『代表以外』あるJリーガーの14年 #3 第1章 契約満了:その2
2001年12月5日、新潟。
宮沢がこの地を訪れるのは、2度目だった。
一度目は1年半前、浦和のJ2時代のアウェイゲーム。
その試合、宮沢は後半開始から出場。だが、チームは前半のうちに4度もゴールネットを揺らされており、最終的にはアルビレックスに1-6の大敗を喫している。
この日、宮沢たちが向かったのは、あのとき完膚なきまでに敗れさった場所・新潟市陸上競技場ではなかった。
セレクション会場となっていたのは鳥屋野運動公園球技場。
駅からタクシーに乗り10分ほどで到着した。
「運動公園」との名を冠された競技施設は広い敷地内にあることが多い。表通りから競技場の入り口まで、公園内を歩くことになる。
だが、鳥屋野運動公園球技場の入り口は直接道路に面していた。
そしてそこには、セレクション会場であることを示す看板や張り紙のひとつも掲示されてはいなかった。
「ここでいいんだよね……?」
「そのはずだけど……」
同行の3人とそんな言葉を交わしつつ、横開き式のガラス扉でできている球技場正面の入り口をのぞく。
ガラスの向こうには、ありふれた折り畳み式テーブル――木目を模したダークブラウンの天板の――がひとつとパイプ椅子。そこにスーツ姿の女性が腰掛けていた。
こちらに気づいた女性が立ち上がる。
『どうぞ』という、その仕種に促されて扉を開けた。
「お名前は」
「浦和レッズの宮沢です」
受付の女性は手元の書類に目を落とし、宮沢克行の名前を見つけると、印をつけた。
「セレクション参加料として、1万円お願いします」
事前に知らされていたこととはいえ、やはり高いな、と思いつつ財布から1万円札を抜いて差し出す。代わりにしっかりと領収書を受け取り、財布にしまった。大宮―新潟間の交通費も含め、サッカー選手という個人事業主にとって領収書は大切なものだった。
《早速着替えて、アップしなきゃ。寒いから、念入りにやらないと》
そんなことを考えながら更衣室を探したが、それらしい場所は見つからない。
「あのう、着替えはどこで……」
近くを通った関係者らしき格好の人物に尋ねる。
「あぁ、そのへんで着替えて」
指し示された場所は、寂れたスタンドだった。
メインスタンドを埋めているのは、人ひとりが座る形の個別のシートではなく、複数人が座るベンチ式のものだった。背もたれもない。
屋根は、宮沢たちが入ってきた中央の事務所の両脇に申し訳程度に付いているだけ。
グラウンドを挟んだ対面にバックスタンドはなく、あるのはフェンスのみ。元々はエメラルドグリーンだったはずのそのフェンスも、日に焼けて鮮やかさを失い、白くなっている。
肝心のグラウンドは緑よりも茶色の印象の方が強い。
冬枯れと、芝生が剥げて下地の土が露出した箇所が多いせいだった。
聞けば、終わった後に浴びるシャワー設備もないという。
そんな環境に、少しだけ面食らう。
この日のセレクションはJ1・J2クラブの所属選手を対象とされていたが、関東大学リーグの試合でももう少しマシな場所でやっていたものだ。
屋外での着替えなど最後にしたのは何年前のことだったか、指折り数えないと思い出せない。
『こんな環境でも、こんな扱いを受けても、それでもウチに来たいという意思がある奴だけ来い』
暗にそう言われ、試されているような気すらした。
8段しかないメインスタンドへ上がると、右手のゴールの遥か後方に白い巨大な建造物が見えた。
7ヵ月後に控えた2002年ワールドカップで使用される県営新潟スタジアム。愛称『ビッグスワン』。
白鳥が翼を広げた姿をイメージして造られたスタジアムの屋根が、その偉容を覗かせていた。
ビッグスワンでは、グループリーグ2試合――アイルランド対カメルーン、クロアチア対メキシコ――と決勝トーナメントの1回戦が行なわれることが、つい4日前の抽選会で決まったばかりだ。
対戦カードの決定で、世間のワールドカップへの関心はより一層強まっていた。
『2001年の年末』ではなく、『ワールドカップ・イヤーまであとわずかの日々』。
それが、このときの日本サッカーを取り巻く正確な雰囲気だった。
