俺の毎日 星に願いを ハワイ島 Mt.マウナケア
アイアンマンレース
ここ２年間の練習内容からみて完璧だった。
アイアンマン・ハワイ世界戦の予選と言える琵琶湖のアイアンマンレース、
このレースにおいて、昨年では当確の順位だったが予選落ちした。
「何故？」俺は怒っていた。
調べると日本人の推薦枠が昨年より厳しくなったようだ。ここ１年で世界中で選手が増え、競技記録のレベルが格段と上がっていた。それは俺の想像以上だった。
これだと仕事を辞めないと練習量を確保出来ない。
それは無理な話だった。「来年に向けて頑張ろう！」
そんな気力も湧かなかった。
10月にアイアンマン・ハワイレースが行われた。俺は興味が失せていた。
傷心
30才独身、彼女無し、年末年始の予定なし、アイアンマンも予選落ち、仕事はやる気なし、そんな傷心した男だった。
「ハワイへ行こう」少しは気が晴れるだろう。俺はそう思った。
笑顔でも目は笑ってない課長に言う。
「課長、年末、ハワイ島へ行って山登りします」
「ん、登山だと会社へ届けが必要だぞ、危険行動だ」
「いや、バイクで登ります」
「バイクかぁ、そうか、うーん、でも事故には気をつけるように」
ここでのバイクとは自転車のロードレーサーのことだが、課長は理解していない。
早速、会社を抜けて、近所の旅行代理店へ行く。
「今からハワイですか、かなり難しいですよ」担当したおばさんは言う。
ハワイ島
旅行代理店のおばさんは優秀だった。
12月28日、俺はバイクと一緒にハワイ島（Big Island）のコナ空港に昼前に到着した。
昨年のアイアンマンレースのポスターが小さな空港の待合室に貼ってあった。
ここコナはアイアンマンの聖地であった。本格的なトライアスロンが始まった場所だ。出来れば10月のお祭りのような時期に来たかった。
コナ
東京で予約したコナのホテルは、インディー・ジョーンズの映画に出てくるようなホテルだった。椰子や南洋の植物が生い茂る２階建ての木造建築、中庭では本物の松明が灯されている。そこでハワイアンダンサーが踊っている。それを見ている宿泊客に日本人はいない。ハリソン・フォードがいてもおかしくない。そして全く日本語の通じないホテルだった。
ヒロ
翌朝、コナからバイクでヒロへ向かう。ヒロは島の東に位置する街だ。
道路は1本道だった。途中広大なパーカー牧場を横切り200キロ走りきり、何とか日が暮れる前にヒロに到着した。
ヒロは雨量の多い街で、1日1回は雨が降る。その代わり野性のランが自生する。花の香りがする町だった。
「ヒロホテルか」
とりあえず目に付いたホテルへ入ってみた。
日系の婆さんがフロントにおり、日本語で話してくれた。
このホテルは戦前から日系人が経営しており、日本のフジホテルグループの系列だという。
２階建ての木造建築だ。床も木だ。アリーアメリカンの雰囲気がいい、ロビーにランの香りがする。俺は泊まることにした。
部屋は質素だった。古いラジオがあるだけであった。ラジオをつけるとオールディーズの悲しいラブソングが流れていた。
近所の日本の定食屋みたいなレストランで食事をする。
ホテルに戻るとラウンジの片隅にテレビがあった。宿泊客と思われる年配の白人２人が、アメフトを見ている。蘭の花の豪華な香りが、ラウンジ中に満ちていた。
クリスマスの飾りが残るホテルの内装は、50年代のアメリカの世界である。机やソファー、カーテンまで、俺が小さい頃の記憶にあるアメリカンハウスだ。
俺は部屋に戻り、本を読む気力も無く、ベッドに寝そべっていた。
＊＊＊＊＊
星に名願いを
俺の親父が在日米軍に勤めていた時期、クリスマスイブ。調布にある関東村の敷地内のハウスでクリスマスパーティがあった。親父はそのパーティへ俺を連れて行った。
訪問した仕官クラスのハウスは、天井が高く、暖炉があった。そこには薪が燃えていた。部屋は凄く暖かい。クリスマスツリーは2m以上あり豪華だった。
テーブルにはターキーの丸焼きや各種名も知らない料理、お菓子も沢山あった。なんと贅沢な食卓なのだろう。
ハウスの主人はスタフォード、ドイツ系のアメリカ人だ。奥さんは日本人だ。それと娘がいた。俺と同い年だ。12才だった。彼女とは何度か会ったこともあり顔見知りだった。
名前はヨウコ、髪はダークブラウン。小さな顔に幾分そばかすがある。そして日本人らしい奥二重のアーモンドアイだった。
アメリカのパーティにおいて、大人は大人同士、子供は子供同士で楽しむのが普通らしい。
俺とヨウコは幾分飽きてきたので外に出た。
暖かい室内からでると火照った頬に外の寒さが気持ちいい。
庭先の水銀灯の下、明るく照らされた芝の上に並んで座った。俺は甲州街道沿いの水銀灯に照らされた白いフェンスを何となく見ていた。ヨウコが俺の肩を指先で突く。
「イケ、星を見に行かない」
「どこに」
「フットボール場よ」
「いいよ」俺は立ち上がった。
フットボール場の階段状の座席の一番上に二人で登った。振り返ると、クリスマスのデコレーションに飾られたハウスの棟が見えた。
