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東京交響楽団ヴァイオリン奏者に聞いた、オーケストラ奏者という生き方。(1)【オトとヒト】

皆さんこんにちは。ライターの青竹です。今回は2度目のインタビュー企画。10代で東京交響楽団第一バイオリン奏者となり、現在同楽団で6年目を迎える中村楓子さんにインタビューさせて頂きました。vol.1の今回は名門音楽大学の附属高校に在学し、様々なコンクールでも入賞していた彼女が、ソリストではなくオーケストラ奏者を選んだ理由、若くして入団したことでの苦労などを語って下さいました。

中村楓子(ナカムラフウコ)
5歳よりヴァイオリンを始める。桐朋女子高等学校音楽科(男女共学)を卒業後、桐朋学園大学音楽学部カレッジ・ディプロマコース在籍中に東京交響楽団のオーディションに合格。現在、東京交響楽団第一ヴァイオリン奏者。
第65,66回全日本学生音楽コンクール東京大会ヴァイオリン部門高校の部入選。第22回日本クラシック音楽コンクール高校女子の部第4位。第7回横浜国際音楽コンクール弦楽器部門大学の部第一位。桐朋学園音楽部門平成24年度高校卒業演奏会などに出演。これまでにヴァイオリンを宮崎ありさ、吉田薫、豊田弓乃の各氏に師事。


本日は宜しくお願い致します!まずはこれまでのヴァイオリンと共に歩んだ道のりを教えて頂いても良いですか?

中村: まずは5歳でヴァイオリンと出会い、そこでヴァイオリンの楽しさに目覚めました。だけど本気でやり始めたのは中学一年生くらいの時からです。それ自体遅いのに、その時初めてヴァイオリニストを目指すような方々が幼稚園でやるような基礎練習教本「カイザー」や「セブシック」をやり始めたので、技術面では随分遅れを取ってしまっていました。

ー中学生まではどういう練習を?プロになろうとは考えていなかった?

中村::ヴァイオリニストになれたら良いなあ、とぼんやり考えて取り組んではいたのですが、レッスンの方針もあり、CDを聴いて、みよう見真似で弾いてみる...というような練習をしていました。そういう練習の仕方しか知らなかったんです。

ーそれは難しそうですね・・・。

中村:もちろんそういう練習もとても為になったのですが、中学生の時にやはり自分には基本的な技術が足りていないと思い、基礎練習に取り組まなくては、と。

ーしかし、その3年後には名門桐朋学園大学の附属高校へ。

中村:はい。しかし高校の三年間でも「足りていない」という思いはずっと持ってました。特に桐朋の音楽高校は優秀な方々ばかりなので、私は遅れているなぁといつも思っていました。今でもその気持ちはありますが、それがもっともっと沢山の曲に挑戦しよう!というモチベーションになってるかもしれません。

ー高校に入り、周りにはソリスト志望の人が多かったと思うのですが、中村さんもその時はソリストを目指していたんでしょうか?

中村:うーん、絶対ソロのヴァイオリニストに!とは思っていなかったですね。もちろん学生時代はコンクールを受けたりはしていましたが、ソリストになる足掛かりに、というよりは勉強のため、自分の挑戦の為に受けていた感じです。

ーそう言いつつ学生時代にいくつものコンクールで入賞していますよね?(笑) それでもソリストになろうとは思わなかった?

中村:そうですねー。ソリストになりたくない、とかではなくて人と一緒にヴァイオリンを弾いている方が楽しかったんです。桐朋の高校ではオーケストラの授業もあり、それが楽しかった。沢山の人と音楽を作りあげる作業の方はソロとはまた違った面白さがあり、私はそっちの方が楽しかったので、仕事にするならそっちの方が良いな、と。

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ーそうだったんですね。その後は桐朋学園のカレッジ・ディプロマコース(授業のない演奏のみに特化したコース)在学中に東京交響楽団のオーディションを受けるわけですが、その選択の理由を教えていただいてもいいですか?

中村:はい。皆さんがイメージする道筋は、音楽大学に行きその後オーディションを受け、というものだと思います。ただ私はとにかく早く経済的にも精神的にも自立をしたかったし、しなくてはいけなかった。親や家族に経済的にこれ以上負担をかけるわけにはいかないと思い、学費の高い音楽大学の学部へは行けませんでした。私が行っていたコースは学部に比べると学費は安いのですが、それでも長居をする気はなくて、入学してすぐにオーケストラの団員募集の要項を、全国各地片っ端からかき集めていました。

ーたくましい・・・。それで東京交響楽団さんに入団することになるのですね。

中村:はい、本っ当に素晴らしいオーケストラに入団させてもらうことができました。

ー聞いた話によると、東京交響楽団さんのオーディションは人生で初めてのオーケストラのオーディションだったとか。

中村:初オーディションで合格を頂くことが出来ました。本当に運が良かったと思います(笑)。

ーいやいや、実力が伴ってこその結果だと思います。当時は19歳ということですが、10代での入団はとても若い方ですよね?

中村:そうですね。音大を卒業してそれから受ける人が多いので、早くとも20代前半の人が多いと思います。

ー若くして入団したことで大変なことはありませんでしたか?周りは一回りくらい年齢の違う方々も多かったと思うのですが。

中村:音楽以外の気苦労は全然なかったです。皆さん優しい団員さんばかりだったので、逆にとても可愛がっていただきました。ただ、周りの団員さんはもう既に何年もプロとしてキャリアを積んできた方々、それに対して私はジュニアオーケストラにも所属したことも無い、オーケストラの経験は高校のたった三年間のみのチャランポラン。音大のオーケストラで主要な曲を勉強してきてもいないので、圧倒的に経験が足りていなかったんですよ。とにかく沢山の曲をやり、技術を学びと、必死に音楽と向き合う日々でした。でも団員さん達が温かく沢山のことを教えてくださりました。成人してからはお酒の味も教えてもらったし(笑)。

ーそれは楽しそう!(笑)。

中村:今ではみなさんにご迷惑をおかけしてしまうほどの酒豪に...。以後気をつけます...。

ー最近ではソリストとしてコンサートも精力的に行っている中村さん。ソロとオーケストラ、演奏するにあたって意識している事はありますか?

中村:そうですね、オーケストラで弾いてきた経験がソロの作品にもとても生かされているように思います。例えばベートーヴェンはヴァイオリンソナタやピアノソナタでも、とてもオーケストラ的な響きを意識して書いています。そんな時に「ここはこの楽器だな」とか「こういうオーケストラの響きだな」などイメージは掴みやすくなりました。ただもちろんオーケストラは何人もの人で一つの音楽を作り上げるもの、ソロは一人で作品の世界観をお客さんに100%伝えなくてはいけないので、弾き方等は自ずと変わってきます。ソロだとより「強く伝える」事を意識しなくてはいけないなと感じます。


とても気さくで面白い中村楓子さん。和やかな雰囲気の中、確固たる音楽への思いを語ってくださいました。次回は更に深い音楽談義をしていきます。お楽しみに!

(写真、文=青竹 *文中敬称略)


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