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小説『天使さまと呼ばないで』 第63話


家に帰り夕飯を食べてから、新しい型紙を引きつつミカはユミコさんの言葉を思い出していた。

人間なんてみんな完璧じゃないからねぇ
でも、好きな人なら完璧なはず、私のことを好きなら完璧になってくれるはずって、期待しちゃう


自分は母親に"期待"などしてるつもりは、無い。

大金持ちだったらよかったとか、欲しいおもちゃは何でも買ってくれればよかったとか、もっと美人に産んでくれれば良かったとか、そんな贅沢など望んでいない。

ただ、普通でいてほしかっただけだ。

普通に、自分の気持ちに寄り添ってくれる親でいてほしかった。

それのどこが"期待"というのだろう。

自分は子供として要求して当然のことを要求しているまでで、期待をしている意識などまるでなかった。


まだ、ユミコさんの言葉は、腑に落ちない感じがする。

それでもいつかはわかる時がくるのだろうかと思いながら、黙々と作業を続けた。



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翌日、休憩時間にミカはヒロコさんに尋ねてみた。

「ヒロコさん・・・ヒロコさんって、親御さんどんな方でした?」

失恋の件で話しかけられてから、ヒロコさんとはたまに雑談する。他愛ない会話のつもりだった。

「何、いきなり」

「いやぁ〜なんとなく気になって」

ヒロコさんに子供がいれば、『お子さんとはどんな関係ですか』と聞いたのかもしれないが、ヒロコさんが離婚してからずっと一人なのは知っているので、ヒロコさんとその親の関係を尋ねたのだ。

「別に、普通だったわよ。まあ厳しい人だったけどね。小さい時は言うこと聞かないと、よく木刀で殴られたもんだわ」

「ぼ、ぼくとう・・・」

ミカはそうした暴力を親から受けたことは無い。

「まあ当時は体罰なんて当たり前の時代だったからねえ。今だったら虐待って言われちゃうんだろうけど」

それでも、飴と鞭の"飴"の部分はあったのだろうか。ミカはまた尋ねてみた。

「たとえば、おもちゃとか、好きなもの買ってもらえました?」

ヒロコさんは吹き出した。

「無い無い!『そんなもん必要ない!』でおしまい!」

「悲しくなかったですか?」

「まあその時は悲しかったけどねぇ・・・かわりに自分なりに色々と工夫して遊んだわよ。手作りしたりね。それはそれで楽しかったわ。

私のところばっかり聞くけど、アンタのところはどうだったの?」

「うーん、おもちゃとかは買ってもらえたし、体罰もなかったですけど、なんというかデリカシーのない人で・・・無神経な言葉が多くてよく傷ついてましたね」

「ふぅん」

「私、実はこの間親と喧嘩して・・・まあ喧嘩っていうより私が一方的に怒っただけなんですけど・・・私今まで、自分の家のこと辛いと思ってたけど、そんなふうに思っちゃいけないですよね」

「どうして?」

「だって、ヒロコさんから見れば私なんてめちゃ恵まれてる環境ですし・・・」

「いいんじゃない、別に。辛いと思っても」

「えっ」

「だって、そう思うのは仕方がないでしょ」

「でも、ヒロコさんみたいに自分よりも辛い家庭環境の人の話を聞くと、この程度で文句言っちゃダメだなって・・・」

「そんなもん、上を見ても下を見てもキリがないわよ。自分が人より辛いか辛くないかなんて、測りようがないんだから、そう思うことを否定する必要は無いと思うけど」

「そうですか・・・」

「そうそう!さ、そろそろ仕事仕事!」

そう言ってヒロコさんは立ち上がった。



ヒロコさんに言われたことは、ミカがかつてカウンセリングでクライアントに話しかけていたことと同じだ。

『あなたがそんな感情を抱いても良い』と言えば、クライアントは皆ホッとした顔をしていた。だからミカはたとえそう思ってなくてもその言葉を伝えていた。

だが、自分自身に対してはどうだっただろう。



そして今まで、自分より不幸な人間がいることを頭の中で理解してはいたが、どこか絵空事のように思っていた。

虐待のニュースを見ると心を痛めてはいたが、心のどこかで、そうした人たちははじめから『不幸な人』であって、自分の比較対象ではないとどこかで思っていた。

自分が親に望むのは、あくまで『普通』と比較して足りない部分であって、決して贅沢な望みをもっているわけではない気がしていた。

だが、ヒロコさんの中では、おそらく自分よりももっと低い位置が『普通』なのだ。


しかし、ミカは未だに自分の親を『良い親』と形容することに抵抗があった。

自分の親が『良い親』だとすれば、自分が抱いている苦しみや悲しみが証明できないような気がしたのだ。



ミカはまた、幼い頃に母親にかけられた言葉の数々を思い出した。

お母さんが小さい頃よりずっと恵まれてるんだから、そんなことを言ってはダメ!

こけた自分が悪いんだから、痛いなんて言わないの!

そんなしょうもないことで泣くなんて


ミカの母親はいつも、こうした言葉でミカの感情に制限をかけた。


だからミカはいつしか、他人よりも不幸でないと悲しいと感じてはいけないとか、自分に問題があるなら辛いと感じてはいけないとか、他人よりも優れていないと嬉しいと感じてはいけないと思うようになっていた気がする。

人と比較してからでないと、一喜一憂できなかったのだ。


頭の中に、またヒロコさんの言葉が響いた。

いいんじゃない、別に。辛いと思っても
自分が人より辛いか辛くないかなんて、測りようがないんだから



(別に、私の親が『良い親』だとしても、私は辛いと感じてもいいのか・・・)



そう思うと、心がふっと軽くなった感じがした。

絡まっていた糸が、ほどけてきたような気がした。



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第64話につづく

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