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トルコの虜。モーツァルト「トルコ行進曲」【音学note】

皆さん、突然ですがモーツァルトは好きですか?「トルコ行進曲」は好きですか?
こんにちは、ライターの青竹です。今回の音学noteはクラシック界のキングオブ有名曲と言っても過言ではない「トルコ行進曲」を掘り下げていきたいと思います。
まずはせっかくですので僕たちのYouTubeチャンネルから、「トルコ行進曲」を聴いてみてください。

左手のリズムはまるで軍隊の行進のよう、右手のメロディーは色々な形に変化していますが、異国風な印象を受けます。
なぜモーツァルトは「トルコ」を題材に曲を書いたのでしょうか?

東方から西方へ 

まずは時代を遡り、トルコの音楽がヨーロッパに渡るまでの道筋を追っていきましょう。
シルクロードで有名なトルコは陸の交易路の中心として重要な立ち位置をしめていました。しかし現在のトルコが位置する場所は11世紀ごろまでは「アナトリア」と呼ばれ、ビザンツ帝国の領土に組み込まれており、この地ではもともとギリシア語を話すギリシア正教徒が多くを占めていました。しかし徐々に東方からトルコ語を話すトルコ人が侵攻し、イスラム化が進んでいきます。
そんな中央アジアのトルコ人の侵攻と共に、東方の音楽文化が西方にもたらされます。その中でも重要なのが「タブルハーネ tabılhane」と呼ばれる楽隊の存在です。多くの戦いが起こっていた時代、音楽は士気を高めるのに重要な役割を担っていました。タブルハーネはダウル davul(筒型の両面太鼓)、ズルナ zurna(二枚リードのたて笛)、ボル boru(トランペット)、ズィル zil(シンバル)から成る楽器編成で、戦場に力強い音楽を響かせました。

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(ダウルを演奏する軍楽隊。画像出典 :Wikipedia)

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(ズルナ。画像出典:Wikipedia)

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(ズィル。画像出典:アジアの楽器図鑑)

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(ボルを演奏する軍楽隊。画像出典:Wikipedia)

ボルとズルナの二重奏も聴いてみましょう。


オスマン朝からヨーロッパへ 

この「タブルハーネ」がオスマン朝に引き継がれると、「メヘテルハーネ mehterhane」と呼ばれる軍楽隊となります。
16世紀から18世紀にかけて、オスマン帝国はヨーロッパ諸国の大きな脅威となっていました。オスマン帝国の大規模なヨーロッパ進撃作戦によって、ウィーンも1529年に第一次包囲、1683年には第二次包囲と、二度に渡って包囲されています。そんなオスマン帝国の精鋭軍隊が「イエニチェリ」と呼ばれる軍隊であり、その軍楽隊が「メヘテルハーネ」でした。
つまり「タブルハーネ」によって東方にもたらされた音楽文化が、「メヘテルハーネ」によってヨーロッパにもたらされたわけです。

メヘテルハーネ

(オスマン帝国の宮廷画家によって描かれたメヘテルハーネ.。イスタンブール「トプカプ・サライ博物館」蔵 :画像出典 Wikipedia)

この画像からもわかる通り豪華な衣装に身を包んだメヘテルハーネ、楽隊の編成も大きなものになっており、先ほどの楽器たちと共に、ナッカーラnakkare(二つ一組の鍋型太鼓)、キョス kös(ティンパニ)、チェヴギャン çevgan(三日月形の飾りに鈴やベルが付いた錫杖の一種。)といった楽器編成となりました。


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(ナッカーラ。イランメトロポリタン美術館蔵。画像出典:コトバンク)

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(キョスを演奏する軍楽隊。画像出典:Wikipedia)

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(チェヴギャンを演奏する軍楽隊。画像出典:Wikipedia)

彼らがヨーロッパにもたらした音楽は「ヤニチェーレン・ムズィーク」や「バンダ・トゥルカ」と称され、西洋音楽にも大きな影響を与えていくこととなります。
メヘテルハーネの実際の演奏も聴いてみましょう。

