掘り出し物
百貨店というのは、値札をつけ定価販売しているものだ。
パリにあるボン・マルシェは、現在の百貨店につながるそのシステムを確立したことで、世界最古の百貨店といわれる。
もう10年以上前。
まだ仲良しの友達が南仏に引っ越す前のこと。
彼女を訪ねていつものようにユーロスターに乗って、週末のパリを楽しんでいた。
「そうだ。せっかくだから、パリで素敵な手袋を買って帰ろうかな」
ちょうど11月ころで、冬物が店頭を飾るシーズン。
黒の革手袋が雪の日に水浸しになりしわしわになってしまったので、新調したくなったのだ。
ただ街歩きをするだけでも楽しいパリだけど、目的を作って歩けばもっと楽しい。
ところが、どこの店に行っても、デザイン過度のものが多く、どうもぴんと来ない。
「じゃ、ちょうど食品街に行きたいし、ボン・マルシェまで行ってみようよ」
そう友達がもちかけた。
新宿の伊勢丹を思い起こさせる(いや、伊勢丹がボン・マルシェから学んだのか)その威厳ある店構えに、おおと思いつつ、ぐるりと周回していく。と、地下にどーんといろんなお店の手袋がそろった特設売り場ができていた。なんとタイムリー!
「黒の、シンプルな、革手袋だよね…」
友達はぐるぐるといろんなお店のコーナーをめぐっては、これは?じゃあこれは?と指し示す。
うーん、どれも悪くないけど、ピンとこない。
デザインしすぎもいやだし、何もデザインしてないのもつまらない。
その時。少し先にある手袋マネキン(という呼び方があるのなら)のディスプレイに飾られた一組が目に飛び込んできた。
ベージュの革。
手の甲にふわっとファーがついていて、やや長め。
ガツンと特異なデザインなのに、上品。
うわっ。素敵。
素敵、だけど、ぜったい予算オーバー…。
上限は120ユーロ、と心の中では線を引いていた。でも、パリで見る手袋はみな150ユーロ前後なので、そのくらいまでは出さねばならぬかと思い始めていたところだった。
でも、この手袋、ぜったい、もっとする。たぶん、倍以上。
「手袋をお探しですか、マダム」
上品な笑顔のフランス人女性が、英語で話しかけてきた。
「すっごい素敵な手袋ですよね。でも、だめです。私は黒のシンプルな手袋を探していて。あの、というか、絶対にだめです。素敵ですけど」
支離滅裂になっていた。だって、素敵だけど、買えないもの。
「これですか?うちの特別限定デザインで一点モノなんです」
スッと彼女が、私がはめている手袋に目をやった。そのMadovaの手袋はちょっと変わった朱色で気に入っているものだったけれど、あくまでシンプルなものだ。
「試してみてください」
押しつけるわけでもなく、あくまでにこやかに、その女性がディスプレイからその手袋をはずしはじめた。
「だめです。だってはめて、気にいっちゃったら困るもの」
彼女が満面の笑みをたたえて手袋を差し出したのと、私がだめだめと手を振ったのが同時だった。
「でも、この手袋はあなたにはめてみて欲しがっていると思いますよ」
一点しかないのにサイズはぴったりでまるで吸いつくようだった。
手につけると、デザインも派手に思えずすっとなじむようだった。
「ちょっとぉ、色は黒、形はシンプルって条件はどこにいっちゃったのよ」
いつの間にか横にやってきた友達がニヤニヤしつつツンツンとわき腹をさし、その女性店員さんにフランス語で話しかけた。
たぶん、このひと黒の手袋を買うっていってここにきたんですよ、というようなことを。
「ああ、欲しいけど、絶対に無理!」
値札を見た記憶がない。だから、いくらだったのかもわからない。
でも、一目で恋に堕ちるとはこのことだ。
「今シーズンで一番私も気に入っている手袋なんです。
でも、ちょっとつけるひとを選ぶんですよね。そして、私も、つけこなせるひとに、買っていただきたいんです」
その女性の後ろに、もうひとり店員さんがやってきて何かいおうとしていた。
「予算はいくらだったんですか」
彼女がかまわずそう私に訊ねた。
え、でも。
120ユーロがどう考えても失礼なのはわかっていた。
でも、そんなに高いものは買えない。
だから、180ユーロですと答えた。
「それが、この手袋の値段です」
後ろの店員さんがさらになにかフランス語でその女性に言っていた。
「え、でも」
女性はそれに構わず続けた。
「ふふふ、いいんです。私、ボン・マルシェの店員じゃないの。この手袋のデザイナーなのよ。私が、あなたに、この手袋を愛してもらいたいの。だから、180ユーロ。」
彼女は、手袋をもって、キャッシャーのほうへ消えていった。ずっと話しかけようとしていた店員さんと問答をしているのが、遠目にもよくわかった。
私は、大好きなジェフリー・アーチャーの「掘り出し物」という短編のことを思い出していた。
高級絨毯を売る店の主人が、
「わたくしはこの小さな絨毯が、明らかに本当の値打を知っておいでのご夫妻のお宅に敷かれることを心から喜んでおります」
と、質素に暮らすイギリス人夫婦に極上の絨毯を値引きして売るストーリー。
珠玉の作品がそろう『十二の意外な結末』のなかでも、特にお気に入りのお話だ。
「すごい…。デパートで、ボン・マルシェで、値切っちゃうひと、初めてみた」
友達が呆然としながらいい、そして続けた。
「いや、待って。確かさ、高校の修学旅行で、神戸の高架下で靴を買うっていって。確か、あの時も、『関西だとこういうとき、もう少しまからへんって訊くんですよね』とかいって、値切ってた。うん、値切ってたよね」
そういえば、確かに…。
今、これを書きながら、初めて、手袋に着いたタグをちゃんと見た。
アベイロン県のミヨーを創業地とするMaison Fabreというお店だった。
心意気のある素敵なマダムのデザインする手袋のお店。
いつか訪ねてみたいなあ。