そして、関心の向かう先は、日本サッカー全体ではなく、日本代表チームと代表選手個々人だった。
そんな世間の気分とは随分と遠いところに、宮沢は居た。
もっとも、ワールドカップに向けて盛り上がる世の中と自身の現在の境遇とを照らし合わせ、嫉妬することも悲劇のヒーローを気取ることもなかった。
そんな自己憐憫にひたる余裕は、そもそも持ち合わせていなかった。
曇り空の下で鈍く光るビッグスワンの白い屋根に目をやり、無感動に思う。
《あれか……》
ワールドカップ会場を視界に収めた感慨などは微塵も湧いてこなかった。
鳥屋野球技場のスタンドでは、すでに何人かの選手が着替えの最中だった。彼らと同じように宮沢たち4人もベンチに陣取ると、寒さに震えながらできるだけ手早く着替えを済ませた。
午後2時に始まったセレクション、参加者は50名ほど。
皆、それぞれの所属チームのトレーニングウェアに身を包んでいる。宮沢が着ていたのは赤地に黒いラインが入ったプーマ製のウェア。ジャケットの右裾とパンツの右上には、背番号の『28』が白い糸で小さく刺繍されている。
赤いウェアは宮沢ひとりだけで、残りは青や黒を主体としたウォームアップジャケットばかりだった。
ただしよく見ると、あしらわれているラインの色などがそれぞれに異なっている。
手入れされていないグラウンドに、ばらばらのウェアを着た選手たち。
事情を知らない者が見たら、草サッカーチームとしか思えないであろう集団だった。
参加者の中には、盛田や小島のように、プロとして同じ釜の飯を食った選手のほかにも、プロ入り前に一緒にプレーしたことのある旧知の仲の選手や、大学時代の後輩もいた。
「お前、何してんの?」
「ミヤさんこそ!」
互いに驚きの声を挙げるが、ここにいる理由にすぐ思い至り、互いにバツの悪い笑みを浮かべた。
「久しぶりだなぁ」
しかし、そんな言葉とは裏腹に、再会を喜びあうこともなければ、思い出話に華が咲くこともない。
セレクションに合格するのは多くても5、6人だろう。
旧知の仲であっても、ライバルであることに変わりはないのだ。
「そう言えば、アイツ覚えてる?」
互いに知っている第三者の近況に話が及ぶこともあったが、それも
「アイツも満了らしいよ……」
といった理由で話題にのぼっただけだった。
会場にいる顔見知りの選手はわずかで、全体の10分の1ほど。
この2001年シーズン初頭の時点では、J1・J2合わせて約700人が選手登録されている。新潟でのセレクションに参加しているのは、その700人の1割にも満たない50人。
知らない選手の方が多いのは当然だった。
それでも会場を眺めてみると、顔見知りとは言えないものの宮沢が一方的に知っている選手も何人かいた。
《あの人も、なのか……》
そんなことを思いながら、自分が属する世界のシビアさを再認識した。
セレクション会場には、指揮官の姿もあった。
反町康治。
この2001年に監督に就任した彼のチームは、J2で4位という成績をおさめていた。
反町をはじめとするスタッフが見守るなか、選手たちはそれぞれ30分ハーフの試合を行ない、技術・戦術眼・フィジカルといった各要素を見極められることになる。
選手たちにとっては、再就職のための『実技試験』だった。
参加者はポジションバランスを考えて4チームに分けられた。
宮沢の出場は2試合目。
自分に出番のない1試合目の前半は観戦し、後半になったらウォーミングアップをはじめるつもりで、スタンドの冷えたベンチに腰を下ろす。
すると、突然自分の名前が呼ばれた。
「宮沢く~ん、レッズの宮沢君いませんかあ?」
何事かと思い腰を上げる。
声の主が紺地にオレンジのウェアを着ていることから、新潟関係者であることがうかがえた。
「宮沢君、1試合目に入って!」
聞けば、1試合目のチームに入る予定だった中盤の選手が遅れているとのことだった。
身体の芯まで冷えそうな寒さの中、アップもせずに実技試験に臨むのは不本意だった。
しかし断わるわけにもいかず、宮沢はトレーニングウェアを脱ぎ、チーム分けのために手渡されたビブスを頭から被った。
