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小説『天使さまと呼ばないで』 第58話


4月中旬ー

コウタに振られてから2週間経ち、失恋の痛みもじんわりと和らいできた。

振られたばかりの時は、もう一生立ち直れないような気がしてたのに、不思議なものだ。


炎上騒動とショウの裏切りの時より回復がずっと早いのは、仕事をしてるせいもあるかもしれない。

家に閉じこもってぼーっとしていた時は、未来についてあれこれといらぬ心配が湧いてきて、それが余計にネガティブな気持ちを呼び起こしていた。

仕事をしていると、その間は無心になれる。だから、しなくてもいい心配をすることがなくなった。


それから、ヒロコさんの話も、ミカが必要以上に悲しみを抱かなくなった要因だ。

今まで、悲しいことが起きた時は『自分は惨めだ』『自分は可哀想だ』『自分は不幸だ』という声が心のどこかで聞こえていた。

そうすると、本当に自分が惨めで可哀想で不幸になった気がして尚のこと辛くなったし、自分を惨めと思いたくないあまりに素直に泣けないことも多かった。

だが、ヒロコさんにとっては『離婚』が不幸なことでは無く、『一人暮らし』もむしろ楽しいことなのだと思うと、自分の状況をそこまで悲観的に捉えなくなったのだ。

自分は惨めでも可哀想でも不幸なのでもなく、ただコウタに振られたことが悲しいのだと思えるようになった。


もちろん、今も時折コウタのことを思い出して辛くなることもあるが、時間が経つにつれその頻度も徐々に減ってきたし、なんだか過去の光景がどれも色褪せてきたように感じる。



感情って、まるでガムのようだ、とミカは思う。



泣きたいだけ泣き、悲しみたいだけ悲しんだら、段々と涙や悲しみの味が薄くなってくる。

そうしていつか完全に味がしなくなったら、このガムはただの『異物』になり、口に入ってるのが邪魔と感じるようになって、簡単に吐き出せるんだろうな、と思う。

今は完全に味がしなくなるまで、噛みしめるだけだ。



しかし、こうして自分の思い出が風化していくうち、ミカはあることを疑問に思うようになっていた。



それは、自分が過去にしてきたカウンセリングは、果たして本当に意味があったのだろうか・・・ということだ。




ミカは、ユウコが流産した時のカウンセリングで、必死に『悲しみを味合わせない考え方』を吹き込んだことを思い出す。

ユウコさんにとって辛いことであっても、長い目で見ると必ずそれは喜びに繋がっているのです

ユウコさんのお子さんは、きっと何らかの事情があって、今は生まれない方が良いと判断したのです。だから、あえて生まれてこなかったのです

ミカは、こうした"ポジティブ"なことを言うことで、クライアントに悲しい思いや不幸な思いをさせないことこそが善いことだと思って、カウンセリングをしてきた。



実際に、クライアントたちはミカの言葉で皆たちまち憑き物が取れたような顔になり、『楽になった』『幸せになれた』と言ってくれたのだ。



しかし、あれで本当に人々は『楽になった』のだろうか?

本当の意味で、『幸せになれた』のだろうか?



自分がしてきたことは・・・もしかすると、いつか通らなければいけないトンネルを、すぐに通らずに済むようにグルグルと回り道をさせていただけだったのではないか。

それは一見親切なようで、実はトンネルの先にある新しい景色を見る権利を奪っていただけなのではないだろうか。

そして、どれだけ自分が回り道をさせたところで、いつかはそのトンネルを通らなくては、本当の意味での成長はできないのではないだろうか。


つまり自分は、ただ悪戯に人々の時間を浪費させ、成長を阻害していただけだったのかもしれない。



そう考えれば考えるほど、ミカは自分の過去が恐ろしくなってきた。



ネットの炎上騒動やショウの裏切り直後は、とにかく心がボロボロの状態で、自分を省みる余裕がなかった。あの時はただ、自分の悲惨な運命と非道な人々を呪い、自分の心が回復するのを待つしか無かった。

