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歌詞から読み解くAKB48のアイドル観ー少女たちを「消費するための」システムって本当?

Twitterを眺めていたら、「AKB48は、若い女の子の無知と一生懸命さを利用して、競わせ、消費するだけのグロテスクな構造のグループ。世間のアイドル観を悪い方向に変えてしまった。」
という主旨のツイートが流れてきた。

100%否定はできない。
100%否定できないのが、ドルオタをやっていてつらいことの一つだ。
彼女たちの身体も、心も、もっと慎重に守られるべきだしケアされるべき。配慮が足りていない。そう感じることはたくさんある。

応援していて、彼女たちがこんなに傷つく必要は無かった、運営は何考えてんの!?!?!?と、思ったことは一度や二度ではない。ほんとね。

でも、「無知な若い子が“夢が叶う”という甘い言葉にそそのかされ、消費されているんでしょ。」と言われると「そうじゃない、それは本質じゃない、違うんだ!!」と言いたくなる。
それは、グループでの経験を糧に活躍するメンバーの数々、彼女たちの歩みの力強さを知っているから。
そして、秋元康が歌詞を通して提示するアイドル観に、シンパシーを感じてしまっているからだ。

彼女たちを取り巻く問題はたくさんある。
必ずしも、素晴らしい環境、と言えない面も多々あると思う。
ファンは、「消費するために集められ、大人に利用される女の子たち」だと知りながら、自分の快楽のために応援してきたのだろうか。人はそこまでまっすぐに利己的にはなれない、と私は思う。

プロデューサーが描き、アイドルが体現し、ファンが信じる世界が、そこにはある。

AKB48「少女たちよ」NMB48「三日月の背中」の歌詞から見る48の“アイドル観”

AKB48の「少女たちよ」という曲は、2011年発売のアルバム『ここにいたこと』の収録曲である。
収録曲は「少女たちよ」のほか、2010年発売のシングル「ポニーテールとシュシュ」「ヘビーローテーション」「Beginner」……
つまり、AKB48人気絶頂期のアルバムだ。

このアルバムにある「少女たちよ」という曲の歌詞に、AKB48のアイドル観が詰まっていると私は思う。
出だしはこう始まる。

空に散らばった星の
どれが一番に
輝くのだろう?
聞かれても
誰もきっと答えられない

ここでの「空に散らばった星」はアイドルのメタファーだ。二番にもこんな歌詞がある。

人の目に触れる星と
気づかれない星
そこにはどういう差があるの?
離れているとか
雲のせいだとか
理由がほしい

ここでも、人気がある・ない、ポジションが良い・悪い、そんなことを思い悩むアイドルたちが、星にたとえられている。
秋元康の書く歌詞の中で、アイドルはたびたび星や月にたとえられる。
サビの歌詞を見ていきたい。

少女たちよ
もうすぐ夜明けがくる
夢の未来はこれからはじまる

「夜明け」とは何だろうか?
「夜明け=売れること」であれば、もうとっくに夜は明けているはずだ。なんてったってこれはAKB48絶頂期、2011年の曲なのだ。

「夢の未来」とは一体何なのだろうか。
世の中を席巻した後に、「これからはじまる」こととは何なのか。


ここで、同じく2011年に発表されたNMB48の「三日月の背中」の歌詞を紹介したい。NMB48のデビューシングル「絶滅黒髪少女」のカップリングで、こちらも「48のアイドルとは」を定義するような曲だと思う。

ちょっと悲しいことがあったら瞳を閉じよう
まぶたの幕 するする上がり ショーが始まるよ
どこか知らない世界の不思議なステージ
広い夜空で 一番光る あなたがヒロインよ

ここからわかるのは、日常のなかに「悲しいこと」があった少女が、夜に見る夢こそが「アイドルの世界」だということだ。
だからこそ、秋元康の歌詞でアイドルの世界はいつも「夜空」にたとえられ、アイドルたちは夜空で輝く「星」や「月」になるのだ。

三日月の背中を滑り
さあ流星のボートに乗って
星たちの海超えて
ほらね何だってできるよ

この「ほらね何だってできるよ」という歌詞が私はめちゃくちゃ好きだ。
ステージ上でアイドルがこの歌詞を仲間と肩を組みながらキラキラの笑顔で歌うと、「アイドル」として立つステージが少女たちに与えたパワーの大きさを実感するのだ。

二番の歌詞をみていきたい。
いよいよ、“夜が明ける”=夢から覚めるのだ。

ちょっと元気になったら瞳を開けよう
さっきまでとは景色も変わって 楽しくなったでしょ?