ボールを出す側である中盤の宮沢は、普段は受け手の特徴を考えてパスを出している。
《コイツは足元でもらうのが好き》
《コイツは前のスペースに出す方がスピードを生かせる》
といった具合に、受け手の好みに合わせたボールをそれぞれ配給する。
だが、互いに知らない人間ばかりの即席チームでの試合では、当然のことながら、普段のような受け手好みのパスは出せない。
指針としたのは、試合前にセレクションに参加する全選手が集められた際、新潟の強化部長から伝えられた事項だった。
「ボールを取ったらすぐに攻める。どんどん裏を狙ってください」
強化部長のその言葉は、イコール、新潟の指揮官が志向するサッカーであり、チームはそれができる選手を欲しているということだった。
DFラインの裏をつくようなパスを狙うのは、好みのプレーだ。
セレクションでそれが求められるのは、やりやすいなと思い直し、いくらか緊張はほぐれた。
《それ以外は、自分がやりたいようにやろう》
そう決めた。
考えても仕方がないという開き直りに似た気持ちと、悔いを残したくないという感情が、そう思わせた。
とはいえ、わがままにプレーするわけではない。
中盤の選手がやらねばならない約束事を遵守し、ゲームの流れに合わせてバランスを取りながらプレーする。そのバランス感覚は、身についているものであると同時に、
《ちゃんとチーム全体のことを考えてプレーできますよ》
というアピールでもある。
練習で行なう紅白戦などとは勝手が違うゲームだったが、はじまってしまえば、あとはあまり変わらなかった。
みんな自分の良い面を見せようと頑張ってはいたが、かといって、ライバルを削ろうとする者や自分勝手なプレーをしようという者はいない。普段との差は味方を知っているか否かという点と、セレクションの緊張感の付随だけ。
サッカーは、サッカーだった。
30分ハーフのゲームは、やはりとても短く感じられた。
《これだけで、本当に自分のプレーはきちんと見られているのか》
不満に近い不安を宮沢は抱いた。
だが、出来が悪いというわけではなかった。
FKのチャンスに直接ゴールを決められたくらいだから、むしろパフォーマンスは良かったのかもしれない。そのFKをセットする際には、外国人選手が蹴りたそうに近寄ってきていたのだが、「いいよ、俺が蹴るよ」と日本語であしらってもいた。
浦和ではあまり出すことのなかった『我』や主張を出せたのは、追い詰められたゆえの開き直りだった。
スタンドに戻って汗を拭き、着替えを済ませた宮沢は、そのままベンチに腰を下ろしていた。
グラウンドでは、自分が出場するはずだった2試合目が行なわれている。
風邪を引かないようベンチコートを羽織り、同行の3人の試合が終わるのを待つ。ゲームの最中は良いプレーをすることに意識を集中できていたが、終わってみると、この先どうなるのかわからないという不安がまた心を浸食しはじめる。
浦和には次のチームを探してくれるようにと頼んではあったが、アテにはしていなかった。大学時代の恩師も伝手のあるチームに当たってくれると言っていたが、期待しすぎない方がいいだろう。
希望的観測に縋って痛い目を見るのは、もう懲りていた。
《やれることは、やらなきゃな》
胸のうちで、そうつぶやく。
頼りになるのは、自分だけだった。
新潟のセレクションは1日で終了はせず、翌日にも予定されていた。
同行の小島の大学時代の監督で、宮沢自身も関東大学選抜でお世話になった坂下博之の知人が経営する温泉旅館に投宿する。
その宿は予想以上に立派なところだった。
シーズン中の遠征で宿泊するホテルとは違い、和風の建物と部屋はノンビリと温泉旅行にでも来たかのような錯覚を抱かせた。
4人で座卓を囲み、部屋に出てくる夕食――刺身ひと皿と固形燃料で煮る小さな鍋が付いた――をつついた。
「セレクションで来てるって感じじゃないね」
「だよな~」
そんなことを話しながら、久しぶりの寛いだ気分でその夜は過ごすことができた。
(第1章 その3へつづく)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?