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仲間とこの世界を生き抜くために 色々と考えてしまう3年間だった

この世界を生き抜く
2023年、令和5年10月2日、赤い羽根の寄付が始まった。
ここ3年間疫病が蔓延してたが、結局、人間と世界はウイルスだらけで、変わりはしない。

私はなんとか自由に月日を過ごしていたが、世界は益々混沌としている。
とメディアは言っている。
でも、物心ついてから、何時もそんなことを言っているような気がする。

もうすぐ戦後80年
戦後50年のニュースをまとめたムック本を神保町で、随分昔に買った。
戦後50年は1994年だ。
解説抜きでどうぞ。日本も世界も今より危険な状況だった。
私も学生時代はかなり殺伐としていた記憶しかない。

戦後50年 1994年
ハンガリー、知っている?
安保

ネット犯罪の時代
ついに最近、海外から詐欺の電話がスマホにかかってきた。
「大丈夫か私の個人情報」
「まぁ大丈夫ではないだろう」
メールは80%が詐欺メール。FaceBook、インスタも同様で80%が広告。
最近NHKを観ている自分がいる。ウルサいCMがないからだろう。
朝ドラをつい観てしう。

ともかく、爺さん達は、簡単には生き抜いて行けないだろうと思う次第だ。

疫病の影響
私の場合、2019年春に娘2(末っ子)も大学を卒業して社会人となっていた。だから教育において、この疫病の影響を受けなかったのは幸いだった。
ただ仕事は相当に影響を受けた。
長年続けていた仕事だが、「閉店ガラガラ」いい潮時だった。

会社の立ち上げを任されて、軌道に乗せて20年を生き抜いた。これも周りの人達に恵まれたおかげだ。
その会社に一応の区切りをつけた。
2021年の夏だったが、実は私は急病で生死を彷徨っていた。

年金を1円も貰わずに終わるところだった。
事の顛末

趣味のマウンテンバイクの練習後、帰宅途中に急性心筋梗塞で倒れたのだ。
運良く看護師さんがその場にいたり、若い男の子にも助けられて、心臓疾患で有名な病院の集中治療室(ICU)に運び込まれた。これも運。
最新治療のICUにて命拾いをした。

先祖を大事にしているおかげだと信じている。

時代の変化
将来性があったインターネット空間が糞みたいになってきた。
中国のIT機器の台頭、トランプ氏の大統領選挙、その頃からメディアやSNSのおかしさが際だってきた。

1990年代から仕事やプライベートでインターネットの世界にいた私。
あの牧歌的な時代は過ぎ、ハイエナの群がる荒野となってしまった。

世界は再び荒野となった
先の読めない弱肉強食の世界だ。世界は混沌とした時代に戻ってしまった。この世界(荒野)で、最も重要なものはなんだろうか?
生き抜くためにまず考えてみた。
ヒントとして、大災害が起きた後に必要なモノを5つ挙げてみる。

1.健康な身体と家族
家族は生きる力となる。

2.衣食住
取り急ぎ、水と食料は必要だ。

3.衛生
トイレは必携だ。疫病が蔓延するのを防ぐ必要がある。

4.インフラ(電気、ガス、水、下水、物流)
これが復旧しないと生きていけない。個人で整えるのは難しい問題である。

5.仲間
最後は頼れる人、頼れる仲間(コミュニティー)
人は1人では生きていけない。

情報はどうだろう
生き抜くには、信用できる情報はが必要だ。でもインフラが極端にダメージを受けたら情報は得られない。そこを攻撃される率が高いと思う。
となると情報は人を頼るしかなくなる。
仲間が必要だ。

この荒野を生き抜くには、信頼出来る仲間が必要となる。
近未来SFの青春映画みたいになったが、それしかないだろう。

この仲間だが、選択に難しいこともある。
ある集まり、趣味のサークル、クラブがあるとする。
当初はメンバーもいいし人達が多く、活動も上手く廻っていく。
その後活動を広げ、色んな仲間をオープンに入れていく。
すると、サークルは徐々に劣化していく。そして当初のメンバーはうんざりしてくる。

つまり条件が整っているリソースには人が集まる。
例としてFaceBookもそうだ。利益を得たい人、良いとこだけを利用する人々が増える。
その集まり本来の目的を無視した、損得だけで動く市場経済主義者が入ってくる。白熱教室のマイケル・サンデルの話と繋がる。

全てがお金で買える

「何故、あの人を優遇するのですか、ずるいです。私もそれを希望します、お金はあります!」
そんなことしか言わない仲間は要らない。
他の人の為に汗をかいて、その場所をさらに素晴らしくしたい人が必要。
要領よく利用するだけの人はいらいない。

本質の話(仲間)
同じ場所で、一つの目標に向かい。それを共有するということ、そこがホームベースとなる。心の基地となる。この感覚は仕事でもたまにある。
スポーツ、特に部活ではよくある事象だ。

アイアンマン・トライアスロン競技
私的な経験だけど、黎明期のトライアストン(アイアンマン)の話。
(私は1984年から2019年までトライアスロンを趣味にしていた)
当時アイアンマン・トライアスロン(海でのスイム3.9キロ、ロードレーサー(自転車)で190キロ、最後はフルマラソン)は未知への挑戦だった。

練習方法も分からない、試合経験もない、参加者の殆どが冒険者、チャレンジャーという気持ちでいた。

試合は10時間から15時間。異常に長い。選手はその高揚と苦痛の交差する空間と時間を運動し続ける。

ライバルの選手、運営スタッフ、ボランティアともその時間を共有する。この冒険に関わった人間全てが、お互いにわかり合える感覚がゴール後にある。

その感覚に関しては、なかなか説明が難しい。
選手、運営者、ボランティア、応援してくれる人、全ての人々とその空間を共有している。皆が仲間だと感じる。
一緒に飲むビールは最高に美味しい。

本当の仲間達
そんな時間と空間があることを一度でも身体で理解していると、多様な人間、趣味や価値観の違いもあっても、全く気にならない寛容さを得られる。それが非常時に大きな力となると思う。

今ネットにおいて、リモートで集まる仲間、皆が共通の趣味・価値観(属性)を持ち、損得で集まった集団には本来の仲間は出来ないと感じている。
私もZoom以前からネットでのミーティング、仲間作りをしていたが、定着した仲間はほとんどいない。特に3,40代とは駄目だ。 
せいぜいお互いを理解していると思っている程度で、属性が変われば消えていく関係だ。

属性とかに縛られないで、一緒に過ごしていた仲間こそが大切で、最後まで残る仲間となる。
「本音で生きようぜ」

私みたいに老人となると、集まる仲間は、趣味も好みも歩いてきた人生も違う。そんなことは全く関係ない、昔何らかの不要不急の事で同じ空間と時間を過ごしてきた仲間だから、心地良い。

大人になると、そんな関係を得るのは相当に難しい。もしそんな仲間がいるなら。それは貴方の素晴らしい財産だ。

まあ、飲みましょう
ドックタウン Z-BOYSの伝説


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