらどうなるか・・・

藁をもすがりたい一心で
そのイワシを信じ込むのがオチだろう。

※ ※ ※ ※ ※

彼らが教えてくれた何やら怪しげな薬や、
霊験のありそうな水や、
エナジーだの免疫力だのを呼び起こす
何やら特殊な治療法・・・

その真贋のほどは、私には判らないが
そうした薬や水や治療法を受け入れた人は
おそらくは、そうすることで
「心の平安」を
あるいは「夢」を
手に入れようとしたのだと思う。

その意味では、
受け入れた人達にとって
その薬や水や治療法は
「真実」だったのだろう。

それはいい。
人それぞれの人生だし
誰しも自分が信じたいものを信じ
すがりたいものにすがる自由は
あってしかるべきだろうから。
その人が自身で考えて決めたことなら
尊重すべきだと思う。

だが私自身に関して言うならば
単純に「餅は餅屋」であるべきだと思うし、
「素人が安易に口出しをしてはいけない領域」
というものは、厳然として存在すると考える。

たとえそれが
どれだけ身近なものであっても。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?