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お笑いが好き〜笑うということ

私はおかしなくらいにお笑いが大好きだ。

大人になって忙しい毎日を送るうちに忘れていて、あまり見ていなかった。
ある日、周囲に誘われ、誰が出るのー?なんて言いつつ、渋々劇場へと足を運んだ。
…生で見た瞬間、お笑いが大好きだったことが甦った。


一家の大黒柱の父が亡くなり、専業主婦だった母と高校生の私と弟の二人が残された。

それまでは裕福とはいかないまでも、何不自由なく、学校に行けることが当たり前、家があることが当たり前、先のことを考えるまでもなくぬくぬくと過ごしていた。
周りの友達と楽しく過ごす毎日がずっと続くものだと思っていた。

入院中、父が仕事ができない状況になり初めて、これから先どうなっていくのだろう…と不意に考えることがあった。
でも奇跡を信じて考えないようにしていた。
亡くなって初めて、どっと逃げていた不安が押し寄せてきた。

学校は行けるの?進路はこのままでいいの?
社宅であるこの家からは遅かれ早かれでなければならない。
私達は何処に住めるの?
多分残された母はもっと考えていただろう。

目まぐるしく変化し、過ぎていく毎日に父が居なくなったことへの寂しさを感じる暇もなく、変化に対応しようと家族三人必死だった。

辛いとき恋をしていれば、好きな彼がいれば、心の拠り所になって…的な話を思い浮かべるが、その当時は好きで付き合っていた彼でさえ、時間を作ること、会おうと言われることすべてが億劫になり、何もわかってない…誰もこんな気持ちわからない…そんなことを思いながら、疎遠になっていった。正直邪魔臭かった。

友達と話していても、結局は私はみんなとは違う…そんな疎外感を勝手に感じながらそれを悟られぬよう生活していた。

心から笑うことが少なくなっていった。


家族みんな、必死に立て直そうとする時期が過ぎると、今度は不安と寂しさが襲う。
でもお笑い番組を見て笑っている時だけは現実を忘れられた。家族三人で笑うことが出来た。

人を笑顔にさせて生きていけるなんて、お笑い芸人はなんて素晴らしい職だろう、そう思った。

父が亡くなって、手に職をつけることが何よりも大切だと思っていた。一人になった時に、職に困らないから。

自分の得意分野が活かせる為、幼稚園教諭と保育士の免許の取れる学校への進路が決まっていた。
でも本当に最善か。

お葬式で心が救われるような説法を説いてくれたお坊さんにも憧れた。
悲しい心に沈む人に、先を見て歩いていけるように寄り添う言葉を送れるなんて素晴らしい職だと。
長距離トラックの運転手になれば、この先女性一人であっても強く生きていけるのではないか。
芸人になる…それも考えた。
でも生憎、目立って面白い方でもない。

ならばそんな芸人さんを近くで支えて一緒に笑いの場を作っていく吉本興業のマネージャーになるというのはどうだろう…。
自分が救われたように、笑いという力で辛い日常を少しでも忘れる瞬間を作ることが出来る、また明日から頑張ろうと少しでも背中を押せる、簡単ではないだろうけどとても素晴らしい仕事だと思った。

家族を残し、遠く離れて仕事をするという選択が出来ず、結果私は予定通り地元の職に就く。

年を経てそんなことすっかり忘れていた。
劇場でお笑いを生で見て、何もかも忘れて大笑いしている自分、帰宅後の興奮とスッキリした気持ち…そうだ、むかしむかし、私この世界に入りたかったんだ…。
…なにか辛いことがある度、ドラマや映画は心の安静が取れない為見る事を避けた時期があったが、お笑い番組だけはずっと見ることが出来た。笑うことが出来た。何回助けられただろう。

笑うという事は心を一瞬軽くしてくれる。辛いときも笑っている瞬間は忘れられる。
辛い現実に、少しだけ立ち向かうきっかけが出来る。
病や精神の健康にとっても、笑うということはとても良いことだと聞く。
縦のしわより、横のしわを作ると良いって聞いたことがある。(笑いじわ)
若返り効果もあるとかないとか。

…お笑いという夢が浮かんでいた時期があったなぁと思いながら、劇場やテレビで活躍する芸人さんたち、笑いを作る仕事をする人たち、そんな世界を眩しく外から眺めつつ、今日も大好きなお笑いを応援している。
なんか、負けちゃいかんなと、勝手に触発されてあの時選んだ自分の仕事を今も頑張っている。

笑いには好みがあるから、みんな同じではないけれど、何もする気力が起きない時、色々考えちゃう時、そんな時お笑い番組をつけっぱなしにしてみると良い。
もしかしたら、いつの間にか笑えている瞬間があるかもしれない。
そんな瞬間が増えたら、張り詰めた心が少し休憩出来るかもしれない。

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