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[日記]それは釣り餌の皮に過ぎなくなったということ~こじらせVヲタの憂鬱~

※こちらはVTuberアンチ記事ではありません。あくまで個人的な意見です。


VTuberを初めて見た時の感動を覚えている。

昔から3Dモデルが大好きで、MMDやリアルで立体的な質感を持つゲーム(例えばバイオハザード、龍が如くなど)が好きで仕方なかった。今でもバイオハザードの映画の3Dのクオリティに興奮するし、昨今のMMDのクオリティには度肝抜かれて興奮する(落ち着け)。

だから「キズナアイ」を見た時は本当に驚いたんだ。今までの3Dモデルに対する概念が新たに崩された。自由に喋って、動いて、笑っている彼女に一気に引き込まれたのである。

キズナアイなど、まだまだVTuberが「始まりの物語だった」頃、VTuberという存在に羨望と神聖さの味があり、実体がないからこその偶像的なイメージが私の心を躍らせた。「中の人」が見えてこないその神秘性を愛していた。(昔からVTuberの正体を突き止めるような動きはあったけど)

何故私がこんな話をしたかといえば、ある出来事に遭遇したからだ。

近年においてVTuberという存在は飽和状態にあり、初期の頃から比べるとかなりVTuberの世界は乱世になった。ゲーム、イラスト、音楽など、様々な分野で活躍するVTuberが増え、VTuberという存在はより多彩さを増したように思う。

私も現在活動している中で、VTuberのプロフィールや動画、紹介文などを参考にする事も多いし、趣味で色々漁る事もある。

その中でぶち当たったのが「部位チューバー」だ。

部位チューバーとは、バーチャルの肉体を持ちつつ、生身の体の一部を出したりして活動する事……だと私は認識している。(間違ってたら教えてくれ)

最近では部位チューバーは割と増えている傾向にあると思う。自らのバーチャル肉体のコスプレをして踊る人とか、配信で手だけ出したりとか。大手でも個人でも見かける。

私はこの「部位チューバー文化」についていささか疑念を感じていたのだが、「まあ、バーチャルじゃできない事もあるからなあ…」とガチ本末転倒な意見で飲み込んでいた。

しかし、である。私が本当にたまたま見てしまった部位チューバーは、誤ってリンクを飛んだ先で「バーチャル・ド無視のリアル身体のいかがわしい動画」とかをあげていた。

「そんなんアリか!?!?!?!?!?!?」

声出した。
もうそれVTuberでも部位チューバーでもないやんけ!!!!!!!!!!
バーチャルが釣り餌ならぬ釣り絵になってるやん!!!!!!!!!!

頭を抱えた。誰にも迷惑かけてないからそっ閉じするのが一番なんだが。実際、すぐに閉じた。

その人やセンシティブなコンテンツを批判する訳ではないけれど、「VTuber/部位チューバー」とか言って生々しいセンシティブなコンテンツで稼いでる人達に触れてしまってちょっとショックだったんだ。

申し訳ないけれど、「あーこの人たちにとってVTuberってただの『道具』であり、自分を売り込むための『通過点』なんだなあ」って思ってしまったというか(そんな事なかったらすまん、個人主観だ)。
どちらかといえば、キャラクター性を守りたい、とかではない……もっと人間的で肉っぽい欲求を感じてしまってならない。

しばらく、途方に暮れてしまった。

その時、ふと何処かの投稿で「VTuberは既に神話性が失われた」って話をしていた人の事を思い出す。

私が初めて見た時のVTuberというのは、「偶像」そのものだった。神秘的で、肉の塊である人間の存在を感じさせなかった。まさに彼女たちは、電子の集合体のような存在だった。

私がVTuberに対する神話性を信じすぎているだけなのかもしれない。昔と今ではVTuberの世界の状況は全然違うのを理解しながら、あの時の衝撃とワクワクにすがっているのだ。

もちろん今だって、VTuberは素晴らしいコンテンツがいっぱいあることもわかっている。今でもキャラクター性を守りながら無茶苦茶やって笑わせてくれるVTuberがいるのもわかっている。

だけど、あの頃の「神秘的な偶像」はこの世のどこにもいないのだ。作り上げられた偶像はいないのだ。

もちろん昔の時代にも様々な裏事情が絡んでいる事も知ってはいる。だが、私はあの時の神話性を捨てきれない。VTuberが電子の集合体だった頃の事が忘れられない。

さて、最後になるので一応言っておく。

今日はちょっと、たまたま踏んでしまった地雷のせいでセンチメンタルな気分になってしまっただけで、別に「VTuberを使ってセンシティブコンテンツを配信するのをやめろ!」とかそういう事を言いたかったわけではない。
やるなら好きにやったらいいと思う。私は見ないけど。

VTuberを自身の「通過点」とするか「己の理想の偶像」として磨き上げるかは、VTuber本人次第である。そこをどう選択するかは、私達には干渉出来ない。

なら私達は何をすればいいかといえば、いつも通り視聴者としてコンテンツを適当に眺めていくのでいいだろうと思う。そこから更に選択を繰り返していくしかない。ファンも、VTuberも、互いに多くの事を選ぶ権利がある。

私の中の神話もただの押し付けでしかない。でも神話性に縋る事を「選んでしまった」ので、これからも私は神話性を愛してVTuberを愛していくと思う。

もうあの頃には戻れないけど。いつかまた美しい神話に出会えることを夢見ている。

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