太陽のマントを羽織り
そう落ち込んだ気持ちを捨てて
暗闇を横切って 遠い未来の場所 探そう

「さっきまでとは 景色も変わって 楽しくなったでしょ?」「落ち込んだ気持ちを捨てて」「遠い未来の場所探そう」これが!!!!!!これが、48の歌詞の世界の“夜明け”なのである!!!!!
一度まぶたを閉じて、アイドルの夢をみて「ほらね、何だってできるよ」と勇気づけられた女の子が、現実に立ち向かう、自分の未来に進む、そのことこそが「夜明け」なのだ。
だからアイドル絶頂期の少女たちが「夜明けがくる」「夢の未来はこれからはじまる」と歌っていたのだ。

ずっとアイドルではいられない。そのことが、AKB48をAKB48たらしめている。彼女たちは、キラキラした夢を見て、力をつけて、卒業して自分たちそれぞれの未来へと進んでいくのだ。

「AKB48は夢へのステップ」という言葉があった。それこそ人気絶頂期によくメンバーの口から出ていた。この言葉を、長く面倒を見ることを避けるための体のいい大人の方便だと思う人もいるかもしれない。
でも、そこに込められた思いがあるのだ。私はそう思う。

少女たちよの歌詞に戻る。

少女たちよ
何もあきらめるな
悲しいことなんか すべて捨てて
全力で
全力で
走るんだ!

何かを成し遂げようとする時に、「楽しいことを犠牲にして頑張る」話は聞くが、ここでは少女たちに「悲しいことなんか すべて捨てて」と語りかけられる。
現実は少女たちにとって悲しいことばかりだからだ。
だから、悲しいことを捨てて、夢の世界を全力で走った経験が彼女たちの力になる。これからの未来を生き抜く力になる。「少女たちよ」はそう歌っている。
そこには、大人になる直前、現実を前にして立ちすくむ女の子たちへの慈しみとエールが込められていると思う。

アイドルが持つ理念と、現実の諸問題

彼女たちは決して、消費されるために集められたのではない。
社会に立ち向かう前に、力をつけるために、いつか夢を叶えるために、大人になる前の、通り過ぎていくその瞬間を慈しまれるためにそこに存在している。
それがAKB48、48グループの本質だと思う。
ファンは、その世界を信じて彼女たちを応援しているのだ。

ただ、彼女たちを取り巻く環境に問題があるのは確かだ。
彼女たちばかりではない。若くして飛び込むアイドルの世界には、男女問わず、過酷な労働環境、性的搾取、誹謗中傷など、彼ら、彼女らの心と体を蝕む多くの問題が存在している。

アイドルを応援する私たちは、これらにはっきりとNOを言うべきだと思う。なぜなら、それはアイドルの存在を否定することにはならないからだ。

私たちはそれぞれのアイドルが内包する理念を愛している。それに支えられて活躍するアイドルがいて、応援することでファンが笑顔になれる。それこそがアイドルの本質だと思う。
物事にはいろんな側面がある。アイドルグループが素敵な理念を持っていることと、現実に多くの問題を抱えていることは、残念ながら両立し得る。

アイドルを、アイドルが持つ理念を愛し、アイドルを蝕む環境にNOと言う。それこそが、アイドルを支持するということなのではないかと私は思う。
具体的にどうしたらいいのか、難しいけれど………。
アイドルをめぐる色んなニュースが流れる中、そんなことを考えていた。まだ結論は出ない。でも私はアイドルが大好きだし、アイドルをひたむきに応援するファンのことも好きだ。


読んでくれてありがとう。あなたと、あなたの愛するアイドルが、幸せでいられますように、楽しく応援できますようにと、いつも祈っています。

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