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ぱんつのオーディション

冬時間が終わり、日照時間がながくなり、生活必需品以外の店が開きはじめたロンドン。
記録的に寒く乾燥した4月らしいけれど、それでも燦燦と降り注ぐ太陽の光は、ロックダウンの緩和とも重なって、希望の光のようにも思える。

ひとなみにはファッションを気にするほうだと思うし、かつてはグッチやフェラガモなんかを買い込んだこともある。
けれど。
ひとに会わない時間というのは恐ろしい。この1年あまりの間に、私は髪を染めることをやめ、スニーカーしか履かず、コーディネートに頭を使うことをやめていた。

春の花々が青空の下で輝くようになり、いろんな友達と会うようになると、私の中で冬眠していたファッション魂も少しずつ手足を伸ばしてきたようだ。
新しいシャツを買い、新しいカプリパンツを買い、新しいカーディガンを買い、そして新しい下着を買った。

イギリスには「チャリティショップ」と呼ばれる店が、どこの商店街にもひとつやふたつある。
チャリティショップというのは、市民がそれぞれ寄付をした「まだ使える衣類や品物」を、「商品」として再販することで、非営利団体に資金調達をするしくみだ。仕入れ価格ゼロの商品を売ることにより生まれた収益は、ホスピスの運営資金、ホームレスの救済資金、ガン撲滅の研究資金などさまざまな目的に使われる。
個人は、チャリティショップに不用品を寄付する、あるいは買い物をすることで気軽に慈善活動できる。
チャリティのさかんなこの国らしく、ショップ自身が税制優遇処置をうけているだけでなく、寄付した個人も売り上げに応じて所得税減税されるかたちで、国も後押しをしている。

12年前、日本から引っ越してきたとき、あまりの忙しさに「ぜんぶテキトーに箱に詰めてください」という国際引越しをしてしまった私。

「え?この箱全部が、この狭いフラット行きなの?」
「え?一人暮らしなの?」

と、当時の引越し屋さんが目を見開いた50箱あまりの荷物。ロンドンに到着した後、ようやく余裕が生まれて少しずつ荷解きをしたが、どう考えても新居のタンスには収まりきらない。
もう着ない・着られない服や、使わないものたちを処分するしかない。
そんな時、イギリス人の同僚に教えてもらったのがチャリティショップだった。

思い出や思い入れのあるいろいろな品物も、どこかで誰かが使ってくれ、二度目の活躍場所を与えられると思えば、罪悪感が少し減る。
私はチャリティショップのレギュラー寄付者になった。

そして、それは「新しく服を買ったら、オーディションをして、もう着ない洋服をチャリティショップに持っていく」という習慣の始まりでもあった。

春の陽射し、ロックダウンの緩和、ひとと会う機会…。
自分のなかに買い物好きの妖精が戻ってきたようだ。
パリっと白く輝くシャツなんかが欲しくなった。
そして、新しい下着も。

下着はもちろんチャリティショップには寄付できない。
けれど、家に帰ってきて新しい洋服と新しい下着を広げたんだから、聖域なくどちらの引き出しもオーディションにかけるのが仁義ってもんだろう。
それに、だいたい、スペースには限りがある。

そもそも、下着の捨て時って、みきわめるのがとっても難しい。
それは私だけだろうか?
雑誌なんかだと「美しい下着は女性を内面から輝かせる情緒的なもの。人に見せる予定がなくても、くたびれ感のある下着は捨てましょう」なんて書いてある。
でも、穴が開いたり、生地が薄くなったならともかく、貧乏性の私にとって「くたびれ」の判決を下すのはそんな簡単なことじゃない。
だって、サイズも大きく変わってないし、自転車通勤でシャワールームを使うこともあり、そこまでボロボロの下着を使っているつもりはない。

「このブラは、確かMちゃんと一緒にニューヨークのトランプタワーにある下着専門店で買ったような…」

ぱんつとブラをしまっている引き出しの中身をベッドにひろげてビックリした。
ということは、このブラを買ったのはもう10年以上も前のことだ。

他にも、見た目は美しいけれど、実際つけるとチクチクだった壮麗なレースのセットアップや、型の合わないスポーツブラまで、いろんなものが発掘された。

結局、

ーコロナを考慮しても過去24か月使わなかったもの
ーもし救急車で運ばれたら、その下着で恥ずかしいと思うかどうか
ー高かったとか思い入れがあるだけでは残さない

という視点で、心を鬼にしてオーディションを実施した。

そして、そうして選ばれた合格者たち。
それは、自分が、前線現役でオンナをしていた時代の終わりを、見せつけられるような感じだった。

ユニクロのぱんつはフレッシュに新しく、清潔で、救急車の中でも恥ずかしくはない。
けれど、そのぱんつの放つ力強い実用性の光は、処分するものの山に乗せられたラペルラのレースが持つ美しさを完全に圧倒してしまっていた。

老い、というものを、コロナの期間中ずっと身近に感じてきたと思っていた。

でも、ベッドの上で行われたぱんつのオーディションは、そんな感覚的なものをすべて押しのけて、鮮烈に、それを見せつけてくれた。

いいの、いいの。大丈夫。
無理はしない。
自分の「いま」をちゃんと引き受けて、肯定して、そして、まだまだ続くこの道を歩いていくんだ。
新しいぱんつと一緒に。


いただいたサポートは、ロンドンの保護猫活動に寄付させていただきます。ときどき我が家の猫にマグロを食べさせます。