大人になるとは、与える側になること。

私はアニメやテレビをよく見ている子供でした。

今思うと、子供向けのアニメを作っているのは大人なんですよね。(当たり前だけど)

子供も大人も、中身は大して変わらないんだろうな。

良い!面白い!と感じるアンテナは、時代によって向きがズレていくのだろうけれど、感度は変わらないんじゃないかな。って思います。

無数の大人たちが作ったものに、ある世代がコレだ!と飛びつけば、それが今のトレンドってことになるだけで。

流行というものは、ある意味、作為的で、戦略的で、宗教的で、病的だ。

実は作り手と売り手に踊らされている消費者…なんて構図が、ブランド戦略だったわけで…。という裏事情はさておき。

世の中には、有名になってもおかしく無い、素晴らしいものが、いくらでも埋もれている。
それがSNSによって埋もれにくくなったのだろうと思う。

このnoteだってそうだ。

従来なら、出版社に記事を持ち込むなどして、機会を得て、本を出版する。という流れだったはずだ。今ではそのハードルを超えることはない。

一般人が (私は一般人という表現は嫌いなのだが)
次の日には有名人になることもあり得る世界に、現代はなっている。

その逆、とあるコミュニティでは有名人だが、隣のコミュニティでは、ただの一般市民になる。という構造もハッキリしたことだろう。(専門分野の著名人とかそうだよね)

noteもYouTubeもそうだけど、良いモノ・情報をタダで得られるなんて、すごい時代になったもんだ。

さて話は変わるが、
皆さんは、ギバーとテイカーの話を聞いたことがあるだろうか。
心理学者アダム・クラントさんが提唱した、人間の思考型の分類だ。

ギバー:giver 与える人
テイカー:taker 貰う人
マッチャー: 上記2つのバランス型

この3種類である。
まぁ大体の人はマッチャーになるんじゃないですかね。

世界中の人が皆テイカーだったら、この世は戦乱の時代だと思う。欲しいから、取る、奪う、盗む…それがまかり通ってしまう。
そんな世界に、友情も仕事も成り立たない。

だから、仕事をする事で、あらゆる形で(間接的にでも)人に与えることになっているのは、スゴイ事なのだなぁ。
働くって、それだけで何かしらに貢献した事になり得るんだなぁ…などと考える今日この頃。

ちなみにギバーには、自己犠牲型と他者利益型があって、身近な世界をちょっとだけ良く変えるのは、他者利益のギバーなのかもしれない。

子供時代は、あらゆるものを受け取るだけだった。

大人は、サービスを作り出す側だ。

ビジネスという形で与えるのだって良い、
エンタメという形で与えるのだって良い、
友愛や愛情という形で与えるのだって良い、

どんな形であれ、与える人間は素晴らしいなと思う。

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