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スマホの写真データからひもとく思い出 2016年 高校の同級生の思い出と墓参り

Sの死
2010年、自分が53歳の時、高校のバイク仲間の1人、Sがクモ膜下出血で亡くなった。
家族の留守中、トイレで倒れており、手遅れだったそうだ。
死は突然やってくる。そんな歳になったことを痛感した。
救いは、Sは結婚が早かったので、子供は既に成人していた。

葬儀場で、Sが自分の娘と一緒に愛車ドゥカティ(イタリアのバイク)に乗って楽しんでいる写真が飾られていた。また彼が載っているバイク雑誌も展示されていた。
「結構入れ込んでいたんだ。黄色ドゥカティかぁ、派手だな」
「そう言えば、仲のよかったIもドゥカティに乗っていたなぁ」
Sは、高校時代それほどバイクにのめり込んでは、いなかったが、デカいバイクに乗りたかったのだろう。
私にとって大型バイクは当時乗ったホンダCB750K1で終わっている。

その横にベースギターが置いてあった。一緒に置いてあるラジカセからは彼のバンドだと思うが、「シー・ラヴズ・ユー」が流れていた。
そうか、そうか、Sは私よりギターが上手かった。そしてビートルズが好きだった。

She Loves You
Sとは、高2の時、夏のバイト先で知り合った女の子を追って、神津島へ行った。Iも一緒だった。
泊まる場所もないので、私がホームセンターで買ったテントで寝た。

その後、Sと私は彼女らとつき合ったが、夏の恋は年明けと同時に消えた。
私と違って2枚目のSは女の子から人気があった。
「天国でもShe Loves Youだな」

まだ2010年
葬式後、季節は何時だったのだろう、その辺りの記憶は曖昧だが、秋だったような気がする。久しぶりに会った高校のバイク仲間達数人と登戸辺りで、適当な居酒屋を見つけて入る。

「頭どうした?」
「こうなりました」と帽子を脱ぐと禿げている。
白髪で真っ白のヤツもいるし、50才を過ぎると老け方にも差がでる。
お互い老けたと一瞬思うが、直ぐにその顔に慣れる。昔の友達は若い頃の記憶があるのでそうなるらしい、不思議だよね。
知らない奴は何時までもおっさんだ。

皆、私より結婚も早かったので、子育てに一段落したようで、その後、年に何回か集まって飲む機会が増えていった。
その中でも3人とはよく国分寺で飲んだ。実際は西国分寺で、中央線が武蔵野線に乗り換えられる場所だ。北朝霞に2人、1人は国分寺よりさらに西、私が三鷹を利用する。つまり中間地点で飲むことにした。
唯一の難点、西国分寺は飲み屋が少ない。ショボい店でも混んでいる。

2016年の写真
あれから6年、2016年。浅草にあるSが眠るお寺さんへ墓参りに行ったときの写真。

墓参り終了、さて飲むか・・。

浅草は寺と仏壇・仏具屋が沢山あり、また同じような路地も多く迷路のようだ。
下調べなどする仲間ではないので、なかなかその寺が見つからない。
「まったく、ここさっき歩いてない?」
「なんだよ、くそ!」
「あれ、あの女、いい感じだろう」
と怪しいおっさん達は1時間ほどうろうろした。
ようやく、Sの兄貴に電話して場所を確認して辿り付く。

しかし、墓参りなのに、皆、お花の一つ、線香も持参していない。流石だ。
「ようし、終わった」
「迷ったおかげで5時過ぎた、もう店も開いてる」
めでたし、めでたし、そして飲みに行く。

しかし、これから、だんだん飲み会も少なくなり、歯が抜けるように友達も消えていくのだろうね。
「皆、元気で長生きしろよ」

2010年当時 新宿

この年(2016年)の車関係の雑誌に当時の雰囲気がよくわかる写真が掲載されていた。Aから写真が送ってきた。
そこに同級生が映り込んでいた。貴重だね。
髪の毛は消えたが、写真のAも元気だ。その後、何度も一緒に飲んでいる。

1970年代の若者達が日本の自動車文化を創っていった

1970年代の若者達、バイクと車を本来の意味(内燃機関の最高傑作)で愛して止まなかった。バイクを捨てて逃げるとか、他人のバイクを壊すとか絶対にしない。
バイクや車が命だった。つまり究極のマニア達。
「彼らが日本の自動車文化を創り上げた」と書いてあるようだ。
私もそう思う。

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