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鹿美味し。人怖し。

ずいぶん寒いと思ったら山の我が家から見える一番高い山に雪が積もっていた。何時もより早いような気がするのだが雪を見るだけでワクワクするのは子どもの時から変わっていない。雪と紅葉が一度に楽しめるこの時期の散歩は格別だ。

若い時、短い間だけだが家の正面見渡す限り畑という田舎の一軒家にホームステイしていた。山育ちの私は地平線から太陽が登ってくるのにえらく心が湧いて、よく早起きをして家の周りを散歩した。家の庭は実際はどこまでかわからないのだが隣のうちまではかなり離れていたので裏の森や川や草むらは自分のところ同然だった。

家の周りは鹿が多く、秋になると猟が解禁になる。そのため、自然にはない色のコートを着て出かけないと誤って撃たれることがある、そう聞いて赤いコートしか持っていなかった私は明るい青色の毛糸の帽子を被ってよく森を歩いた。

北海道と同じぐらいの緯度の土地だったので、寒さは厳しいし、秋は短い。そのせいか人々は長い冬の前にとにかく外を堪能しようとする。ゴルフコースの茂みがざわざわっと動いて、動物かと思ったら人でしたなんてこともよくあったし、カヌーで川を下ると知ってる人にばっかり会うということもあった。

近所の森は人里離れていたのでざわざわっと茂みが動いたら家族か動物しかいなかった。猟場になっている森の周りにはいくつもピックアップトラックが止まり、少しだけだが人が増えた。ハンターも猟とはいえ朝から殺生なんて、と思ったのも最初だけですぐに銃声にも慣れてしまい、森歩きもまたのんびりとしたものになった。

銃声は聞くけれど、それまで森で本当の鹿にばったり遭遇、などということはなかった。大抵は車の前を横切られるとか、信号待ちでちらっと見かけるとか、畑の野菜を食い荒らしに来ているのを家の中から見る、とかだった。距離感としては動物園の生き物。そんな感じで「わーかわいい」と言うと大抵の人は「ああ、見た目はね」とちょっと困ったように言うのだった。

もう冬が来はじめたな、散歩もそろそろやめようかな、と思った日だったと思うのだが、初めて鹿と対面した。生身で。棒でも持っていればよかったと思ったぐらい大きかった。あちらもびっくりしたかもしれないが、こちらもびっくりである。濡れ濡れっとした真っ黒な目玉がじーっとこっちを見ていた。が、実際はどこを見ているのかわからない。目が合ってる気がするが、どうなんだ、と思った。華奢に見えるが、ぶつかったら車のボンネットが凹むぐらいのどっしり感がある。迫ってこられたら間違いなくあばらが折れる。ああ、こまったなあ。異国の森で人知れず息絶えるのか。「早朝の謎。美人インターン、森の中で殺害か。」と日本のワイドショーや週刊誌に載るのか。いや、それは困る。お父さんそろそろ外でコーヒーを飲む時間だから助けを呼ぶべきか、などと考えを巡らせた。

が、鹿の方はしばらくしたらさっさと道路の方へ走っていってしまった。「なんだ、あんたか」と言わんばかりの素っ気無い対応である。人間界において、初めて会った人にこんなつれない態度を取られることは経験していなかったので寂しい気もした。だが、何よりあばらが無事でよかった、とホッとした。

それからは森の中でも林の中でもうちの周りでもあのつれない態度の鹿が出てこないかと期待して歩いた。けれども冬が迫るにつれ散歩はショッピングモールですることにしたのでもうあんなに近くで鹿に会うことはなかった。

ここ愛媛も鹿が多いと聞く。ジビエとして鹿やイノシシが人気だ。私も食べたことがあるがとってもおいしかった。もちろんホームステイしていた家で食べた鹿肉のシチューもおいしかった。とってもおいしくて幸せな気持ちになるのだが、何かのはずみに思い出すのはあの、どこを見ているのかわからない真っ黒な目である。

あの鹿とこの鹿肉は別物、とすぐに切り替えられる私はとても合理的な人間なのか、それとも欲のままに生きる動物的な人間なのか、悩ましいところだがやはり美味しいものは美味しい。

結局一番怖いのは人間の想像力である。

では、また。ごきげんよう。