8月31日の日記:私とSNSについて

 私の思考は散漫である。多動とも言えるだろう。物事に集中できず、何かに没入することが苦手だ。この一年くらいでその傾向は強まる一方である。これを書いている間もあらゆる思念の奔流に苛まれている。その癖何かの拍子に集中すると途端に周りが見えなくなる。バランスが悪く難儀だ。
 そんな私がSNSを見るとどうなるか。SNSではあらゆる友人知人他人がそれぞれ自分勝手に情報を噴出している。新しいアルバムを作った人、雑誌を作った人、バンドを辞めた人、美味しいものを食べた人、赤ちゃんを産んだ人、思想を発信する人、政治的に活動する人、鬱の人、狂ってる人…SNSを眺めるうちに私の意識はそれらあらゆる人を巡って、どんどんと飛躍する。この飛躍の恐ろしさは自分がどこから出発したかを容易に見失う点にある。ただでさえ思考が飛躍し本懐を見失いがちな私が思考の隙間でSNSなど見ようものならたやすく予定がかわり、やるべきことは忘れ去られてしまう。こうして私は身の回りの大切なものを蔑ろにしてしまうのだ。悲しいことだ。私の部屋には足りないもの、やりかけのことが沢山ある。放置された課題が山積みだ。げんなりする。あって当たり前の物がないから人より余計に苦労をする。
 なぜ今更そんなことを思ったかと言えばADHDの人のツイートを読んだからである。勉強になる。ただそのツイートを読んでいるうちに作るつもりだった夕飯の献立は忘れてしまったし、自分が何を書きたかったのかも忘れてしまった。とりあえずはTwitterを眺めながら電車に揺られることにする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?