共感覚

マノヒロミは「赤い人」、イケダさんは「黄色い人」

私の認知方法はちょっと変わっているらしい

生まれてから三十歳くらいまで「自分のものの見方はごく普通だ」と思っていました。
近眼だけれど色覚に障害があるわけではない。自分はみんなと同じ物を見ていると信じていました。

でもある日、新聞を読んでいて気づいてしまったのです。

「え? 私の物の見方って変だったの?」

新聞には、ある本の書評が載っていました。
その本の名前は「ねこは青、子ねこは黄緑
「共感覚者」について書かれた本です。

共感覚とは「文字に色を感じる」「味に形を感じる」といった具合に、五感に別の感覚が混じってしまう現象のこと。
ちなみに、私の場合は文字に色を感じるタイプの共感覚を持っています。

物心ついた頃から「文字には色がある」というのが当然だったため、書評に書かれた「世の中にはこんな不思議な感覚を持つ人がいる」という文章に納得がいきませんでした。

「文字って色があるよね? ヒロミってピンクの名前だよね?」
そう聞いた時の、両親の怪訝な顔。
「文字に色がある」と思っていたのは、私だけだったのです。


「文字に色がある」とは

文字に色があると言っても、

というように見えている訳ではありません。
黒で書かれているものは、ちゃんと「黒」で見えています。

では、なぜ「文字に色がある」と思うのかというと「文字に色を感じている」んですね。

説明が難しいのですが……。

たとえば、デジカメで撮った写真には、目に見える画像そのものの他に、「日時」「ファイル名」「ピクセル数」「位置情報」など、目に見えないいろいろな情報が盛り込まれています。

共感覚はその目に見えない情報の方を「これは2月25日に撮った写真だ」「これは1600*1200ピクセルだ」と感じ取るようなイメージかな。

「この『あ』という字は、黒で書かれているけれど『赤色という情報』を持っている」と認識している、のだと思います。


「色を感じる」のはすごく疲れる

共感覚者といっても、ふだんは「色」を意識して生活しているわけではありません。
文字を思い浮かべた時に、脳の中で一瞬ポワッと色を感じ、また霧のように消えていくだけ。

今、これを書きながら意識して色を捉えようとしているのですが、ものっすごく頭が疲れます。

ポワッと浮かんでは消えていく物を、必死にキャッチしようとしているので、頭の芯が冷たくなったり靄がかかってくるのです。
これ、私だけでなく他の共感覚者も同じことを言っていましたね。


漢字とひらがなの関係

英語圏はアルファベット26文字しかありませんが、日本語はひらがなだけでなく、カタカナや漢字が無尽蔵にあります。

ひらがなと漢字を、共感覚者はどういう風に感じとっているのか。

私の場合は「ひらがな=カタカナ」
漢字とひらがなに関しては、ほとんど法則性がなくて、ひらがなの色で認識することもあれば、漢字の色に引きずられることもあります。

たとえば。
「朝」という字は「あさ」の「あ」が赤なので、私にとっては「朝=赤」。つまり、ひらがなに引きずられて文字の色を認識しています。

一方、「朝」は「ちょう」とも読めます。
私は「ち」を黄緑色と認識していますが、「朝廷」は「赤+ベージュ」と認識されて、ひらがなの影響は受けていません。


最初の文字の色が全体に影響を及ぼしている

「あさ」は「あ=赤」「さ=ピンク」なのですが、「あさ」という単語全体でみると、「あさ=赤」

このように、単語は最初の頭文字の色で認識することが多いようです。

上の「朝廷」のように「廷=ベージュ」の主張が大きく、「赤+ベージュ」と認識することもあります。

「マノヒロミ」は前から順番に「赤、黄色、ピンク、真鍮色(?)、紫」ですが、最初の「マ」が赤いので全体的には「赤色の名前」と認識しています。


私、ひとの名前と顔を覚えるのが苦手なので、共感覚を利用して「小田さんは青+茶色の人」「池田さんは黄色い人」というふうに覚えるようにしています。


後天的な学習で影響を受けたものもある

ひらがなと漢字の関係だけでなく、「後天的な学習」が文字の色に影響を及ぼしていることもあります。

たとえば「木」という漢字。
ひらがなの「き」が「緑」なので「木」も「緑」なのですが、「茶色」が入り交じって感じることもある。
これは「木は茶色の幹に緑の葉っぱがあるもの」という、後天的な学習のせいではないかな、と思っています。

そもそも「き=緑」というのも、「後天的な学習」の可能性が高いですよね。


「文字に色」以外の認知

共感覚と関係あるのかないのかわかりませんが……。
私は何かを思い浮かべるときに、なぜかまったく関係のない過去の映像が頭に浮かんできます。

「過去のことを思い出す」という行為をすると、必ず「子どもの頃に車で通った交差点」の映像が頭に浮かぶのです。
この「交差点」は思い出したかった過去とは全く関係ないにもかかわらず。

この「関係ないのに思い浮かぶ画像」というのは数パターンしかなくて、上の「交差点」の画像と「近所の公園を南西角から見た画像」くらいかな?
まだあったような気がするけれど、意識していないので忘れてしまいました。


昔の会社の上司は「数字が行列している」と言っていましたね。
「数字が円形に行列していて、30で直角に上昇。それからあとは螺旋を描いて……云々」
ってかんじのことを言っていました。

行列はしてないけど、私も数字を思い浮かべるときは立体のことが多いかな?
ナチュラル系のお宅によくあるこういうかんじのやつに似てます。


脳の混線が原因?

共感覚の原因についてはよくわかっていないようですが、一説には「脳が未発達で混線しているのではないか」と言われているそうです。

自分の感覚として、この「未発達な脳の混線説」はすごく納得できます。本来は分化していなければならないところが、どう言う訳かつながっちゃってるんでしょうね。
だから、文字に色がついていたり、まったく関係のない映像が浮かんできたりするんじゃないでしょうか。


おわりに

以上、自分の共感覚について書いてみました。

上にも書きましたが、共感覚を捉えようとすると、頭がもうろうとしてきます。
今ももうろうとしているので、頭がクリアな時に訂正、追加をするかもしれません。


同じ物を見ていても、人によってぜんぜん見え方が違っているのでしょうね。
一度、他人にのりうつってどんな風に世界が見えているのか、体験してみたいものです。


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