外側VS内側?
外側と内側。
同じバックグラウンドでも、全然扱いが違う。
そんな話をしたいと思います。
私は今、夫の地元に住んでいます。
言うなれば、「よそ者」です。
でも、この地域在住で、仕事もしています。
ですから、ただの「よそ者」ではなく、
「内側のよそ者」です。
「よそ者」は、何か排他的な扱いを受けることが多いです。
そもそも土地勘はないし、方言も理解できない。
ですから、郷に入れば郷に従え的に、同化を求められることが多いです。
今の職場でもそうで、「早くこちらに慣れてくださいね」と念押しされました。
少しでも方言が分からないと、「こんなこともわからんか」とネタにされ、地名を読み間違えると「まだ分からないの?」と呆れられる。
そういうことは日常茶飯事です。
早く地元民と同じになること(同化)が求められている訳です。
おそらく、地方に移住した人の多くが、こういう目に遭っていると思います。
一方で、この同化を求められていない「よそ者」もいるんです。
それは、「外側のよそ者」です。
「外側のよそ者」とは、
滞在はするけど住みはしない人たちです。
最近、こういう人たちの意見が地方では重宝されています。
「街のここが不便」
「この観光施設はもっと取り上げるべき」
など、内側にいると見過ごしてしまうような点を指摘してくれる、大切な存在です。
観光客などにアンケートを取るだけでなく、報酬を払って(副業として)人を呼んでくるという話も聞きます。
でも、私は、それに矛盾を感じています。
だって、「内側のよそ者」には同化を求め、
「外側のよそ者」には外側からの視点を求めるのですよ。
じゃあ、すぐそばにいる「内側のよそ者」に聞けば早くないですか?
同じ「よそ者」であることには、違いありません。
近所に住んでるので、交通費は要らないし、
なんなら報酬だって要らないかもしれない。
お金をかけずに、「よそ者」の視点をゲットできるのに、それは許されないのです。
「内側のよそ者」は、「外側のよそ者」ほど、
話を聞く価値はないのです…はぁ。
同じことは、外国人にも言えます。
「外国から日本がどう思われているのか?」
「どこかおかしいのか?」
それは、日本に住む外国人がよく知っているはずです。
わざわざ外国に行かなくても、すぐそばにいる「よそ者」に聞けば良いのです。
日本語もわかる人もいるだろうし、日本の実態にも精通している人もいるだろうから、良い意見を言ってくれると思いますよ。
でも、真剣に意見を求めることって少ないですよね。
大事にしてほしいのだ
IPUの学長・出口治明さんが、
「世界を変えるのは、若者、馬鹿者、よそ者」と言っているとよく聞きます。
私もその通りだと思いますし、
「外側のよそ者」を探している地方を見ると、
どこの自治体も賛同しているように思います。
なら、尚更、まずは「内側のよそ者」を同化するのではなく、その良さを生かしてはどうでしょう。
内側を大切にしてからでも遅くない、と私は思っています。
それに外側と内側がVS関係なのも、よくありません。
むしろ、内側の内側と外側のよそ者を結びつけるために、
内側のよそ者を利用するのも1つです。
グラデーションだったり接着剤だったり、
いろんな利用方法はあると思います。
だからね!活用してください!
無いものとしないでください!
きっと良い仕事しますよ!
あぁ大事にされたい笑
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