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あつあつとひやひや

レッドロブスターというアメリカのシーフードファミレスチェーンで、友達がバイトを始めた。
あれは、高校1年生の頃だったろうか。
三鷹とか吉祥寺とか、中央線と環八が交差するあたりのどこか。

高校生になって、バイトが許されるようになって、みんなが働くバイト先に遊びに行くのは楽しいイベントになっていた。

Tちゃんはケンタッキーで、Yちゃんはコージーコーナー。
そして、レッドロブスターでバイトしていたのはSちゃんだった。

「じゃ、今度みんなで食べに行こうよ」

うわ、暗い。
第一印象はそれだった。
そのお店は、ファミレスの定石通り、幹線道路に近い場所にあった。なかなか電車では行きづらい場所だった気がするのだけれど、はたしてどうやってたどり着いたのか全く覚えていない。

真っ暗な中大きな駐車場の奥に赤いレッドロブスターのサインが光っていた。

そして店内はダークウッドの内装で薄暗く、女子高生5-6人のグループは、あきらかに異質だった。

今思い返せば、あれはアメリカのいかにも典型的なサーフ&ターフ(海鮮とステーキ)を出す店の内装なのだけど、まだアメリカを知らない高校生の私の目に、ファミレスぽい外見とバーのような薄暗い中身のギャップがものすごく印象に残っている。

うわ、高い。
そして、何よりもおどろいたのが、メニューの値段の高さだった。
シュリンプカクテルが1500円やら、半身のロブスターが3500円とか、そんなではなかったろうか。

当時よく土曜日のお昼に立ち寄っていた経堂の「かくれん坊」のドリアが500-600円くらいだったか。

夕飯だって、友達同士で行くのは、カプリチョーザやダッキーダックがあたりまえだったから、飲み物も頼んだら4-5,000円にいきそうなレッドロブスターのメニューがべらぼうに高く思えた。

子供心に、ホテルのレストランやお寿司屋さんならともかく、こんなぺらぺらしたプラスチックのファミレスのメニューなのに、高い値段が書いてあることが、なんとなく腑に落ちなかった。

「ねえねえ、どうする?」

一緒にいたOちゃんはためらわずにカニとお肉のセットを頼むといい、他の子たちも高いねーといいながらも、値段に関係なく好きなものを頼むつもりのように思えた。
私は、さんざん困ったあと、ひとつでお腹がいっぱいになって安いものをと必死にメニューで探し、シーフードリングイニを頼んだ。

もちろんテーブルの担当はSちゃんで、オーダーを取りにやってきた。
マニュアルに沿ってだろう、ガーリックブレッドはいかがか、サイドサラダはおつけするかといったことを訊いてきて、いらないいらないと答えるのが恥ずかしかったことを覚えている。

どうやら、私以外のみんなは、友達とご飯を食べに行くからと親からお金をもらったようだった。
我が家は小学校から月額おこづかい制だった。
毎月末におこづかい帳を母が確認し、お財布に残った現金の収支があっていることを条件に翌月のおこづかいが支払われていた。
高校生になって、家庭教師のバイトを始めてからは、さすがにおこづかい帳の検閲はなくなっていたけれど、やりくりはその中でという暗黙のルールがあった。

シーフードリングイニだって、けっこうな値段だよ。
きっとおいしいに違いない。大丈夫、だいじょうぶ。

やってきたパスタの味は全く覚えていない。
トマト味だったのか、それともガーリックオイルだったのか。
みんなは、エビやらカニやらをほじっていたから、ただでさえ早食いの私はそのリングイニをとっとと食べ終わってしまった。

とはいえ、他のテーブルの世話をしているSちゃんをニヤニヤして眺めたり、学校の話やバイトの話なんかをしているうちに、みんなのお皿もきれいになった。

そこへSちゃんがふたたびメニューをもってやってきて、デザートはいかがですかと訊ねた。

「どうするー?」
「なにがおいしいの?」

みんな楽しそうに眺めているけれど、デザートはひとつ500円以上する。コーヒーもつけたらいい値段だ。どうしよう。

「おすすめはね、アップルコブラだよ。結構大きいから、二人でひとつでもいいんじゃないかな」

Sちゃんがデザートの写真を指しながらいった。

コブラ?
って、あの蛇で猛毒の?

名前があまりに気になって、隣に座っていたAちゃんと一緒にオーダーすることにした。

「おまたせしましたぁー」

Sちゃんが置いたそのお皿には、あつあつハフハフのアップルパイに、ひやひやのアイスクリームが乗っていた。

パワフルな甘さ。パワフルな組み合わせ。
うわあ、おいしい。

80年代の終わり。
異国の食べものが、少しずつ普通に身の回りに現れてきたころ。
それはバブルというおとなの世界に吹く嵐がもたらしていたのかもしれない。

そのエデンの園を思わせるような「りんごと蛇」の、そして熱さと冷たさが同居するデザートは、ラザニアを初めて食べたときに匹敵するくらいの、衝撃的な味だった。

今、気になって、ロンドンからネット検索をしてみた。
どうやらレッドロブスターはいまでも日本に出店しているようだ。

何より驚いたのが、自分がぼんやり記憶しているメニューの値段と、30年近くたった今の値段があまり変わらないように思えること。

私の記憶ちがいなのか。
それとも、これこそが失われた10年、いや失われた30年のなすことなのか。

なんでそんなことを思いだしたかというと、今日の夕ごはんに春の味覚としてラムを焼いたあと、スティッキートフィープディング(Sticky toffee pudding)をデザートにしたからだ。

