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オートバイ 2サイクルのオフロード車

お散歩帰り 
 散歩道、野川沿いの遊歩道(一応サイクリングロード)を歩いている途中に、「たつみ」というお総菜屋さんがあり、そこのお弁当 9品目弁当が安くて美味い。たまに買って帰る。

野川
国分寺市東恋ヶ窪の株式会社日立製作所中央研究所敷地内の大地に源を発し、国分寺崖線の湧水を集めながらほぼ南東に流れ、小金井市、三鷹市、調布市及び狛江市を経て、世田谷区二子玉川付近で多摩川に合流する一級河川。

民家の中にあるお惣菜屋さん

世田谷ベース 
 たつみで、お弁当を待っているとき、そこの待合場所にある本、雑誌を見るのだが、絵本以外には所ジョージの世田谷ベースが何冊かある。
世田谷ベースはこのまま野川沿いの遊歩道を下って、成城学園に入った辺りにある。

「2サイクル オートバイ特集?」
世田谷ベース44号(2020年)を手に取ってみた。
2サイクルバイク、それもオフロード車の特集だった。所ジョージのハーレーなどのビックバイク趣味はあまり興味無かったが、最近は小型のオフロード、2サイクルに興味が移っているようだ。これは面白い。正に私の領域だ。

バイク狂騒時代
 10代から20代に狂ったようにバイク乗っていた。正にバイク漬けだった。
だから今時のおっさんらのハーレー好きや、また10代に原付しか乗っていなかったおっさんらの旧車のバイク(CB750 、Z2、マッハ)などにはそれほど興味もない。

 私は17歳でホンダCB750を所有、弟はスズキのGT380、後輩がカワサキZ2、友達がマッハ3、そんな状況で、暴走族も経験し10代を過ごした。

 20代はモトクロスレースに明け暮れていた。ホンダの市販レーサー CR125 、CR250に乗る。
初めて買ったのは、1979年製のホンダCR125。
ショウワのサスも、フレームの強度も問題あり、これ乗って、私は大怪我をした。

ホンダCR125 1979
ホンダCR125 1979 富士スピードウェイ 特設コース

その後、30歳まで、モトクロスレースをやり続けた。SIDIのモトクロスブーツ、2足目だ。

SIDIのモトクロスブーツ

現在 2024年7月
 30歳過ぎて結婚し、趣味はトライアスロンとなった。このトライアスロンは63歳が最後の試合となった。現役生活35年続けたことになる。 

 そして現在、オートバイは全く乗っていない。憑きものがとれたように、30歳以降、興味が無くなっていた。

 当時一緒にレース活動していた弟は、そのままホンダへ就職し、たまに会社から珍しいオートバイを借りた時は、それに乗って家に遊びに来る。その後ろ姿を見ると胸の底がわずかい疼く。

ドゥカティ モンスター800

 それでも、私はこんなデカいバイクに対して所有欲はない。
バイクはモトクロス生活が強烈だったので、今でも2サイクルのオフロードバイクが好きだ。これが本当のバイクだと思っている。

 オートバイは軽さと走破力が全てだ。高速クールズなんかは車に勝つ訳ない。唯一車に勝てるのがオフロードだ。そんな結論に至っていた。

弟とレース活動をしていた

 世田谷ベース 44号2020年7月30日号 
弁当を待ちながら、ぱらぱらとページをめくる。
「面白い」じっくり読みたい。
早速、問題も多いがブックオフへ注文した。

世田谷ベース 44号

バイクチャンネル
 もう流行も終わりかもしれないが、YouTubeで、オッサン、爺さん、芸人、女子がオートバイに乗っている動画が沢山あった。
乗っているバイクは、ビッグバイクか旧車だ。ハンターカブもあった。
アクセス数も多い。バイクがブームだったのか?その辺りは部外者なのでよくわからない。

 娘1もその影響ではないと言っているが、自転車ロードバイクから、興味がオートバイに移り、今ホンダCB220単コロ(15年前のキャブ車)に乗っている。

 私も娘1に感化され「バイクを買うかなぁ」と思ったが、自分は街乗りやツーリングに全く興味がない。今時のバイクはキャブレターもないし、いじれない。

 旧車を買うとしても値段高すぎだ。半分腐っているようなバイクが高価で取引されている。
きっと、知ったかのバイク屋に含蓄を話されて気分が悪くなる決まっている。

 私の中でバイクは、オフロードをツーサイクルバイクで走る。それが体に染みついている。だから今更クソ高いバイクを買うくらいなら、MTBを乗っていた方が楽しい。実際国産の2サイクルバイクは旧車しかなく、レストア対象だ。だから所ジョージが興味を示したのだろう。

本を開く
さて、本も来たので、開いてみる。

キャブとチャンバー、2サイクルのきもだ
この時代のモトクロスバイクは正に暴れ馬

面白い。しかし結局旧車なのね。

若い頃のバイク修理
 私はレースもやっていたが、バイクや車の修理もよくやっていた。
一時期、半分壊れたようなバイクが数台実家の庭を占領していた。

 部品なんか買うお金はない。何時も、多摩川沿いの鉄クズ屋へ、工具を持って行く。そこにあるバイクや車を分解して部品を貰っていた。

「何だ、お前らか」とくず鉄屋さんは、一見怖い人達が多い、でも嫌がらせなどはなく、頭を下げてただで貰う。
雨さらしのバイクのネジは錆びて固着している。インパクトの技術と潤滑剤がいる。結構時間を使う。

 多摩川沿いにある某大学のモータサイクル部、そこのレースバイク運搬用サニートラック、ドアの色がある日代わっていたりする。
誰かがぶつけて、くず鉄やでドアを貰ったのだろう。だから色が違う。

 屋外の部室の横には沢山のバイクや部品がある。そして、部室の前では、誰かが常にバイクを分解していじっている。
あの風景が懐かしい。
ここから、優秀な人材がホンダやトヨタなどへ旅だっている。

 この大学出身で私とレース活動していた弟。彼奴も一時期ホンダレーシングにおり、レースメカニックとして欧州などへ行っていた。

 その弟も今年定年、ホンダは車においてEVへシフトした。今更車なんかはどうでもいい。今でもホンダは2輪で利益を稼いでいる。2輪のホンダ。

 もし、ホンダが2輪の内燃機関を捨てたら、この国は終わると俺は思っている。

ツメの間が真っ黒になっている時代がある。
それは技術屋の証だ。

ホンダ時代のプロテクター
付けて走っている。

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