ヨーロッパで「トルコ風」が流行

17世紀後半から18世紀にかけ、西洋の音楽文化にメヘテルのもたらす「異国」の音楽の影響が現れ始めます。1720年代初頭にはポーランド王アウグスト2世にオスマン帝国第23代皇帝アフメト3世からメヘテルが送られ(アフメト3世は西欧諸国との平和外交を敷いていた)、オーストリアではオスマン式軍楽が取り入れられました。クラシック音楽にもその影響は色濃く反映され、オペラやオーケストラ、器楽曲にも「トルコ風」が取り入れられます。
ドイツの詩人、音楽家のC.F.D.シューバルト(1793-1791)(※シューベルトじゃないですよ!)はオスマン軍楽を評して

「これほど確固とした、全てを圧倒するようなビートが要求される曲は他にない。各小節の最初のビートは新しく勇壮に刻まれるため、歩調を乱すことは実質的に不可能である」

と述べ、また

「好戦的で、臆病な者すら胸を張る」

と述べています。
我々のよく知るクラシックの作曲家たちもこの「トルコ風」の流れに乗って様々な作品を残しています。

グルック(1714-1787):オペラ《思いがけないめぐり合い、(またはメッカの巡礼)》(*諸説あり)
ハイドン(1732-1809):《交響曲第100番「軍隊」》、オペラ《薬剤師》
ベートーヴェン(1770-1827):《劇付随音楽「アテネの廃墟」より「トルコ行進曲」(創作主題による6つの変奏曲から引用)》、《交響曲第9番 第4楽章》

そしてモーツァルトが作曲した《ピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」 第3楽章》です。

彼らは当時の流行りの音楽を進んで取り入れる、いわば「流行に乗った」わけです。
これらの作品に共通して現れる音楽的特徴が、シンバルなどの打楽器の使用、ユニゾンの多用、鋭い音の為にピッコロを用いるなどでした。しかしこれらはあくまで「西洋人のイメージしたトルコの音楽」。実際のトルコの音楽とは少し違ったようです。

「トルコ行進曲」

「トルコ行進曲」が有名なモーツァルトですが、実は他にもトルコを題材とした作品を作曲しています。
《ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」》では第3楽章に、オペラ《後宮からの誘拐》ではオペラ全体がトルコ風を意識して作られています。モーツァルトもかなりトルコ風の音楽を気に入っていたんですね。
さて有名な「トルコ行進曲」ですが、この作品は《ピアノソナタ第11番》の第3楽章のことを指します。この3楽章はロンドという音楽形式で書かれており、冒頭には「Alla Turca(トルコ風に)」と書かれています。左手の伴奏はまさにトルコの軍隊の行進を表していて、力強いリズムです。

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この作品や「トルコ風」作品が出回ったことで、ある面白い楽器も生まれます。それが19世紀に出回った「打楽器付きピアノ」です。私たちが見慣れたピアノより多くのペダルが付いており、それらを踏むとドラム、ベル、グロッケンなどの音が出る仕組みになっています。これらのペダルの事を「ヤニチャーレンペダル」なんて言います。(これは「ヤニチャーレン・ムズィーク」から来ているのですね)

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(ヤニチャーレンペダルがついたピアノ。画像出典:Robert A.Brown Fortepianos HP)

面白い試みではありましたが、流行の終わりと共にこのピアノも廃れていってしましました。
音の響きを試しに聴いてみてください。

まとめ

みなさまいかがでしたでしょうか。トルコの音楽文化がいかにしてヨーロッパに伝わっていったか、ざっとではありましたがわかっていただけましたか?今でこそ「クラシック」と呼ばれるモーツァルトやベートーヴェンの作品ですが、当時は流行に乗った「ナウい」音楽だったんですね。
また次の記事でお会いしましょう!

参考文献
DSR MUSIK (http://dsr.nii.ac.jp/music/index.html)
Wikipedia(https://en.m.wikipedia.org/wiki/Ottoman_military_band)
ARAMCO world(https://archive.aramcoworld.com/issue/201205/

コロンスタジオライティング部
ライター青竹(Twitter:https://twitter.com/BWV_1080)


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