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小説『天使さまと呼ばないで』 第27話


夏のうだるような暑さがやっと落ち着き、涼しい風が吹き始めた10月のある日・・

妻への疑念でこのところずっとどんよりとしていたコウタとは裏腹に、ミカはこの爽やかな気候のように、晴れやかな気持ちだった。

コウタへの借金が、やっと完済したのだ!

コウタに没収されていたクレジットカードは返してもらったが、このカードはもう足がつくので生活費以外には使わない。

これからは、百貨店で作った新しい、ミカの口座から引き落としされるクレジットカードを使うことにする。

これまでこの新しいクレジットカードは5万円程度しか使っていなかったが、完済を記念して、今日は少し奮発することにした。

ミカは、高級ブランドのドラジェ&カッペリーニで60万円の新しいワンピースを購入した。

支払いはもちろんリボ払いだ。

(しかし、一括払いを自動的にリボ払いにしてくれるシステムを取っていたので、ミカは店員には「一括払いで」と伝えて購入した)

晴れやかな気持ちで百貨店の中を闊歩すると、鏡面になった壁に映る自分の姿が目に入った。

上から下まで高級ブランドに包まれて、セレブなオーラを纏った美しい私。


ケバケバしいミカの姿は、まともな人間からすれば化粧が濃い成金のオバさんにしか見えないのだが、百貨店の落ち着いた照明のおかげか、それとも毎日厚化粧して目が慣れたからか、ミカがその事実に気づくことはなかった。

しかし、鏡の中に映る自分の姿で一点だけ、気になる点があった。


(このネックレスだけ、この恰好に不釣り合いなのよね・・・)


それは、コウタがプレゼントしてくれた、あの天使のモチーフのダサくてチープなネックレスだった。

("天使"の私に相応しい、もっと素敵なネックレスがあればいいのに・・)


そう思ったミカは、ジュエリー売り場に移動した。

最初ミカは、テファニーを見てみようと思った。しかし、テファニーの看板を見た途端、キョウコのあのFactbookの自慢気な投稿を思い出してしまった。

(テファニーじゃ駄目ね。そこらへんの庶民と同じレベルになっちゃう)

ミカは、テファニーよりもっと高級な、天使の名に相応しいブランドを思い浮かべた。

(ペリー・ウィルキンソンだわ!!!)


そう、それはダイヤモンドの品質(と値段も)では世界トップのジュエリーブランドだった。

ミカは、まず自分のつけていた安物のネックレスをそっとカバンの奥にしまった。こんな物をつけていることがバレたら、きっと店員から馬鹿にされるだろうと思ったのだ。そして、少しドキドキしながらペリー・ウィルキンソンの店に入った。

「いらっしゃいませ」

落ち着いた、ハンサムな30代後半ぐらいの男性店員がにこやかに声をかける。

元々は一見さんお断りで、予約しないと商品も見せてもらえないブランドだと聞いていたが、最近はそこら辺は緩くなっているらしい。

「あのぅ、ネックレスを見たいのですが・・」

店員はミカの着ていた高級そうなブランドものの衣服と、ドラジェ&カッペリーニの紙袋を一瞥してからにこやかに答えた。

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

そうしてミカは、店の奥にあるソファへと通された。

ほんのちょっと見たかっただけなのに、急に本格的な商談のようになってしまったことに、少し怖気付く。

「ご予算はございますか?」

ドキリとした。そんなこと考えてもみなかった。

しかし、動揺を悟られぬよう適当に返答する。

「そうね・・・120万円ぐらいかしら」

少し見栄を張った。本当は、買うとしたら100万円以内のものが良かったのに。

「かしこまりました」

男性の店員は何点かネックレスを持ってきた。

「はぁ・・・」

思わずため息が出た。流石ダイヤモンドの王と称されるだけあって、その輝きは見たこともないほど深く、美しい。また店内の落ち着いた照明が、ダイヤモンドの輝きをひときわ明るく見せていた。

店員が持ってきた何種類かのネックレスのうち、少し変わった形のネックレスが気になった。ペンダントトップはまるで『ℓ』という文字を逆さにしたような形で、中心には大きめのドロップ型のダイヤモンドがはめこまれている。そして大きなダイヤモンドの周りには、小さなダイヤモンドが散りばめられたネックレスだ。