前方の三鷹方向は鬱蒼とした武蔵野の森が広がっていた。その暗さゆえ、夜空の星は明るく輝いていた。
冬の空の定番のオリオン座が見える。小熊座も。
「ねえ、私、大人になったら天文台の観測員になるの」
ヨウコが星を見ながら言った。
「なんで？」
「星が好きだから、それと流れ星を多く見られるでしょう」
「それで？」
「それだけ沢山願いごとが出来る」
「おもしろいな」
「あ！見えた」
西の空に本当に流れ星が見えた。
「イケも何か願って」
二人で星空を見上げ、願いごとをした。
クリスマスイブ、星が瞬く、女の子と一緒に流れ星に願いをかける。
「何を願ったの？」俺はヨウコに聞いてみた。
「大人になったら、もう一度イケに会えるように、そう願ったの」
「なんで？」
「来年1月に日本を離れるの」
俺は驚いた。生まれて初めて切ない思いが胸の中に広がった。
その時、俺の頬に触れた唇の感触がもっと驚きだった。
＊＊＊＊＊
一人旅は自分との対話である。
忘れていたそんな思いが俺の脳裏を駆けめぐった。
ヨウコかぁ・・・。
Ｍｔ．マウナケア
朝６時に目がさめた。ホテルのテラスで食事をしていると、日焼けした髭面のオッサンが声をかけてきた。日本人だった。彼は俺のバイクを指して言う。
「こいつで何処へ行くの？」
「マウナケア」
「本当か、それは凄いなぁ、じゃあコーヒーでも炒れて待っているよ。じゃ、お先に、本当に待っているよ」
ちょっと何言っているかわからなかった。まあいい。これから勝負だ。
ハワイ島にあるマウナケアは４０００ｍオーバーの休火山である。富士山より高いのである。そして頂上まで舗装路がある。
俺は、この山をバイク（自転車）で短時間で登頂するつもりだ。
これで、今年の傷心した心をリセットする。
フロントのあの日系の婆さんが、声をかけてくれた。
「頑張って！」
極限
森林限界を越えた。登り始めてから３時間経つ。汗は強い紫外線のせいか直ぐに蒸発してしまう。空気中の埃が少ない。空が高く、そのまま大気圏に繋がっている。青色が徐々に藍色になり、星が輝いているのが見える。
素晴らしい空とは裏腹に俺は急激に減りつつある酸素濃度に対応出来ずにいた。心拍数は限界である。それでも俺は登り続けた。
地面の方は草一本見えない。火星の様な世界が広がる。素晴らしいのは空だけだ。
俺は頑張った。ようやく頂上が見えてきた。そこには丸い建造物が幾つか見える。まるで火星基地の様な建物だ。後少しだ。
目の前に光りが溢れている。世界が白く輝くようになった。体が動かない。目が回ってきた。意識が遠のく、そして俺は気絶した。
目覚め
気づくと、簡易ベッドの上で俺は寝ていた。
「おい、大丈夫か？」今朝会った髭のおっさんの顔がアップとなった。
「はい」恐らくハンガーノック、急激に血糖値が下がったのだろう。
何か糖分を補給しないといけない。
「何か甘いモノありますか？」
「チョコレートミルクはどうだ」
「それ、お願いします」
髭のおっさんが部屋の向こうに叫んだ。
「ヨウコ、チョコレートミルクだ。大盛りでな」
ヨウコか、うつろな意識の中で、その名前が繰り返された。
ジーンズの上にワークシャツを着た女性が飲み物を持ち俺の前に現れた。
俺のヘルメットも持っている。歳は同い年くらいに見える。もしかして、しかし髪は金髪だった。あのヨウコではないが美人だ。
「どう、気分は？」
飲み物を差し出しながら彼女は尋ねてきた。
「それさえ飲めば、大丈夫です」
「そう、でもランチぐらいは食べてから帰ったほうがいいわよ」
俺はかなり空腹であった。
「有り難う、そうするよ」
彼女は俺の返事が聞こえなかったように、ヘルメットを見つめている。
「ヘルメット、壊れているの？」俺は訊いた
彼女は俺の顔をマジマジ見つめた。そしてヘルメットのある点を指さし言う。
「これ、貴方の名前でしょう」ヘルメットには血液型、名前、住所、電話番号を書いたシールが貼ってあった。
「そうだけど？」
「私、子供の頃、日本にいたの」
俺は気づいた。彼女の目はアーモンドアイだった。
「ヨウコって、君はあのヨウコ？」
彼女も戸惑ながら答えた。
「そうみたいね」
「でも、髪の毛が」
「染めているの」
気づくと髭のおっさんが不思議そうに見ている。
「なんだ、君達は知り合いなのか？」
「そうみたいです」俺は答えた。
「ほーっ、だったら君も星をみるのかい？」髭のおっさんが言う。
俺はこの建築物が何なのか知らなかった。
「ここは何処ですか？」
「天文台だよ」
「マウナケア山頂は、地球上でもっとも理想的な天体の観測ポイントだ」
俺はあの事を思い出した。
「じゃあ、君は目的を果たしたわけだ」
彼女が笑った。きっと星への願いがかなったのだろう。
チョコレートミルクで血糖値を上げた俺は思い切って言った。
「今夜一緒に食事しないか」
「いいわよ」
「ヒロホテルのフジレストランで、７時に」
「ＯＫ」
「でも今まで何処にいたの」会話は続くが、まずは俺も星に感謝だ。
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