そしてユウコとの出会いで心が持ち直して来てからは、自分の頭は"幸福"のジグソーパズルのことでいっぱいだった。

ミカはそのパズルを埋めることだけに集中していたから、自分の過去の過ちについては見て見ぬ振りをできていた。

ジグソーパズル越しだと、自分の過去にしでかしたことはまるで磨りガラスに映った景色のように、ぼんやりと見えていたのだ。

しかし、そのジグソーパズルが粉々に散ってしまった今、過去のことが鮮明に現れて来たように感じる。




ミカは、とある事実を受け止めざるを得なかった。

自分がしていたことは、詐欺だったのだ。

悔しいが、ショウの言葉は事実だった。

アンタが売ってたのはな、『幸せになる方法』じゃなくて、『現実逃避する方法』だ。ブスや無能や底辺どもが"現実"っていう痛みから逃げるためのな。
アンタが売ってたのは、麻薬なんだよ

自分がしていたことは、ただのモルヒネを、『幸せになれる薬』として売るのと同じことだったのだ。


だが、詐欺を働いているなど、自分自身でも思ってもみなかった。

自分がやってきたことは、小さな嘘と誇張と見栄を重ねることだ。


本当は天使の声なんてちっとも聞こえないのに、声が聞こえているふりをした。

夫との生活は不満だらけだったのに、順風満帆なふりをした。

大金を得たのは信者から金をかき集めたからなのに、『天使さまのおかげ』と表現した。

先祖はただの地主なのに、『華族』『皇族とも繋がりがある』と言った。

浪費した罪悪感を味わいたくないだけなのに、『覚悟ができた人の元には、天使さまのサポートがくる』と言って身の丈に合わない支出を正当化した。

本当はお金がないだけなのに、『みんなに負担をかけたくないから』と言ってアフタヌーンティーを注文するのを辞めた。

もっと金を稼ぎたいだけなのに、『カウンセリングに心身を捧げてボロボロである』と言って値段を上げた。

努力が必要な人に対して、『頑張らなくて良い』と声をかけた。

『こう言えば感動するだろう』という意図のもとに、思ってもないことを喋った。

何故その出来事が起こったかなんてわからないのに、『必要だから起きたこと』と言って、悲しみから目を背けさせた。

夫に愛想を尽かされただけなのに、『魂のステージが変わったから』『円満離婚』と言い張った。


エンジェルカウンセラーとして活躍する間、ミカはこうした数え切れないほどの"小さな嘘と誇張と見栄"を重ねていった。


ミカは決して、嘘や誇張や見栄を良い事だと思っていたわけではない。

だが、少しの誇張や小さい見栄なら許されると、人々を幸せにするための嘘ならついても大丈夫だと、心のどこかで思っていた。

しかし、ミカがついた小さい嘘や誇張や見栄が積み重なるうちに、やがて多くの人々を騙す詐欺になっていたことに、ミカは気づいていなかった。


また、ミカは自分がお金儲けのためにカウンセラーをしているという感覚もなかった。

いつまでも自分は善意のもとに活動しているつもりだった。

そして確かに最初の頃は、自分は純粋な『善意』でカウンセリングをしていた。

あの頃の自分は、きっと9割以上が善意の気持ちで活動をしていただろう。金銭欲は1割にも満たなかったはずだ。

そして心のどこかで、少しでも『善意』があるならば、多少の金銭欲を抱いていても許されるような気がしていた。


しかし、色々な物が手に入るうち、段々とその割合が変わっていたことに、気がついていなかった。否、気がつかないフリをしていた。

セミナーを開き出してからは、金銭欲が9割以上で、善意は1割にも満たなかったのではないだろうか。


だが、自分の心の中にはいつでも、あの最初の頃の『9割が善意でカウンセリングしていた自分』のイメージがあった。

というより、あの頃の自分の幻影にいつまでもすがりついていたのだ。そうしないと、自分の汚さを直視することになるから。

自分は、正しくて善いことをしていると信じたかった。

自分は天使だと信じたかった。

そして、善いことをしているから、大金を手に入れるのも当然だと思いたかった。

