【中国語学習】~「花」に対する感性~

中国語を学習していて、おもしろいと思ったことを書くコーナー。

-----------------------------

中国語で「花hua1」は日本語と同じで植物の花という意味を持つと同時に、「(時間やお金を)費やす」という意味があるらしい。

英語で言えばspendに該当する使い方ができる。

例えば、「上海まで何時間かかりますか?」は「到上海要花几小时?」と言うことができる。

仮に無理やり日本語の文章にこの「花hua1」を入れ込むとすると、例えば、

「私はその仕事に2時間を"花hua1"した」とか、

「貴重なおこずかいをすべてお菓子に"花hua1"してしまった」とかそんな感じになる。

私が通っている中国語学校の先生に、「中国語を話す人は、この「花」という漢字を見た時に、あの美しい植物の「花」と、時間やお金を「費やす」という意味と、両方イメージするんですか?」聞いてみたが、「両方イメージできる」とのことだった。

これは中々おもしろい感覚だ。そして素敵な感覚だと思う。

というのも、つまり中国人(ここでは中国語話者の事を便宜上中国人とひとくくりに言わせてもらう)の感性の中では、「花」という物と、貴重なものを「費やす」という意味が、とても近いところにあるという事なのではないかと思うからだ。

日本人、というか私の感覚からすると、花というのは種→芽→茎→葉→そして花というように、成果物というか、集大成みたいなイメージがある。「あの人は努力を実らせて、大輪の花を咲かせた」とか、「彼は遅咲きの選手だ」とかというときには、「花」というのは美しい結果・成果またはゴールのイメージだと思う。

しかし中国語の感覚的には、その美しい花(=結果・成果)には常に「費やされるもの」「はかなく散ってしまうもの」というイメージ付随する。(ような気がする。*これはあくまで私の推測で、実際に中国人に確認したわけではない)。

それはとても奥深いものの見方だ。どんなに美しいものも、素晴らしいと思える人や芸術も、必ず無くなってしまう日が来る。花は美しく咲き誇っているが、同時に何か貴重なものを費やしながらそこに存在している。花はそういう切なさを伴っているからこそ美しい、そんな感性。失礼ながら中国人はエネルギッシュでガサツでマナーがなってなくて…というようなイメージを持つ人がおそらく多い中、この「花hua1」という文字の使い方からから、中国語や中国文化の奥深さを感じた。すべてのものはいつか消えてしまう。だから美しいし大切だ。

動詞「花hua1」は、時間やお金のような、本当に貴重なものを使うときにしか使えない、というのも納得である。

そういうものの見方を、大切にしたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?