父は知っていたのだろうか
近藤です。
NHKの朝の連続ドラマが終わる時、いつも思うんです。
「次のやつは観ないでおこう」って。
始まりの時間が気になったり、明日の話が待ち遠しかったりでなんとなく途中で辞められなくなるからです。
今、放送中の「スカーレット」もよそうと思っていました。でも、しっかり観て毎朝笑ったり泣いたり。
主人公は信楽の陶芸家。彼女には同じ陶芸の道を目指す息子がいます。
今週彼女が息子に白血病だと告知する場面がありました。このドラマの時代は癌であることを本人に告知することが少なかった時代。私の父が癌になった頃と重なります。
父は自分が癌だということを知らずに亡くなりました。というか母が告知をしないという選択をしたので正式に医師や家族から病名を聞かずに亡くなりました。
こういうドラマを観たり本を読んだりすると毎回引っかかります。
「父はなにかおかしいと思わなかったのだろうか」と。
入院して、いろいろな検査や治療をしているのに、よくなる気配がないどころかどんどん悪くなっている自分の体調。そこからいろんな病気を疑わなかったはずがないと思うのです。
当時まだ小さかった私には母が告知をしない、という決断をした理由も苦しみも本当には分かっていません。
自分が若かった頃には、告知をしなかったことで父はやり残したことがあったんじゃないのだろうか、と思ったこともありました。特に自分が父が亡くなったのと同じ年齢になった頃は私なら知らされずに死んだら後悔する、と思っていました。
でも50を目前にして「知っていたらもっと充実した時間を過ごせたのか」と思うとどうなんだろう、と思うようになりました。真実を知っても父はどんどん進行していく癌に気持ちが追いつかなかったかもしれません。
ドラマの中で主人公の息子は「余命3年から5年」と言われました。短すぎます。でも父は余命一年もありませんでした。37歳の彼には落ち込んだり、悩んだり、前向きになったりする時間もないあっという間のことでした。
私としては告知したほうがよかったのではないか、という気持ちが今でもあります。ただ、父の性格や病気の進行具合を考えると母の決断はその時一番いいものだったのだという気もするのです。
そしてもし私が病気になったら。
告知を受け止められない。でも知らされなかったらやり残したことばかりになりそう。
そう思ったら、何が起こっても悔いのないよう日々暮らすことが周りのためにも自分のためにもなるんじゃないのかな、と。
何年経っても家族の死は過去になりません。悲しみが戻ってくる頻度や悲しみの深さがその時によって変わるだけです。
でも、そんな悲しみの上にある私の人生って楽しくて幸せなんですよね。不思議だけどこんなもんなんでしょうね。
次のドラマも観ちゃうのかな。
では、また。