プディングという言葉は、イギリスではたいてい蒸しケーキを指す。
また、そこから派生して、デザート全般を意味して使われることも多い。
たとえばレストランで食後にデザートが載ったメニューを渡すとき、たいていウェイターさんは「プディングメニューをどうぞ」と言いながら手渡してくる。

ちなみに日本でいうプリン(プッチンやらコンビニのたっぷりビッグサイズのとか)はイギリスではクリームカラメル(creme caramel)と呼ばれる。スペルがフランス語なままなことからわかるように、あまり一般的なデザートではない。
今でこそどうやって見つけるか分かったらからいいけれど、昔どうしても食べたくなった時にスーパーでどうやって尋ねようか、名前がわからないので困って写真を見せたくらいだ。
イギリスでは、クレームブリュレの方がおそらく知られているだろう。
スペインやフランス料理レストランで時たま目にするくらいで、イギリスのパブではまずメニューに載っていない。

スティッキートフィープディングとは、その名の通り、スティッキー(べたべた、ねっとり)したトフィー(バターと小麦粉と糖蜜を練り合わせたキャラメルのようなもの)がかけられた蒸しケーキだ。

ケーキ部分の甘みにはデーツを使うのでそれ自体は干し柿のような甘味だ。
しかしそこに爆発的に甘く、茶色く、べたべたに濃厚なトフィーソースがかかっている。
そして、たいていの場合、バニラアイスあるいはクロテッドクリームが添えられている。

初めてこの発音しづらいデザートを食べたのは、イギリスに来たばかりの頃。チームディナーだった。
誰かが頼んだスティッキートフィープディングがあまりに無骨な外見なので、気になって味見をさせてもらったのだ。

あつあつとひやひや。

そう、あのアップルコブラ―で初めて衝撃を受けた、例の組み合わせ。

おいしーい!

それ以来、ときどき、ふとしたときに食べたくなる。

高校生のあの衝撃のあと、アメリカで暮らしたことで、もう、アップルコブラはりんごと蛇なんかじゃなく「コブラ―」というデザートの種類で、ルバーブやチェリーなどでも作るものだと知った。

そしてアップルパイなどを頼んだときにアイスクリームがいっしょに出されることにも慣れていった。

フランスのタルトタタンもアイスがつくことが多いし、あつあつとひやひやの組み合わせが、今夜、取り立てて特別だったわけでもないのだけど。

なぜだろう。

ふと、キッチンで、
東京の実家から持ってきた(今はなき雪印リーベンデールの景品だ)熱伝導アイスクリームスクープを使っていたら、
ねっとり茶色のスポンジにとけていく白い筋を眺めていたら、
あの夜の、みんなに感じたちょっとした劣等感と、うす暗い店の様子と
そして、白くぶ厚いお皿に湯気をたてていたアップルコブラーのことが思い出された。

これを書きながら、Wikipediaを読んでいて、新しい発見があった。

そもそもコブラ―はアメリカに来て、プディングを作ることができなかったイングランド人の入植者が代用品として作り始めたようなのだ。

コブラーは英領北米植民地が起源である。イングランド人の入植者は、適切な食材や調理器具がなかったため、伝統的なスエットプディングを作ることができなかった。そこで代わりの方法として、味をつけていないビスケットやダンプリングの生地を丸め、煮込んだフィリングの上に隙間なく並べて焼いた[要出典]。コブラーという名前は1859年から記録に見受けられる。その起源は不明だが、「木のボウル」を意味する古風な単語"cobeler"に由来する可能性がある[3]
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スエットプディングとは、バターではなく「スエット(Suet)」と呼ばれる羊や牛の腎臓の周りの脂肪分を使って作る伝統的なプディング。

イギリス料理の典型であるステーキパイや、クリスマスに欠かせないドライフルーツ入りのミンスパイは、伝統的にスエットをまぜたほろっとした生地で作られる。
そしてこれまた有名なイギリス料理メニューであるクリスマスプディングも、スエットを使った生地を蒸したものだ。

そうか、アメリカに移ったイギリス人たちはあれが作りたかったけど、材料や器具がなく、試行錯誤した結果コブラ―を作ったのか!

もちろん、アメリカとイギリスのつながりを考えたら当然といえば当然なのだが、自分が好きな、この「あつあつとひやひや」のお菓子たちがつながっていたことに、ちょっと嬉しくなった。

私もワインビネガーですし酢を作ったり、セルリアックをぬか漬けにしたりしている。

懐かしいふるさとの味を
なんとか手に入るもので頑張ろうって気持ち、あるよね。

ロシア上空を飛行機が飛べなくなって、日本郵便はイギリス向けの小包の受付を停止した。

ようやく疫病によって閉じた国境が開き始めたところだったのに、
今度は空が閉じてしまった。

フライト数が減り、ロシア上空を避けアンカレッジをまわるようになったゆえに、フライト時間も大幅に伸びたらしい。

こんなとき、あらためて、故郷との物理的な距離を思いおこさせられる。

そんな、日曜の夜。

いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。