「これ・・・珍しい形、すごく綺麗ですね」

「はい、こちらは『エンジェル』というデザインでして、デザイナーが『天使』をイメージして作った物でございます」

『天使』という言葉に、ミカはまた運命的な、奇跡的なものを感じた。

「試着してみてもいいですか?」

「もちろんでございます」

手袋をはめた男性店員は、貴重な神具のごとく慎重にネックレスを手に取り、ミカの首元にそっとつけた。

テーブルに備え付けられたスタンド付きミラーを覗くと、ネックレスはミカの胸元でキラキラと輝いている。ダイヤモンドの輝きがミカの美しさを一層引き立たせているように見えた。

ミカはその美しさに惚れ惚れし、また深くため息をついた。

「はぁ・・・・・・・本当に素敵ですね・・・」

「はい、お客様によくお似合いです。お客様の美しさがさらに引き立てられますね」

「あのぅ、お値段は、いくらですか?」

「150万円でございます」


途端に現実に戻る。

ミカはしばし悩んだ。

(さっきドラジェのワンピースを60万円で買っちゃったところだし・・)

しかし、耳元で甘い声が囁く。

(でもこれ、"エンジェル〈天使〉"がモチーフよ?)

(自分が気になったものが、またしても天使のモチーフだなんて、これはやっぱり、運命なんじゃないかしら)

(やっぱり私には、天使と結び付けられる何かがあるの、私には特別な力があるのよ)

(それに、天使のモチーフなんて、またブログの宣伝にも使えるんじゃない?そうすれば、またお客さんにも魅力的に思ってもらえる)

(これは、贅沢じゃない、私にとって必要なものなの。天使様が私を呼んでるの。天使様が私に買えと言っているの。これを買うことで、たくさんの人に豊かさと幸せを教えてあげる使命が私にはあるのよ


ミカは答えを出した。

「これ・・・買います」


(あぁ・・・言っちゃった!買うって言っちゃった!)

心臓がバクバクする、それでも目の前の店員は、当たり前のように「かしこまりました」と答える。

自分の心は宙に浮いてるようなのに、目の前に繰り広げられる景色は平坦で冷静で、その温度差が奇妙だった。


ミカはクレジットカードを差し出した。

「一括でお願いします」

(まあ、本当はリボ払いなんだけど)

些細なことだが、『一括払い』の言葉で、ミカは精一杯の見栄を張ることができた。

店員はうやうやしくカードを受け取り、店内の奥へと会計をしに行った。


しかし、ここで思わぬトラブルが生じた。

「お客様・・申し訳ございません。こちらのカードはご利用になれないようでして」

申し訳なさそうに男性店員が言う。

氷水を頭からかけられたような気がした。どうやらカードの限度額を超えてしまったようだ。

作ったばかりのクレジットカードの限度額は、ミカの想定よりずっと低く、一括払いでは150万円まで、その中でもリボ払いは100万円しか枠がなかったのだ。

「あら・・・」

恥ずかしい。今すぐ帰りたい気分だが、ここはあえて堂々と、にこやかにした方がいい。

「さっき買いすぎちゃったからかしら?うふふ、ごめんなさい」

そう言って、ドラジェ&カッペリーニの紙袋を持ち上げる。実際にはその中にはワンピースが一着しか入ってないのだが。

「いかがいたしましょうか」

ここで辞めますとは言えまい。余計に恥をかく。


ミカは答えた。

「あいにく他にカードがなくて・・後でまた買いに来たいのですが、取置きはできますか?」

「一週間以内に買いに来ていただけるのでしたら、可能です」

「わかりました、またすぐ買いにきます」

そしてミカは、店員の差し出した紙に連絡先を記入した。

「では、お待ちしております」

男性店員は何事もなかったかのように、柔らかな微笑みをたたえてミカを送り出してくれた。こういうケースはよくあるのだろうか。


ミカは帰り道、これからどうやって150万円を捻出しようか必死に考えていた。

生活費からでは必ずバレてしまう。特に一度クレジットカードを取り上げられているから、コウタはお金の推移に敏感になっているはずだ。


そこでふと、ひとつのアテがあることを思い出した。


「そうだ・・・うちにはもう一つ、共同の貯金があったんだわ」


それは、"いつか子供ができたときのために"と、二人でコツコツと貯めてきた貯金だった。


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第28話につづく


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