本当はとっくの昔に、善意など消え失せていたのに。


しかし、今思えば・・・最初の頃に抱いていた『善意』すら、本当に相手のことを想っての善意かどうか怪しい。

『相手を助けたい』と思った時、ミカは自分は何と高尚な精神を持つ人間なのかと陶酔していたが、

実際には、『相手を助ける自分が素晴らしい』と思いたかっただけのような気がする。

つまりは、ミカは相手のためではなく、自分を善い人間と信じるために『相手を助けたい』と思っていたのだ。



ミカは、チエの言葉を思い出す。

あんたが洗脳したせいで、妹は仕事を辞めたのよ!

ミカは、ファンの人やクライアント達を洗脳しているつもりなどなかった。それは今も昔も変わらない。


でも確かに、自分はある人を洗脳していた。




それは、自分だ。


ミカが洗脳していたのは、自分自身だったのだ。



自分は本当は、夫との結婚生活がうまくいってなくて、仕事が嫌いで、毎日不満ばかり湧いて来て、ブランド物が好きで、人に見た目で価値をつけて、お金目的でカウンセリングをして、最終的に夫に愛想を尽かされた、ただのおばさんだった。


でも、そんな自分が嫌で、そんな自分だと誰にも愛されないんじゃないかと怖くて、誰かに見て欲しくて、こんな自分を賞賛して欲しくて、何よりも自分で自分を不幸で無価値だと思いたくなくて、自分のことを"幸福で愛されている天使"なのだと自分自身に洗脳していた。


ミカが自分自身を洗脳するためについた嘘と誇張と見栄は、SNSによって大きな渦と化し、やがて多くの人をも巻き込んでいった。


自分だけを洗脳していたつもりが、何十、何百、何千という人々をも道連れにしてしまっていたのだ。



最近は、コウタとの別れを思い出すと、振られた悲しみとは別に、重苦しい感情が湧いてくる。

それは、ファンに対して、安易に『離婚』を勧めてしまったことへの後悔だ。


ミカは、離婚した自分は不幸ではないと証明したかった。だから、他の人にもしきりに離婚を勧めた。

夫に見放された自分が惨めじゃないと証明するために、いかに結婚生活が不便で窮屈でつまらないかを力説した。

以前Tvitterで書かれていた自分の悪評を思い出す。

友人がこのオバさんにそそのかされて離婚して今後悔してます😓


一体誰が、後悔しているのだろう。

心当たりがありすぎて、誰だかわからない。

彼女も2週間前の自分のように、失った愛に気がついて泣いていたのだろうか。そう思うと身が引き裂かれるような思いがする。

だが、どうすればこの罪を償えるのかもわからない。


300万円の借金がある身としては返金などとてもできそうにないし、それに一応カウンセリングやセミナーといった商品は提供したわけで、その代金を返金するのはまた違う気がする。

クライアントに謝罪するにも、全ての連絡先を把握しているわけではないし、誰にどんなアドバイスをしたかも忘れてしまった。だからどう連絡を取ればいいかわからない。それに連絡をとって、罵倒されたり恫喝されたりしたらと思うと怖くて仕方がない。

SNSに謝罪を書くとしても、どう書けばいいのかわからない。詐欺している自覚などなかったのは事実だから、『私は詐欺師でした』と言うのは憚られる。SNSではまだ800人の人の中では自分は清らかで美しい天使のままなのだと思うと、"ただのおばさん"の自分を曝け出すのはまだ怖かった。



後悔ばかりが湧いてくる。身体中に、苦い感覚が広がる。

自分の足には、まるで大きな重りのついた鉄の足枷があるようだ。

前に進もうとしても、その足枷が気になってうまく歩けない。

かといって、後ろを振り返るのは怖い。


その足枷の外し方がわからないまま、ミカはただ毎日心の中で懺悔と謝罪の言葉を唱えながら、苦い日々を過ごしていたのだった。




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第59話につづく

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